”破厄”のリョブ
ヒルデガルドの襲撃地点から少し離れた空地。月明かりで薄く照らされた複数の人影がある。人目を忍ぶためか黒い外套を羽織っているが、その下には物騒な鎧と剣が見え隠れしている。彼らは帝国第四平定軍団長ダーヴィッデの側近、リョブとその部下たちである。リョブは細目で銀髪をオールバックにしている壮年の男だ。剣の腕と管理能力を買われ、ダーヴィッデの命令を適任者に伝達する役目を負っている。
傍らには数頭の馬と馬車が五台。この馬車はフレデリカたちレッドスコーピオ自由騎士団をここまで運んできたもので、今は空になった酒樽と少量の荷物だけが置かれている。リョブたちはそこで、ある人物を待っていた。
やがて森の中からひとつの人影が姿を現す。それはレッドスコーピオ自由騎士団の団長、”千”のフレデリカであった。フレデリカはリョブたちの姿を見つけると、疲れ切ったようにフラフラと近づいていく。しかしその瞳は味方に向けられるものではなく、殺気のこもった瞳であった。
「ずいぶん時間がかかったな」
リョブが尊大な態度でフレデリカに話しかける。
「……どういうことだい?」
フレデリカは怒りを押し殺し、低い声でリョブに尋ねた。
「どうした、何かあったのか?」
リョブはからかうような口調で言った。
「部下が……みんな倒れちまった。あの酒……あれに毒が入ってたんだろう?」
フレデリカたちは出発前に、験担ぎの酒を振舞われていた。フレデリカはアデルたちが毒をばら撒いたのではと疑ったが、部下全員が倒れたにも関わらず、一番相手が倒したいはずの自分が狙われていないのは不自然だ。そう考えると、部下全員が毒を盛られるタイミングはそこしか考えられなかった。
「美味かっただろう? 皇女殿下暗殺など大それたことをしたのだ。口封じをしないわけには行かん」
リョブは嘲笑を浮かべていた。
「どうしてあたしには毒を盛らなかったんだい?」
フレデリカも酒を飲んでいたが体調に変化はない。酒自体にではなく、器の方に仕込まれていたのだろう。
「これは忠告も兼ねている。お前らなどダーヴィッデ様がその気になれば簡単に殺せるのだ。お前は自分が気に入らぬことはしないし、ダーヴィッデ様の夜のお誘いにも応じぬ。今後は黙って従うのであればダーヴィッデ様はお前を雇い続けるとおっしゃってくださっているぞ」
「ふざけんじゃないよ! 大人しく従う部下が欲しいなら、違うやつを雇えばいいだろう。大金払ってまであたしを雇ったのに殺すなんて馬鹿なのかい?」
フレデリカは今にもリョブに掴みかからんばかりの勢いだったが、リョブの部下がすっと二人の間に割って入る。
「ダーヴィッデ様はお前らの能力を高く評価してくださっていたのだぞ。他の者に仕えられるくらいなら、処分した方が良い。そして今回、ちょうど良い機会が来た……お前たちを有効活用した上で処分する機会がな」
「大事な部下を殺されて、あたしが素直に従うと思うのかい?」
「いいや、念のため確認しろと言われただけだ。なんせお前には大金を払っていたからな。」
リョブが指を鳴らすと、その部下たちが腰の剣に手をかけ、リョブの脇に並んだ。
「待った、最後に教えてよ。どうしてヒルデガルドを暗殺したかったんだい?」
「ん? なぜ今さらそんなことを気にする? お前は報酬と護衛の数しか気にせず、こちらの目的などどうでもよいと言っていたではないか」
「事情が変わったんだよ。死ぬ前に教えてくれてもいいだろう?」
「断る。ヒルデガルド様暗殺の犯人、”千”のフレデリカ! この”破厄”のリョブが成敗する!」
リョブは腰から剣を抜く。彼の部下たちもそれに倣って剣を抜いた。
「”千”のフレデリカを倒したとなれば、私の名も上がるな」
リョブは卑しい笑みを浮かべる。
「やれやれ。十対一で勝って嬉しいかい?」
フレデリカは呆れ顔でリョブを見つめた。リョブは十人の兵を連れて来ている。なので正確には十一体一だった。
「ふっ、有利な状況で戦うのも将としての力量だ」
「そうかい、それじゃあ最初から勝負はついてたね」
フレデリカは剣を構えることもなく、横を向くと歩き出した。
「おい、どこへ行く! 逃げるつもりか!」
「逃げたりはしないよ。あたしがここにいたら邪魔だからね」
「ん? 何を言って……」
リョブが言い終える前に、森から放たれた大量の矢がリョブたちを襲った。いくつもの悲鳴が夜空に吸い込まれた。
「な、なんだこれは……!?」
太ももに矢を受けたリョブが尻もちをつく。続いて森から幾人もの男たちが飛び出した。レッドスコーピオ自由騎士団のメンバーだ。
「お、お前たちは……なぜ生きている!?」
リョブが驚きの声を上げる。逃げようとしたリョブの部下もいたが、すぐに斬り捨てられてしまった。
「へへっ、サソリが毒で死んでたまるかよ」
リョブの部下の始末を終えたレッドスコーピオ自由騎士団がリョブを取り囲む。
「ま、待て、頼む! 助けてくれ!」
さっきまでの態度が嘘のように、リョブは命乞いを始める。
「そう言われてもねぇ……その矢にはあんたらが用意してくれた毒が塗ってあるからねぇ」
フレデリカの言葉にリョブの目が見開かれる。
「げ、解毒剤は!?」
「……誰がどうしてヒルデガルドを殺したかったのか教えなよ」
フレデリカは胸元から小瓶を取り出すと、それをリョブに見せびらかすように振って見せた。
「し、知らない! 本当に知らないんだ! 俺はダーヴィッデ様に命じられたことをしているだけで、何も聞かされていない!」
リョブは必死の形相でフレデリカに訴えかける。
「ふ~ん……わかったよ」
フレデリカは持っていた小瓶をリョブに向かって投げる。リョブはすぐさまその蓋を開け、中身を一気に飲み干した。だが……
「うっ……ごふっ!」
途端にリョブは胸を押さえ、口から血を吐き出した。中身は猛毒だったのだ。
「だ、だましたのか……」
「誰もそれが解毒剤だなんて言ってないよ。あんたが勝手に飲んだんだろう?」
痙攣しながら徐々に光を失っていくリョブの瞳を、フレデリカたちは冷たく見下ろしていた。
お読みいただきありがとうございました。