ネズミ
ヒルデガルドたちがガスパーと顔を合わせているとき、アデルたちは冒険者ギルドへと向かっていた。エルゾはロスルーほどの規模ではないが大きな町で通りには活気があふれている。町は石壁で囲まれており、町の一角にはカザラス兵が駐留する小規模な砦が建てられていた。この砦はカザラス帝国に編入されてから作られたものだ。城門や領主の屋敷に併設された兵舎だけでもかなりの人数を収容できるが、カザラス帝国はさらに町の軍備を増強した。
エルゾは表向きは自治領として自治を認められているが、カザラス帝国は多数の兵を置くことでこの町に圧力をかけている。その原因がアデルたちの前に現れた。
「これが冒険者ギルド……!?」
「まるで城だな」
アデルたちはその大きさに圧倒される。小さな町なら収まってしまうのではないだろうか、その広大な敷地に石造りの重厚な建物が作られている。出入り口からはひっきりなしに冒険者が出入りしていた。ここは冒険者ギルドの本拠地。世界の表と裏で暗躍する最大の中立組織であった。
中に入ると広いロビーになっていて、要件ごとに分かれた窓口がいくつも並んでいる。その前にはベンチやテーブルが置かれ、大勢の冒険者であふれていた。「最新・注目依頼」と書かれた大きな掲示板はあるが、通常の依頼書が貼られる掲示板はない。その掲示板には冊子のようなものが何冊も置かれたテーブルが並んでいる。どうやら掲示板には貼り切れないほど依頼があるため、冊子状にしてあるようだ。地域別、依頼内容別、難易度別と、依頼が探しやすいように何種類か冊子が作られていた。
人通りが多いので、はぐれないようにイルアーナがポチとピーコの手を握った。案内板を見ると酒場だけでも三軒ある。さらに中庭に軽食を売っている屋台と、上階の方には酒を飲むためのバーがあるようだ。ヒルデガルドたちとはのちほど三軒の酒場のうちの一つ、「ほろ酔いドラゴン亭」で落ち合うことになっている。レッドスコーピオ自由騎士団の者たちは町の酒場を貸し切り状態にして騒いでいる頃だ。
アデルたちはギルド内に置かれている武具屋に向かった。アデルは戦いで使ったクナイとダーツを回収しようとしたが、フレデリカが剣で弾いたクナイが一本見つからず、ダーツは二本折れてしまっていた。その補充に来たのだ。ダーツはそれっぽいものがあったが、クナイなど売ってなかったので普通に投げナイフを買った。ついでに矢もサイクロプスを倒してから回収できなかったため、木製の物を数本買い足した。
「意外と高いんですね」
アデルは矢の値段を見て呟いた。猟師時代は自分で作っていたし、マザーウッズではタダでもらえたので、買うのは初めてだった。
「まあこんなものだ。軍で使うものはばら撒くことが目的なのである程度命中率が低くても構わぬが、冒険者が使うものは敵に当たらなければ自分が危うくなることもある。なので必然的に高級品になるのだ」
イルアーナがアデルに教えた。今回もイルアーナの奢りだ。アデルはぺこぺこと頭を下げる。
まだヒルデガルドたちは来ていないが、アデルたちは先にほろ酔いドラゴン亭に入る。ヒルデガルドたちとの話し合いが終わればエルゾを発つ予定なので、食事を済ますことにした。
「ほれにひても、人間はまんれもはべうのばま」
エルゾ名物、大エスカルゴを噛むのに苦戦しながらピーコが言った。こぶし大のカタツムリである大エスカルゴは食感は弾力を強くしたアワビのようだ。もっぱら動物を狩って食べていたピーコにとって、人間の食事は食べたことがない物ばかりであった。
バリッ、ボリッ……
凄い音がするのでアデルが横を見ると、ポチが大エスカルゴを殻ごと食べていた。
「ポチ、エスカルゴは中身だけ取り出して食べるんだよ」
「ふ~ん。でもめんどくさい」
アデルは横からポチの大エスカルゴの中身を取り出してあげた。
「帝国の統治になってから冒険者ギルドは活動しにくくなっていると聞いているが……それでもずいぶん活気があるな」
イルアーナが辺りを見回す。まだ昼だというのに酒場は八割ほど埋まっていた。
「帝国は冒険者ギルドを厳しく取り締まってる、とかヒルデガルドさんも言ってましたよね」
アデルがセロリをしゃりしゃりと食べながら相槌を打つ。
「戦争しながら内紛して抵抗勢力を潰しながら冒険者ギルドまで敵に回す……それだけ戦力に余裕があるのか、理性を失っているのか……帝国はよくわからんな」
イルアーナは呆れたようにつぶやいた。
「お・ま・た・せ!」
するとアデルの背後から陽気な声が聞こえた。振り向くと、ラーゲンハルト、ヒルデガルド、フレデリカ、そしてエマとヴィレムが近づいてくるところであった。
「お、お帰りなさい!」
アデルは立ち上がり、緊張の面持ちで迎える。なにせ皇族が二人もいるのだ。
「奥に個室を取ってあるんだけど、デルガード君とイルアーナちゃんだけで来てもらってもいいかな? ピーコちゃんとポチちゃんはエマとヴィレムが一緒についてるからさ」
ラーゲンハルトがにこやかにしゃべりかける。
「は、はぁ……」
アデルはポチとピーコのほうを見る。
「別にいいよ」
「はまわんほ」
二人の了承を得て、アデルとイルアーナはラーゲンハルトたちについて店の奥へと進んだ。
酒場の奥に設けられた個室のひとつにラーゲンハルトたちは入って行く。一般席の喧騒とはうって変わって静かな一角だ。高貴な人間に用意された者か、それとも密談用なのだろうか。
部屋には八人が掛けられる大きなテーブルが置かれており、片側にラーゲンハルトとヒルデガルド、反対側にアデル、イルアーナ、フレデリカが座ろうとした。
(ん……?)
席に着こうとしたアデルは違和感を覚える。壁に人の気配があるのだ。
(隣の部屋かな……? それにしては近い気が……)
アデルは壁の方をジロジロ見つめる。
「やはり感じるか?」
イルアーナが隣でつぶやいた。
「あ、イルアーナんさんもですか? やっぱりいますよね……」
アデルは壁の板をコンコンと叩いてみる。板は薄く、隙間があるようだ。
「どうかしたかい?」
ラーゲンハルトが不思議そうに尋ねる。
「いえ、誰かいるようなんですけど……あっ、もしかしてラーゲンハルトさんが潜ませてました?」
アデルが壁を指さしながら返事をする。
「そんなことしないよ」
アデルの言葉に心外だという顔をしながらラーゲンハルトは剣を抜いた。
「あ……」
そしてアデルが止めようとする前に、壁に向かって剣を突き立てる。
「ひぃ! ま、待ってくれ!」
壁の板が外れて中から黒装束の男が飛び出した。ラーゲンハルトが剣を突き立てたすぐ近くだ。
「誰の差し金だい?」
ラーゲンハルトは腰を抜かして座り込んでいる男を冷ややかに見下ろしながら、剣を向けた。
「そ、それは言えないんだ! わかるだろ? 殺されちまう!」
「言わなきゃ、今死ぬよ」
ラーゲンハルトは男の頬に剣を当てる。
「や、やめてくれ! こんなことで死にたくねぇ!」
「ラ、ラーゲンハルトさん、この方は冒険者ギルドの人みたいですよ」
アデルがラーゲンハルトを抑えながら言った。
「ん? なんでわかるの?」
「え? な、なんでと言われましても……」
所属がそうなってたから、とは言えず、アデルはしどろもどろになった。その時――
「どうかされましたか?」
部屋の入り口に不気味な黒い影――いや、黒いドレスを着た美女が現れた。肌はやや浅黒く、長い黒髪を後ろで束ねてポニーテールにしている。丁寧な言葉遣いとは裏腹に、目つきは冷たく鋭く、突きさすようにアデルたちを睨んでいた。
名前:オルティア
所属:冒険者ギルド
指揮 49
武力 92
智謀 95
内政 83
魔力 41
(なんかすごい人が出て来たな……)
オルティアの視線に気圧されてアデルは後ずさった。
「これはこれはオルティアちゃん。久しぶりだね」
ラーゲンハルトが笑顔で手を振る。
「ラーゲンハルト様、ご無沙汰しております」
オルティアは丁寧なお辞儀を見せる、だが表情は冷たいままだった。
「困るんだよね。食事を楽しみたいのに、こんな大きなネズミが出ちゃってさ」
ラーゲンハルトは黒装束の男に剣を突き付けたまま肩をすくめる。
「大変失礼いたしました。その者の処分はこちらで行いますので、お引き渡し頂けますか?」
「それはずいぶん調子がいいんじゃない? 君らが仕込んだ間諜でしょ?」
「それは情報を引き出してみないとわかりません。ご迷惑料として金貨百枚お支払いいたしましょう」
まったく表情を変えぬままオルティアはラーゲンハルトと話を進める。
「き、金貨百枚!?」
聞きなれぬ金額にアデルは思わず声を上げた。
「ラ、ラーゲンハルトさん、いいじゃないですか。金貨百枚あったら……え~と、ほら、いろいろ出来ますよ!」
アデルは一人興奮した。他にその金額で取り乱す者はこの部屋にはいなかった。
「わ、わかったよ、デルガード君」
ラーゲンハルトは苦笑いして剣を納める。黒装束の男がほっとため息をついた。
「じいさんによろしく言っておいてね」
「承知しました。ありがとうございます」
最後にラーゲンハルトとそれだけ言葉を交わすと、男を連れてオルティアは去っていった。
「儲けちゃいましたね、ラーゲンハルトさん」
「……そうだね」
ウキウキしているアデルにラーゲンハルトは頷いた。
(間諜一人の命と引き換えに金貨百枚なんて安いものだ。それよりも冒険者ギルドが僕らの会話を盗み聞きするために間諜を仕込んでた、ってことがバレることの方が冒険者ギルドにとっては痛手なんだけど……そういうことまでは頭が回らないタイプなのか……)
席に着きながらアデルを見てラーゲンハルトは考える。
(それにしても……壁の向こうの敵の位置をずいぶん正確に把握していたな。君は一体、何者なんだ……?)
お読みいただきありがとうございました。