戦いの幕開け
時間軸は前日に遡る。アデルたちは馬に治癒魔法を用いてほぼ一日中馬を歩かせ、夕暮れにプリムウッドの里に到着した。イルアーナの生まれ育ったマザーウッドの里と同じように、巨大な木を囲むように町が広がっている。外周は強固な石壁に囲まれていた。
「おかしいな。普通はゴブリンが門番として立っているのだが……」
イルアーナが呟く。石壁に設けられた巨大な木の門は閉ざされており、両脇の壁には松明が備え付けられていて周囲を照らしている。
「門の上に誰かいますね」
アデルは何者かの気配を感じた。
「近付いてみよう」
イルアーナに従い、アデルたちは門へと近づいた。ちなみにイルアーナもアデルも森に入った時点で素顔をさらしている。
「誰かいないか!」
近付きながら、イルアーナは大声を上げる。
「何者だ!」
門の上にいるダークエルフの男が弓を構えながらこちらに問いかける。
「私はマザーウッドのイルアーナだ! 族長にお会いしたい!」
「マザーウッド!? 来てくれたのか……いや、待て! 他のやつは人間じゃないのか!?」
「彼らは我々の協力者、味方だ!」
「人間の協力者だと? ……そうか、お前はマザーウッド族長の変わり者の娘か!」
どうやら人間と共存しようというイルアーナは、ダークエルフの中では変わり者という扱いのようだ。
「人間など信用できるか! 帰れ!」
「それはお前一人の判断で言うことではないだろう。族長に会わせてくれ!」
「……ちっ、少し待っていろ!」
男は舌打ちすると、何かぼそぼそと独り言を言っている。
「あれは?」
アデルがイルアーナに尋ねる。
「あれは風魔法で族長に話しかけているのだろう」
「へー、町の中くらいの距離だとリアルタイムで話せるんですね」
「ああ。前も言った通り、風魔法の通信は相手が家の中などにいると使えないがな」
イルアーナがアデルに答えた。
「そこでもう少し待っていろ!」
男はアデルたちにそう言うと、壁の向こうに姿を隠した。そして町の中心に向かって遠ざかっていく気配をアデルは感じた。
「……相手が家の中だったみたいですね」
「……」
イルアーナが恥ずかしそうに顔を伏せた。
「と、ところで、気になっていたんですけど、どうしてイルアーナさんのお母さんはプリムウッドにいらっしゃるんですか?」
「ああ、マザーウッドとプリムウッドは互いの結びつきを維持するために、百年に一度、祭りを催すのだ。その際、独身の者を集めてお見合いのようなことをするのだが、そこで互いの族長の息子と娘――つまり私の父と母が惹かれ合ってしまってな……協議した結果、子供が二人できるまで母は父の元で暮らし、二人目の子供――つまり私が生まれた時点で母は一人目の子供とプリムウッドに帰ることになった」
「へぇ。ということはお母さんとはあんまり会ってないんですね」
「いや、三年前にカザラスがヴィーケンに攻め込むまでは毎年のように行き来できていたから、そのたびに会っていた」
イルアーナが懐かしむようにつぶやいた。
そんなことを話していると門が開き、先ほどの男が顔を出した。
「族長がお会いになるそうだ。付いてこい」
アデルとイルアーナは馬を降り、敵意むき出しの男の後について門をくぐる。ピーコとポチはまだ馬に乗ったままだ。アデルとイルアーナが手綱を引いて進む。
「ゴブリンやオークの姿が見えないがどうした?」
イルアーナが周りの様子を見ながら男に尋ねる。
「あいつらは逃げやがったよ。ずっと俺たちの顔色伺いながら卑屈にしてたのに、いざとなったら裏切りやがって……」
男は忌々し気に答える。
(まあ、嫌々支配されてたわけだからなぁ……)
アデルはマザーウッドで見たゴブリンたちを思い出した。ゴブリンたちは従順に従っていたものの、元々は力尽くでダークエルフが奴隷にしたそうだ。その力が弱まれば逃げ出してしまうのもわかった。
「壁の警護が手薄なのもそのせいか?」
「ああ。人が足りないのはもちろんだが、どうせ次に敵が来るとしたら総攻撃だ。休めるうちに休んでいるのさ」
イルアーナの言葉に男は自嘲気味に笑った。
途中で馬を繋ぎ、徒歩で町の中心へ向かう。一際大きな建物があるのは族長の家なのか集会所なのか。その前に広場があり、そこでは十人ほどのダークエルフと、たくさんの小さいモフモフが待っていた。一見モルモットにそっくりだが、その背中には体の大きさの割に小さな蝙蝠の羽が生え、額には短い角が生えていた。
「なんですか、あのカワイイの?」
「あれはエントだな。滅多に姿を現すのことはないのだが……」
アデルの問いかけにイルアーナが目を輝かせて答える。
「エントって……木の化け物みたいな?」
「いや、彼らは植物を操る魔法に長けていてな。普段は森の木の中に住み、危険が迫ると木を操って戦う。だから人間は木の化け物と勘違いしているのかもしれんな」
「そうなんですね」
エントはアデルと目が合うと、怖がって物陰に隠れてしまう。だがピーコとポチはいつのまにか上手くエントを捕まえ、モフモフを堪能していた。
その時、大きな建物の扉が開き、中から老人と美女が現れる。
「おじい様、母上!」
イルアーナが思わず声を上げる。
名前:モーリス・プリムウッド
所属:絶望の森
指揮 82
武力 41
智謀 77
内政 80
魔力 110
名前:マティア・プリムウッド
所属:絶望の森
指揮 93
武力 71
智謀 70
内政 89
魔力 104
(おお、すごい魔力……)
能力を見てアデルは唸る。老人がモーリス、美女がマティアだ。モーリスの武力が低いのは年齢によるものだろうか。
(ダークエルフで老人に見えるってことは相当な年なんだろうか……?)
アデルは気になったが、いきなり年齢を聞くわけにもいかず黙っていた。
「久しぶりじゃな、イルアーナ。しばらく見ぬ間にまた奇麗になったのぅ」
モーリスがイルアーナに近づき、しゃがれた声で言った。
「よく無事にここまで……」
マティアがイルアーナに駆け寄り、涙ぐみながら抱きしめる。
(この二人がイルアーナさんのおじいさんとお母さんなんだろうな)
イルアーナの後ろでどうしていいかわからず、アデルはそんなことを考えながら手持ち無沙汰に立っていた。
「……して、その人間は?」
急に鋭い目つきになり、モーリスがアデルを睨んだ。アデルは思わずたじろぐ。
「この者はアデル。我々の協力者として人間を導く王となる者です」
イルアーナがアデルを紹介する。
「あら、もしかしてその方があなたが前から言っていた初恋の――」
「お母様! 今はそのようなことを話している場合ではありません!」
何かを言おうとしたマティアをイルアーナが顔を赤くして遮った。
「イルアーナ、人間は敵だ。いい加減、共存などという夢はあきらめるのだ」
モーリスが少し声を荒げる。
「おじい様こそいい加減にしてください。そのような態度を貫いたからこそ、このような状況になっているのではないですか? 実際ここに来る前、私は人間の協力によって、捕らえられていたギディアム兄さんたちを解放することが出来ました」
「なにっ!? ギディアムだと! 生きておったか……」
イルアーナの言葉にモーリスが驚愕した。周りにいるダークエルフたちからもどよめきが起こる。どうやら死んだものとされていたようだ。
「ギディアム……良かった……他の者はどれくらい生きていたのですか?」
マティアがイルアーナに尋ねる。
「全部で二十名ほどです。今は他の人間の協力者とともに身を隠しております」
「五十名で奇襲をかけて、生き残ったのはたった二十名か……」
モーリスが呟く。
「おじい様、現在の状況はどうなっているのですか?」
イルアーナの問いかけに、一瞬モーリスはアデルの方を見た。人間の前で話していいものかどうか逡巡したのだろう。しかし小さくため息をつくと、すぐに口を開いた。
「四百名ほどいた我が一族も、今では二百と半分ほどだ。火と矢で遠方から攻撃され、魔法で反撃もできん。姿を隠す魔法で奇襲を仕掛けようとしてもエルフどものせいで感知されてしまう。我々にできるのは、火を消して森が焼かれる速度を遅くするくらいだ……」
モーリスは言い終えると、今度は大きなため息をついた。
「連絡が取れなくなったここ数か月だけでこんな状況になっているなんて……」
イルアーナが沈痛な面持ちで言った。
「あの傍若無人なエルフどものせいじゃ。こちらの戦い方を熟知しておる。忌々しい奴らめ……」
モーリスは憤慨していた。
「イルアーナ……最後にあなたの顔が見れてよかったです。しかし、ここはもう終わりです。あなたは逃げなさい」
マティアは悲痛な面持ちで言った。しかしイルアーナは首を振る。
「逃げるのは……ここにいる全員です」
イルアーナは決意に満ちた目で言った。
(この説得に失敗すればプリムウッド族は滅ぶ……)
イルアーナの絶体絶命の戦いが幕を上げた。
お読みいただきありがとうございました。