兄妹
一方そのころ、アデルたちが出て行った個室内では微妙な余韻が漂っていた。いまはラーゲンハルトとヒルデガルドがテーブルを挟んで向かい合わせに席に着き、しばらく沈黙が続いていた。二人は考え込みながら、時折飲み物が入った杯を傾けるだけだ。
「”首狩り”アデルの暗殺はヴィーケン王国がやろうとしたんだろうね。失敗したみたいだけど」
沈黙を破り、ラーゲンハルトが独り言のようにつぶやく。
「……なぜ貴重な戦力を?」
ヒルデガルドが疑問を口にした。
「簡単だよ。ヴィーケンにとって脅威になったからさ」
「脅威に?」
「さっきの会話でわかったと思うけど、アデル君は自分で国を造るつもりだ。しかも彼は戦争の英雄。ヴィーケンとしては看過できないから暗殺しようとしたんだろう。独立するつもりがなかったとしても、自分たちに従わず脅威となる可能性があるなら排除したいだろうし。たまにいるんだよね、アデル君みたいに理想が高くて、組織に馴染めない子がさ」
「異種族にこだわっていたようですが……何か関わりがあるんでしょうか」
「あぁ、それはハーピーだと思うよ」
「ハーピー?」
「そう。なんか交渉したことがあるんだってさ。イイよねぇ、ハーピーなら僕も共存したいと思うよ」
「そ、そうですか……」
目を輝かせるラーゲンハルトに、ヒルデガルドはどう反応して良いかわからなかった。
会話が止まり、また沈黙が続いてしまいそうなのでヒルデガルドは話題を変えることにした。
「……兄上、助けてくださってありがとうございました」
ヒルデガルドがしおらしく頭を下げる。
「むしろもっと気を付けるべきだったよ。危ない目に合わせてごめんね」
「そんな……感謝しかありません。でも私たちは皇位継承の座を争っているのに、どうして助けてくださるのですか」
「それがそもそも間違いなんだよ。妹の危機を助けるなんて当然でしょ。本来なら手を取り合うべきなのに……まあ、だれもが認める”カザラスの未来”ジークムント兄さんが暗殺されちゃって、その次の継承権が僕なんかに移っちゃったのが争いの原因なんだけどね。僕もまさか兄上が暗殺されるなんて思っていなかったからさ。そして良くも悪くも帝国は実力主義。その上、第一皇妃の子である僕と姉上は父上に嫌われてる上に、僕と姉上は仲が悪い。そりゃ内紛も起きるよね。帝国と敵対する勢力が暗殺したのなら、これほど効果的な暗殺はなかったよね」
ラーゲンハルトはため息をついた。
「姉上は父上に好かれたくて必死だし、第二皇妃の子供たちは自分たちの劣等感から僕らを敵視してるし……帝国の事を考えて行動しているのは僕たちしかいない。まあ、君が僕のことをどう思っているかは知らないけど」
ラーゲンハルトはおどけて見せた。
「私を暗殺しようとしたのはユリアンネお姉様で間違いないのでしょうか」
「だろうね」
ヒルデガルドの言葉にラーゲンハルトは頷いた。
「国民に向けては言い訳できるかもしれないけど、レッドスコーピオなんて目立つもの使ったら、宮廷内では誰が犯人かなんて容易に推測できる。ダーヴィッデが肩入れしているのも、それをもみ消す権力があるのも、大本営に所属してて指示を出せる立場にいるのもユリアンネ姉さんだ」
ラーゲンハルトは両手を頭の後ろで組み、行儀悪く足をテーブルに乗せた。深く考え事をするときのラーゲンハルトの癖だ。
「だが悪い事に、姉さんは私利私欲で動く人じゃない。姉さんはとにかく父上の言いなりだからね。それが帝国のためになるかならないかはどうでもいい」
「父上が姉上に命令を?」
「可能性はあるってだけだけどね。父上が目的だけを姉上に伝えて、姉上の判断でその手段として君を暗殺しようとした可能性もある」
「それはイルアーナお姉様もおっしゃっていました。私の暗殺は目的ではなく、手段であると……」
「イルアーナお姉様? ずいぶんアデル君たちと親しくなったんだね」
ラーゲンハルトがニヤニヤと笑いながら指摘する。
「そ、そんなことはありませんけど……」
ヒルデガルドは顔を赤くして俯いた。
「それにしても、アデル君たちもなかなか頭が回るね。レッドスコーピオ自由騎士団が襲撃犯であることを黙っていることも考えてたんだよね? まさか僕と同じこと考える人がいるとは思わなかったよ。捕まえて突き出したところで、ダーヴィッデたちなら簡単に口封じ出来ちゃうしね。出来ればレッドスコーピオ自由騎士団は手元に置いておきたかったけれども……」
「しかし結局、何が目的なのかはわかりませんでした……」
「姉上は頭のいい人だ。これだけの危険を冒したからには、それ以上の見返りが見込めたはず。僕が考え付くのは戦意高揚と冒険者ギルドの解体だ」
「戦意高揚と冒険者ギルドの解体……?」
「ああ。まあ僕も悪いんだけど、ヴィーケン攻略は三度失敗していることもあるし、そもそもすでに帝国は広大な領土を持っている。国民の中にはもう戦争しなくていいんじゃないかと思っている者も多い。国民に人気がある君がヴィーケンに暗殺されたってことにすれば、その厭戦ムードを払拭できるかもしれない。そして冒険者ギルドの解体だ。どうして『無名の冒険者を護衛に』なんて指示があったのか不思議だったんだけど、それなら説明がつく。皇女の護衛に失敗した責任を問うつもりだったんだろう」
「でも、私が冒険者の護衛を雇わなかったら? 実際、アデルさんたちを雇ったのは兄上で、私は冒険者を雇うつもりはありませんでした」
「それはいいんだよ。どうせ皆殺しにして事実をでっちあげるんだから。その辺の冒険者から手帳をもらって、現場の死体の懐に入れれば事実の一丁上がりさ。なんなら暗殺自体もヴィーケンじゃなくて冒険者ギルドのせいにするつもりだったのかもしれないね。いや、ヴィーケンの依頼で、冒険者ギルドがやったことにするのか……うん、そっちだろうね」
ラーゲンハルトは一人で訂正して納得した。
「そ、そんな……」
「それを察知した冒険者ギルド側が、僕がアデル君たちを雇うように仕組んだのかもと思ったけど、さっきのギルド長の反応を見る限りそんなことなさそうだね。もしそうならさっきのタイミングで恩を売ってくるだろうし。とにかくヴィーケンも冒険者ギルドも、どちらも父上が潰そうとしてもなかなか潰れない相手だ。姉上が手段を択ばなかったのも父上の望みだったからじゃないかな」
「卑劣な……国を導く立場の者が道理をわきまえねば、範となりえません」
悔しさと怒りが混じった表情でヒルデガルドが呟いた。
「まあ姉上のやり方はどうかと思うけど、君も見習うところはあると思うよ。綺麗事ばかりじゃ、なかなか大事を為し得ないからね」
「なっ!? あ、姉上のやり方を見習えと!?」
ラーゲンハルトの言葉にヒルデガルドが感情的になる。
「君はちょっと杓子定規なところがある。法や規則に縛られ過ぎないで、もっと柔軟に考える力も必要だよ。法や規則は人々の生活を守るためにある。法や規則のせいで大事なものを守れなくなるのは本末転倒だ。もちろん悪い事せずに済めばそれに越したことはないけどね」
「そういうものでしょうか……」
ヒルデガルドは少し納得のいかない様子だった。
「そういうものだよ。例えば今回、君は『護衛は無名の冒険者を雇え』とか『期日内に着任する』とか何が何でも指示通りに従おうとしてたけど、それに反したところで皇女が重い罰を受けるわけがない。もちろんそれで相手にチクチク言う口実を与えるかもしれないけど、後で武勲を上げるなりなんなりして黙らせる方法はいくらでもある。それよりも君の安全の方が大事だよ」
「そう……ですね。そのせいでルトガー様が……私などの命よりも、ルトガー様のお命の方が大事なのに……」
ラーゲンハルトの言葉にヒルデガルドは目を伏せた。
「そんなことないよ。君は帝国にとってかけがえのない人物だ」
「そんな……私なんて……」
「僕は皇帝になるつもりだ。ジークムント兄さんの遺志を継いで、帝国を正しい方向に導きたいと思ってる。でもそれが叶わないときはヒルデガルド、君が皇帝になるべきだと思っているよ。君にはそれだけの能力や人望がある」
優しく語るラーゲンハルトに、ヒルデガルドはただ困惑するだけであった。
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