交差
アデルたちの襲撃から二日後。絶望の森を攻略のために集められたカザラス軍の陣には死臭が漂っていた。
「いったい、なんなのだこれは!」
カザラス兵を指揮するケルナー准将は怒りをあらわにした。目の前には彼を怒らせている原因が横たわっている。目が八個あるイノシシほどの大きさのウサギや、手足が猿のような熊、胴体が2mもあり無数の足が生えているゴキブリなど、様々な野獣の死体が積み重ねられていた。
「ヤツメウサギにハンターベア、ローチピート……本来、森から出て来るような生き物ではないはずですが……」
ラズエルが悪臭に顔をしかめながら言った。少し離れた後ろではロレンファーゼが口元を押さえていた。
「森の周囲に展開している騎馬隊も襲撃を受けかなりの被害を受けたと報告が来ており、負傷者の移送と再編成のためこちらに合流している」
「まあ致し方ないでしょう。混乱が収束次第、再度森の周りに兵を配置してください」
ケルナーの報告にラズエルは頷いた。
「なぜこんなものが急に我らを襲ってきたのだ?」
昨夜、野獣たちの大軍が森から飛び出し、カザラス軍を急襲した。二日前に物資集積所を襲われたこともあり警戒が厳重になっていたことも功を奏し、被害は大きかったものの最小限に抑えられていた。
「わかりません。もしかするとダークエルフが操ったのかもしれませんが、これだけの数の獣を操るとは……」
ラズエルは顎に手を当てて考え込む。
「群れのリーダーだけを操ったのかもしれません。これが彼らの奥の手だったのでしょう。森の奥まで我々を誘い込み、野獣をけしかける……ダークエルフらしい狡猾な手ですが、同じことが何度もできるのであれば最初から使っているはず。もうこの手は使えないと見ていいでしょう。これが彼らの最後の悪足掻きです」
ラズエルの後ろからロレンファーゼが言った。悪臭で気分が悪そうだった。その時……
「失礼いたします! エルゾよりヒルデガルド様ご一行がご到着なさいました!」
一人の兵士がロレンファーゼに膝まづきながら報告する。その後ろには武装した金髪碧眼の美しい少女と眼鏡をかけたメイド風の女性、そして若い青年騎士の三人が立っている。
「あれが”白銀”のヒルデガルド様……」
「噂にたがわぬお美しさだ……」
兵士たちの間からどよめきが起こる。
「おお、これはヒルデガルド様」
ケルナーが歩み寄り、その少女――ヒルデガルドに礼をする。
「小翼長ヒルデガルド、ただいま着任いたしました。五百人の私兵を帯同しておりますことをお許しください」
ヒルデガルドがそれに敬礼で答えた。
「ご、五百人!? そ、それはそれは……」
ケルナーが驚く。貴族が護衛に私兵を連れていることは珍しくないが、五百人という数は異常であった。ヒルデガルドは先日、暗殺されかけたため、経費度外視で護衛の兵を付けていたのだ。
「またお会いしましたね、皇女殿下」
ロレンファーゼもヒルデガルドに声をかける。
「ご無沙汰しております、ロレンファーゼ様」
ヒルデガルドがロレンファーゼにも敬礼した。
「ガルツではあなたのお姉様から命じられてトンネルを掘らされましたのに、無駄になったと聞きました。今度は私たちの努力を無駄になさらないでくださいね」
「今回の指揮はロレンファーゼ様が執られているとお聞きしています。私は命令を忠実に遂行するまでです」
ロレンファーゼの棘のある言葉をヒルデガルドは無表情でかわす。しかし後ろにいるメイド風の女性、エマは怒りで顔が赤くなっていた。
「お越しになるのが遅かったので、もう決着はついております。ダークエルフたちの最後をゆっくりお楽しみください」
そう言うとロレンファーゼはラズエルとともに去っていった。
「まったく……高飛車なエルフどもめ!」
ロレンファーゼたちがいなくなり、ケルナーが不満をあらわにした。
「しかし、これは一体何なのですか?」
ヒルデガルドの後ろにいた青年騎士、ヴィレムが野獣の死体を指さした。
「昨夜、森からその獣たちが飛び出してきたのだ。こちらにもだいぶ負傷者が出た。あんなに偉そうにするなら、自分たちだけで森を攻略すればいいのだ」
ケルナーが砕けた口調でヴィレムの疑問に答える。
「その通りです。たかが森に住む原住民の分際で、ヒルデガルド様にあのような口を利くなどあり得ません!」
エマがケルナーの言葉に同調した。
「おやめなさい、彼らには敬意を払うべきですよ。少なくとも同盟相手であるうちは」
ヒルデガルドがそれを諫める。しかしあくまでも形式的にそうすべきという話で、本心では彼女もエルフが嫌いなようだ。
「ところで……一昨日、レッドスコーピオ自由騎士団の者らしき人物に話しかけられたという兵がいるのですが……何かご存じですか?」
ケルナーが何気なくヒルデガルドたちに尋ねた。
「えっ!?」
ヒルデガルドたちは驚きの声を上げた。
「い、一緒に黒い仮面をつけた少年や、全身を隠した女性はいませんでしたか?」
「い、いえ、そういった報告は受けておりませんが…何か?」
ヒルデガルドたちの喰いつきにケルナーは面食らっていた。
「なんでもありません……ただそういう者やレッドスコーピオ自由騎士団を見かけたらすぐに教えてください」
「は、はい。承知いたしました……」
ヒルデガルドの頼みに、ケルナーは怪訝な顔で答えた。
ブォン……
まるで太鼓でも叩いたかのように空気が震えた。投石機から放たれた重い油樽は軽々と宙を舞い、ダークエルフの里であるプリムウッドに吸い込まれていく。油樽はその中心にある巨木に命中すると、火が引火した油が木に這うヘビのように赤い尾を引いた。それを見たカザラス軍から歓声が上がる。
「どんどん放り込め! 敵にはもう抵抗する力などないぞ!」
ケルナーの号令に、並べられた投石機が次々と唸り声をあげる。弓隊の援護を受けながら、長い梯子を持った工兵がプリムウッドの石壁に取り付き、梯子をかけてよじ登る。その後ろに控える歩兵隊が突撃の合図を待っていた。だがその時、固く閉ざされていたプリムウッドの門がゆっくりと開かれた。
「見ろ、門が開いたぞ!」
「打って出る気か!」
カザラス軍は槍を構え、敵の突撃を警戒した。しかし開いた門から顔を出したのは、梯子で石壁の中に侵入した工兵であった。
「どういうことだ……?」
ケルナーは後ろに控えていたロレンファーゼを振り返り指示を仰ぐ。
「……攻撃を中止してください。歩兵を送り込んで中の捜索を。くれぐれも罠や待ち伏せに気を付けてください」
硬い表情でロレンファーゼは命令を出す。
「まさか……本当に森を捨てたのでしょうか?」
隣でラズエルが呟く。
「ダークエルフは我々が思っていたよりもはるかに愚かで無恥な種族だったということですか」
ロレンファーゼは小さくため息をついた。
「ロレンファーゼ様、お聞きしてもよろしいですか?」
その時、近くに控えていたヒルデガルドが口を開いた。本来、小翼長はもっと前線にいるものだが、ヒルデガルドは本陣に配置されていた。
「なんでしょう?」
「森などそこら中にあると思うのですが、なぜダークエルフはこの森に固執するのですか?」
「人間は本当にものをご存じないのですね」
ロレンファーゼはヒルデガルドの言葉に呆れるように言った。
「お恥ずかしい限りです。よろしければご教授いただきたいのですが……」
「仕方ありませんね。『森』と言っても、我々の場合は世界樹の生えている森のことを指すのです」
「世界樹?」
「ええ、あの巨木が見えるでしょう? あれが世界樹です。世界樹がある森は生命力とマナに溢れています。我々エルフ族は森から食料と魔力を得る代わりに、森を守る使命を負います。ダークエルフも元は我々エルフ族と同じ種族だったと聞きますが、その使命を捨て流浪の民となりました。運良く別の世界樹が生えている森を見つけたようですが……どうやらまた森を捨てるようですね」
ロレンファーゼはため息をついた。
「よくわかりました。お教えくださりありがとうございました」
ヒルデガルドはロレンファーゼに頭を下げた。そして少し離れたところにいるエマとヴィレムの元へと向かう。
「どうやらアデル君たちはいないようですね」
ヴィレムはほっとした様子だった。
「いくらなんでも、ダークエルフを助けたりはしないでしょう」
エマがため息をつく。
「どうでしょうね。アデルさんは異種族と共存することを強く望んでいました。もしアデルさんがダークエルフを従えたのだとしたら……」
ヒルデガルドが言いかけたとき、一人の伝令が本陣に走り込んできた。
「報告します! 里の北側でゴブリンが目撃されました!」
伝令が大声で報告する。ロレンファーゼが眉をひそめた。
「ゴブリンと言えばダークエルフに飼われている醜い小鬼……森の中を逃げ回るつもりですか……世界樹を捨ててまで生き延びたいとは。あんな種族が同じ『エルフ』と呼ばれているのが不愉快です。早く絶滅させてしまいましょう」
ロレンファーゼの指揮で軍が森へと進む。
しかしその時すでに、アデルたちとダークエルフの一族は森から脱出していたのであった……
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