鞍替え(ノルデンハーツ)
誤字報告ありがとうございました。
ダグラムと同じくノルデンハーツも主を失っていた。しかもヒルデガルドと違い、エスカライザはノルデンハーツの領主でもあった。
「これからどうなってしまうんだろうな……」
ノルデンハーツの人々は不安げに話し合う。ダグラムと違い外敵の脅威には去らされていないがエスカライザの統治は住民からの評判も良く、皆がエスカライザが去ってしまったことを嘆いていた。
「そういや裏路地にある掲示板見たか? みんな帝国へ文句を言っているぞ」
ノルデンハーツにも匿名掲示板が設置されている。そこはすでに住民の書き込みでいっぱいになっていた。設置した掲示板が書ききれなくなれば工作員が新しい板を追加する予定だったが、それより先に住民の手によって新しい板が追加され、書き込みで埋まっている。
「あの掲示板か……見たことはあるけど、衛兵に見つかったらただじゃすまないぞ?」
「大丈夫だろ。衛兵たちが書き込んでいるのも見たぞ。それにこの程度で捕まえるんだったら、町中の住民を捕まえなければならなくなる」
「それはそうだな」
住民たちはそう言うと互いに笑いあった。
「まったく、勝手なことをしてくれたね! あたしらの生活をどう思ってんだい!」
一人の小太りな中年女性がギャーギャーとまくしたてている。”喚鳥”テレーゼ、黒鳥傭兵団を率いるガーラントの妻だ。黒鳥傭兵団はエスカライザに雇われ、ノルデンハーツの酒場兼宿屋を本拠地のようにしていた。
テレーゼの前には着飾った中年の紳士が座っている。端正な顔と引き締まった体からは貴族のような優雅さが漂っている。黒鳥傭兵団団長の”黒装”ガーラントである。その雰囲気と様々な冒険譚で社交界でも人気がある人物だ。もっともその冒険譚のほとんどは創作されたものである。
「思った通りだよ、あの女狐ども! やっぱり帝国を裏切ってたね! 帝国の正当な継承者がどうのこうの言っといてさ! あたしら善良な市民のことなんてどうでもいいのさ!」
テレーゼが甲高いながらもしゃがれた声で叫ぶのをガーラントは困ったような顔で聞き続ける。
「エスカライザ様や他の姫様方も、何かご事情がおありなのだろう」
「そりゃあるだろうさ!」
テレーザの話の隙を見つけて割り込んだガーラントを、再びテレーザが大声で遮る。
「借りにも帝位継承権のあるお偉い方々さ。それが帝国を裏切って、敵国であるダルフェニアに行くんだからね! さぞかしご立派な『ご事情』がおありになるんだろうさ! でもそんなこと知ったこっちゃないよ! こっちにだって事情はあるんだ。おかげで新人たちが給与がもらえないじゃないか、かわいそうに!」
よくもそれだけしゃべって喉が壊れないものだと不思議になるくらいテレーザはしゃべり続ける。
「おいおい、新人たちに給与を払わないつもりか? それはないだろう」
ガーラントが慌ててテレーザの話に割り込んだ。
「役に立たない奴らに金なんて払えないだろ! あたしがどんな思いでこの傭兵団を経営してるかわかってるんほかい? あんたが団員にいい顔できるのも、あたしが苦渋の思いで少ない運営費をやり繰りしているからなんだよ!」
テレーザがガーラントに指を突き付ける。その指には大きな宝石のはまった豪華な指輪がはめられていた。
「来る文句を言うならあんたが新しい金づるを見つけてごらんよ! 帝国はダメだよ! あいつら金払いが悪いからね!」
「確かにな……それにノルデンハーツを襲った化け物の件もある。教会が裏で糸を引いているという噂も本当なのかもしれん」
ガーラントは顎に手を当てて考え込んだ。
「ふん、化け物ねぇ。それならダルフェニアがとっくに使ってるじゃないか。いまさら化け物を使うのがどうこうなんて言ったって仕方ないじゃないか。正義とか善とか悪だとか、そんなものは全部まやかしさ。それが自分たちに都合が良ければ善、都合が悪ければ悪なんだよ。金を積んでくれるなら、悪魔だって天使に見えるさ」
テレーザが早口でまくし立てる。
「そ、そうか……金と言えばレーヴェレンツ商会はどうだ?」
「あそこは駄目だよ」
ガーラントの提案にテレーザは首を振る。
「親父の代は良かったけどさ。商会を改革するって親父を追い出したのは良いけど、エイムントの坊やがやったのは昔ながらのせこい商人の手法さ。金で貴族に取り入って特権をもらい、商売を独占する。兵の代わりに金を使って戦争してるようなもんだよ。ああいう奴らは取り入ってる貴族に兵を出してもらうからね。あたしらなんて雇わないし、雇うとしても安く買い叩かれるのがオチさ」
「ふむ、そうか……」
テレーザの言葉にガーラントは小さく唸った。
「では……ダルフェニアはどうだ?」
「ダルフェニア?」
ガーラントの言葉にテレーザは考え込む。
「あそこは紅蠍と金獅子がいるだろう? いまさらあたしらを雇ってくれるかね?」
「逆に言えば金払いは良いはずだ。エスカライザ様もいらっしゃるなら、口利きをしてくださるかもしれぬ」
話しているうちにガーラントも段々と名案に思えてきた。
「だけどダルフェニア側に向かうってことは帝国側から見れば敵側に付く気満々に見えるよ。まあ警備兵に金を積めば国境は超えられるだろうけどさ。一度向こうに行ったら帰ってこれないよ?」
「うぅむ、それはそうだが……しかし帝国側に我々を雇ってくれるような相手がいない以上、仕方が無かろう。それに帝国側で雇われれば、ダルフェニアの魔竜と戦うことになるかもしれん。帝都を襲うような怪物に、我々が太刀打ちできるか?」
「そうさねぇ。確かにそれなりの金じゃ割に合わないねぇ」
あくまでも金銭的な観点からテレーザはガーラントの話に頷く。
「そういやハーヴィルの残党も国の再建を目指して動いてるんだったね。まあ実際はダルフェニア軍の別動隊だろうけど、人手は欲しそうだねぇ」
「そうだろう?」
乗り気になったテレーザにガーラントは笑顔で頷く。
「そうと決まればさっさと動くよ。ぐずぐずしてないで、早く荷造りしな!」
そう言いながらテレーザは早くも貴重品を宝石箱に詰め始めた。
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