未来
オルティアが黒装束の男を連れて退室し、全員が給仕に飲み物を注文した。アデルは酒が飲めないのでキイチゴジュースを注文する。ヒルデガルドも同じものを頼んだ。フレデリカだけは「腹が減った」と鶏もも肉の丸焼きを注文していた。
「さっきのオルティアという女は知り合いか?」
イルアーナがラーゲンハルトに尋ねる。
「ああ。彼女はエルゾの冒険者ギルドの統括責任者さ。冒険者ギルド長に次ぐ、冒険者ギルドのナンバー2だと思っていい。聞いてるかもしれないけど、僕も昔は冒険者やっててさ。まあ腕はそこそこだけど、どうしても生まれがアレだからね。けっこう冒険者ギルド内では有名人で、ギルド長やオルティアちゃんとも顔見知りなんだ」
ラーゲンハルトが飄々と語る。
「冒険者やっていた時はジョンさんとして活動してたんですか?」
「ジョン? ああ、ロスルーでデルガード君に言ったやつか。あれはその場の思い付きで言った偽名だよ。本当に僕のことを知らないのかどうか、反応が見たくてね。デルガード君は微妙な顔してたけど」
「ははは……」
ラーゲンハルトの言葉にアデルは乾いた笑いで返すしかなかった。
「ところで、偽名と言えば君もそうなんだって? アデル君」
「あぁ、はい……えっ?」
笑顔のまま軽い口調でラーゲンハルトに言われ、アデルは思わず返事をしてしまった。
「アデルはあだ名だ。妹たちはその方が呼びやすいからな」
イルアーナがすかさず誤魔化そうとする。
「でもヴィーケンから来たんだよね? ヴィーケンのアデルと言えば”首狩り”アデルが思い浮かぶんだけど」
「『アデル』などヴィーケンにはたくさんいる。それに”首狩り”アデルとやらは死んだのだろう? 墓も建てられているぞ」
「ふ~ん。化け物みたいに強い『アデル』がヴィーケンには二人もいるんだね」
「二人で済むかどうかはわからんぞ。十人や百人いるかもしれん」
「そりゃ大変だ。あはは」
イルアーナの言葉にラーゲンハルトは笑って見せる。その時、部屋の扉がノックされた。
「どーぞー」
「失礼いたします」
ラーゲンハルトの許可の言葉とともに、給仕と一人の老人が部屋に入ってきた。
「ラーゲンハルト様、さきほど大きなネズミが部屋にいたとお聞きいたしました。ご迷惑をおかけいたしまして、誠に申し訳ございません」
老人は深々と白髪頭を下げた。年の割に背筋はしゃんと伸びており、頭を下げても震えたりしないことから相当鍛えられているようだ。その衣服は素材は良いものを使っているようだが、機能性重視で装飾などは施されていなかった。
名前:コンラート
所属:冒険者ギルド
指揮 94
武力 67
智謀 105
内政 78
魔力 36
(帝国ってすごい人ばっかだなぁ……)
コンラートの能力値にアデルはため息をついた。
「やめてよギルド長、そんな他人行儀に」
ラーゲンハルトは手をパタパタさせた。
「いえいえ、皇子様に対してそういうわけにはまいりません。これはご迷惑料でございます。どうかお納めください」
コンラートは何かがぎっしりと詰まった小袋をラーゲンハルトに差し出した。
「はいはい。ところで、どこから来たネズミなのかわかった?」
ラーゲンハルトが袋を受け取りながら尋ねる。
「それが……取り逃がしてしまいましてな。すばしっこいネズミです」
「そっかー。もしかして、巣に隠れちゃったのかもしれないね」
苦笑いをするコンラートにラーゲンハルトは嫌味を言った。
「ところで……皇子様と皇女様、それに ”千”のフレデリカ様……すごい顔ぶれですが、そちらのお二人は……?」
コンラートがアデルとイルアーナの顔を見ながら言った。
「そんなこと言いつつ、ギルド長なら知ってるでしょ?」
「はて……何のことでしょう?」
コンラートはまったく心当たりがない様子だ。
「ギルド長がご存じなくても当然ですよ、僕たち駆け出し冒険者ですから」
アデルが口を挟んだ。
「ほう、駆け出し冒険者……」
コンラートが興味深げにアデルたちを見つめる。
「……ギルド長、僕たち大事な話があるから、そろそろいいかな?」
ラーゲンハルトがコンラートの様子を見ながら言った。
「おお、これはお邪魔して申し訳ありませんでした。どうぞごゆっくりお寛ぎください」
給仕が飲み物と料理をテーブルに置くと、コンラートたちは部屋を出て行った。
「さて……じゃあ、これ報酬ね。アデル君」
ラーゲンハルトはコンラートから受け取った袋をそのままアデルに投げてよこした。
「え? これって金貨百枚入ってるんですよね?」
「数えてないけど、たぶんね」
「あ、ありがとうございます!」
アデルは顔を輝かせる。イルアーナに奢ってもらわなければならない生活からようやく抜け出せるのだ。
「ところで、アデル君。君はやっぱりヴィーケンの”首狩り”アデルなんだよね?」
「え?」
ラーゲンハルトの言葉にアデルが凍り付く。
「いい加減にしろ。我々のことは詮索しない。そういう約束だったはずだ」
イルアーナが抗議する。
「そ、そうですね。兄上、もうそれ以上はやめてください」
ヒルデガルドがラーゲンハルトを諫める。
襲撃後、アデルたちがエルゾまでヒルデガルドの護衛を続ける条件をいくつかヒルデガルドと話し合っていた。アデルたちのことを詮索しないこと、レッドスコーピオ自由騎士団が襲撃犯であることを隠すこと、そして全員の自由を保障することを約束したのだ。
「でもそれを約束したのはヒルデガルドでしょ? 僕は約束してないよ」
ラーゲンハルトは意地悪く微笑む。
「やめてください、兄上。そのような不義理は認められません」
ヒルデガルドは毅然とした態度で言った。
「なに? もしかして命の恩人に惚れちゃったりしたの?」
「そ、そんなことではありません!」
茶化すラーゲンハルトにヒルデガルドは顔を真っ赤にして否定した。
「ふ~ん……まあいいや。じゃあさ、僕のとこで働かないかい? いい金額出すよ」
「え? え?」
ラーゲンハルトの申し出にアデルは困惑した。
「た、大変ありがたいんですが、ちょっと別の用がこの後ありまして……」
「じゃあそれが終わったら来てよ」
「そ、それは……う~ん……」
アデルは言い淀む。しかしやがて意を決した表情でラーゲンハルトに聞き返した。
「ラーゲンハルトさんは帝国のことをどう思っていますか?」
「帝国? う~ん、ずいぶんと漠然とした質問だね」
「その……他国を侵略していることについてとか……」
「一つの国家が世界を統一できれば争いは無くなるし、兵も少なくて済むから税が減って、国民の暮らしも豊かになる。まあ為政者がちゃんとしていれば、だけどね」
「でも抵抗勢力とかもいるんですよね?」
「まあやっぱり他国に侵略されるっていうのは面白くないよね。特に貴族や王族、元の国で特権的な位置にいた者たちはね。でも併合された国の人たちも概ねは従ってくれているよ」
「異種族に関しては滅ぼすべきだとお思いですか?」
「個人的には帝国のルールに従えるのであればいいんだけど、そもそもの文化が違うからなぁ。もうちょっと話し合いは試みるべきだとは思う。しかし相容れないのであれば、最終的には滅ぼすしかないんじゃない?」
「そうなんですか……」
アデルは考え込んだ。
(話を聞く限り帝国は多くの人にとって悪い国ではないのかもしれない……でも残念ながら、ダークエルフは「相容れない」方に入ってしまう……)
「ごめんなさい、やっぱりラーゲンハルトさんの所では働けません」
アデルはラーゲンハルトに頭を下げた。
「そっか……アデル君はどういう国ならいいの?」
「え?」
唐突なラーゲンハルトの質問にアデルは面食らう。
「僕にばっか質問してズルいじゃん。アデル君も教えてよ」
「僕は……みんなが安全で、豊かで、自由に生きられる国がいいなと」
「それは帝国も当然目指すところだよ」
「で、でも、僕は自分の国のルールに従えないからと言って、他の国や異種族を滅ぼしたり支配する気はありません」
「相手の国が敵対的だったらどうするの?」
「そ、それは戦うしかないのかもしれませんけど……でも安易に武力に頼りたくはありません。出来る限りは話し合いで解決したいです」
「じゃあ逆に隣の国が敵対的ではないけど、その国民が圧政で苦しんでたらどうする?」
「えぇっ!? そ、それは征服して苦しんでる人たちを助けてあげるかなぁ」
「ふ~ん……自由って言うけど、自分の国民で他国の方がいいって言う人がいたらどうするの?」
「それはその国に行かせてあげればいいかと」
「その数が多かったり、有力者がみんな行っちゃったりして滅亡しそうになったら?」
「そ、そうなったら……う~ん……滅亡しても仕方ないのかな……」
「なるほどねぇ。話を聞いてると、国というより自由な民の共同体みたいな印象だけど、それで必要な軍事力とか財政が確保できるの?」
「……やっぱり無理ですかね?」
「難しいね。でも不可能かと言われるとわからない。実現出来たらいい国だと思うよ」
「あ、ありがとうございます」
アデルは頭を下げた。
「……それで、僕たちは戦うことになるのかい?」
不意にラーゲンハルトがそう投げかけた。
ラーゲンハルトの目はいつもの茶化す様子ではなく真剣だった。
「……そうですね、恐らくは」
「僕が勝ったら従ってくれるかい?」
「……もし異種族を受け入れてくれるのなら」
「そっか。じゃあ楽しみにしてるよ」
ラーゲンハルトは右手を差し出す。アデルは戸惑いつつも、その手を握り返した。
その後はしばらくたわいもない会話が続いた。とは言っても、ほぼほぼラーゲンハルトがしゃべっていたのだが。
「イルアーナ……様、ルトガー様のご遺体はどれくらいもちますか?」
「ん? あぁ、恐らくあと数日といったところだろうな」
ヒルデガルドの問いに、若干戸惑いつつもイルアーナが答えた。
ルトガーの遺体とラーゲンハルトの部下の遺体にはポチによって腐敗防止の魔法が掛けられていた。リョブたちとイーノス商隊の遺体はこのままエルゾで埋葬されることになっている。
「ルトガー様は僕が帝都のイルスデンに運ぶよ。また呼び出しも食らってるし、今回の件の報告もしなきゃいけないからね」
ラーゲンハルトがヒルデガルドに言った。
「お願いします、兄上」
ヒルデガルドは軽く頭を下げた。
「すいません、じゃあ僕らはそろそろ……」
「ああ、もう行っちゃうの?」
暇を告げるアデルに名残惜しそうにラーゲンハルトが言った。
「あたしらが襲撃したってことを隠してくれてありがとよ。おかげで死んだ部下が国賊として晒し首にならずに済んだよ」
フレデリカが唇についたソースをナプキンで拭きながら言う。
「覚えてたらいつかこの借りは返してよね。それより、本当にアデル君についていくの? うちならいい待遇で迎えるよ」
ラーゲンハルトがにこやかに言った。
「あんたの下で? 鼓膜が過労死しちまうよ。それにアデルは単純でお人好しだからね。利用させてもらって、ヤバくなったらいつでも裏切れる」
「あの……そういうこと、本人の前で言うもんじゃないと思うんですけど……」
フレデリカの言葉にアデルは苦笑いをする。
「もう……お別れなんですね」
ヒルデガルドが胸に手を当てながら俯いて言った。
「ヒルデガルドさん、お世話になりました」
アデルはヒルデガルドに頭を下げる。
「いえ、こちらこそお世話になりました」
消え入りそうな声でヒルデガルドも頭を下げる。
「じゃあまた今度ね」
ラーゲンハルトが友達にでも挨拶するかのように手を振った。
そしてアデルたちは部屋を出て行った。その背中を、ヒルデガルドは瞬きもせず見つめていた。
(さっき冗談で言ったけど、これは本当に……)
そんな妹の様子をラーゲンハルトは横目で見ながら思った。
(……また、お会いできますよね?)
ラーゲンハルトに見られているとは露知らず、ヒルデガルドはアデルたちが出て行った扉をいつまでも見つめていた。
(イルアーナお姉様……)
お読みいただきありがとうございました。