”千”のフレデリカ
(おかしいね……何が起こってるんだい……?)
”千”のフレデリカことフレデリカ・ルインテールは苛立ちを隠せなかった。楽な仕事だったはずだ。皇女ヒルデガルドの暗殺。そう聞いたときはとんでもないことをやらされると思ったが、多額の報酬と、無理と判断したときは中止するという条件でフレデリカは渋々引き受けた。汚れ仕事はこれが初めてではない。
貧乏貴族の家に次女として生まれたフレデリカは両親から可愛がられて育った。有力貴族に嫁ぐことが決まっていた姉も美人であったが、それ以上の器量良しになると期待されていた。また珍しい赤毛であったこともあり、幼いころから金持ちたちの「予約」が殺到していた。
姉が嫁ぐ数日前の夜、泣きながらフレデリカに「あなたは逃げなさい」と語ってきた。フレデリカは恐怖に怯え、姉の言うことを聞いて家を飛び出した。そこからは必死だった。泥水をすすり、残飯を漁り、時には「女」を売った。だが他人の所有物になることだけは絶対に拒絶した。
荒事などの経験を通じ、自分に武の才能があることに気付いたフレデリカは鍛錬を重ね、やがて武術大会で優勝するほどの力を付けた。有力者たちはこぞってフレデリカを雇おうと大金を積んだ。彼女の武力と「女」を求めて。しかし彼女は誰かに仕えたり、嫁ぐということはせず、あくまでも期限付きの契約しかしなかった。誰かの物になるのは真っ平だったからだ。
いまでも時折、フレデリカは悪夢にうなされる。夢の中でフレデリカを苦しめるのは幼いころに見た姉の顔だ。フレデリカに家を出るように言った姉の顔は、普段の美しい顔の姉と同一人物とは思えないほど腫れて痣だらけになっていたのだ。初夜を待ちきれない婚約者に抵抗し、乱暴されたのである。
(あたしは死ぬまで遊んで暮らせるほどの金を自力で貯めて、一生自由に暮らすんだ……!)
いつしかフレデリカの周りには、その腕と美貌に魅入られた荒くれ者たちが寄ってくるようになった。その中から腕の立つ者だけを選び抜き、創られたのがレッドスコーピオ傭兵団だった。人数こそ少ないものの個々の戦闘力は高く、すぐに評判となった。
フレデリカの異名の”千”とは、兵士千人に匹敵する力を持っているとか、一戦で千人の敵兵を殺した、などが由来と一般には広まっている。しかし実際は契約金として金貨千枚を要求することから有力貴族の間で広まったものだ。現在のフレデリカの雇い主はダーヴィッデ・ロベルト侯爵。帝国第四平定軍の軍団長だ。元々は旧エレンツィア王国で商人をしていた男で、金に困っていた侯爵家に婿入りすることで貴族となった。帝国がエレンツィア王国に攻め込むと早々に寝返ったため、旧エレンツィア王国民からはすこぶる評判が悪い。
フレデリカは武術大会で優勝した際に騎士爵を与えられていたが、さらに傭兵団の幹部にもダーヴィッテの口利きで騎士爵を与え、レッドスコーピオ傭兵団をレッドスコーピオ自由騎士団に改名した。この噂を聞いた腕の立つ者が出世を夢見てフレデリカのもとに集まることになり、いまやレッドスコーピオ自由騎士団は最強の傭兵部隊としてその名を知られている。
(やっとここまで来たんだ。邪魔はさせないよ!)
ヒルデガルド一行の情報は間者の手により筒抜けだった。護衛は側近と素人がほとんどの商隊、そして数人の駆け出し冒険者。しかもそのうち二人は子供だという。イーノス商会がモンナを出発したと聞き、あらかじめ襲撃地点近くに待機していたフレデリカは部下に号令をかけた。
フレデリカたちの出発の前に、ダーヴィッデの側近、リョブからレッドスコーピオ自由騎士団に験担ぎに酒が振舞われた。酒には悪い気を浄化する力があるとされているため、出陣前によく行われる風習だ。もちろん金があればだが。普段は守銭奴と言われるダーヴィッデだが、使うべき金は惜しまない。彼が商人として大成した所以でもある。
フレデリカたちの作戦は完璧なはずだった。道の脇の大木に切り込みを入れ、先頭の馬車が通る際に馬車に向かって倒す。出来れば破壊、最悪でも進路をふさいで足を止めることはできるはずだ。相手が停止したところで、護衛が乗った二台目とヒルデガルドの乗った3台目を毒矢で同時に攻撃、残りの商隊員はどうとでもなる。逃げられたところで、背後から追わせている部下が始末する。
だが実際はアデルが気付いたことで商隊は手前で停止。想定より距離が遠くなり命中率や威力が落ちることを踏まえ、フレデリカは仕方なく三台目のみ集中攻撃することを部下に命じたが、なぜか標的のヒルデガルドが乗っていたのは二台目で、しかも早々に森に隠れてしまった。
しかし想定外とはいえ、少し手間が増えただけだとフレデリカは思っていた。部下は精鋭ぞろいだ。しかも相手は負傷者を抱えているし、矢が掠っているだけでも相手には毒のダメージがある。ダーヴィッテが調達した毒は高価だが強力だ。元商人で冒険者ギルドとも取引をしていた彼は、こういった裏の商品にも詳しい。もはや相手にはまともな戦力はないはず。フレデリカはそう判断して部下を進めた。
ところが何かが飛んできて一瞬で二人の部下が傷を負った。フレデリカにもその何かが飛んできたが、寸前で剣で弾き無事に済んだ。威力と速度からしてクロスボウだとフレデリカは判断した。咄嗟の襲撃に備えて準備していたのだろう。だとしても再装填には時間がかかる。敵の最後のあがきだ。両側から回り込んだ部下がすぐに敵を仕留めるだろう。
そんなフレデリカの予想は打ち砕かれた。回り込んだ部下も何かによって次々と倒れていく。他の部下に救出を命じ、運ばれてきた負傷者を見たところ毒を塗ったダーツが刺さっていた。
(相手も毒の用意を……!?)
フレデリカには毒の種類は判別できなかったが、致死毒だったら部下の命が危ない。フレデリカは部下を何人か割いて負傷者の救出と手当を命じた。
(嫌な予感がするねぇ……)
剣での戦いを名誉とする騎士は、毒もクロスボウも卑怯な武器として使わないことが多い。ということはフレデリカの部下を倒したのはヒルデガルドたちではなく、冒険者たちということになる。間諜の報告では女子供と弱そうな男が一人という話だった。そしてフレデリカの嫌な予感は当たり、反対側から相手を挟み撃ちにしようとした部下数名が奇妙な攻撃魔法で倒れるのが見えた。
「……そういうことかい」
フレデリカは何かを悟ったように唇をかみしめる。周りを見回すと部下たちが冷や汗をかきながら敵がいるほうを睨んでいた。幾度となく戦場を潜り抜けてきたはずの彼らが、まるで新兵のように緊張している。相手の異常さを感じ取っているのだろう。
フレデリカは部下を大切に思っている。なかなか替えが効かない優秀な部下であることはもちろんだが、フレデリカと似たような恵まれない環境で生き抜いてきた者がほとんどで、兵士や騎士相手にはない親近感があった。また団員側も命を金で売るような生活をしてきた中で、自分たちを大切にしてくれるフレデリカに忠誠を誓っていた。
そんな部下が何人もやられている。いまさら中止ができるわけがない。フレデリカは己の闘志を掻き立てた。
( ”千”のフレデリカの力、見せてやろうじゃないか!)
相手には魔術師がいるようだが詠唱には時間がかかるはず。やるなら今だ。フレデリカはそう思い、剣を構えなおした。
「お前たち、行くよ!」
「おう!」
フレデリカは周囲にいた四人の部下に声をかける。部下からも威勢の良い返事が返ってきた。フレデリカの強さを誰よりも知っている彼らは、フレデリカ自身が戦って負けるわけがないと信頼していた。前後に二人づつ、フレデリカを囲むように部下が守りを固める。その時、冒険者の少年も木陰から飛び出し、剣を手にフレデリカに向かって走り出した。
(詠唱の時間稼ぎか。それで何秒稼げるつもりなんだか……)
笑みを浮かべたフレデリカであったが、その笑みはすぐに凍り付いた。フレデリカの前には二人の部下がいるが、アデルは躊躇なくまっすぐフレデリカに向かって突進していた。
(捨て身で相打ちの持ち込むつもりかい? 狙いはわかるが……)
フレデリカはアデルの剣を受け止める用意をした。一度動きを止めてしまえばすぐに前にいる部下二人がすぐに少年を仕留めるだろう。部下二人もアデルの狙いがフレデリカと悟ったのか、間を詰めてフレデリカへの進路を塞いだ。そこへアデルが突っ込む。
「あがっ!」
「ぐっ!」
二つの苦悶の声が上がる。アデルが二人まとめて剣で水平に薙ぎ払ったのだ。一人目はその速度に対応できず、わき腹を斬られた。二人目はどうにか剣で受け止めたが、アデルは剣を滑らせると薙ぎ払いの勢いそのままに体を回転させ、回し蹴りを放った。アデルの剣の力に押され体が伸び切っていたため抵抗もできず吹っ飛ばされる。
(な、なんだい、こいつは!?)
さらにアデルは蹴りの反動を利用して間髪入れずフレデリカに向かってきた。フレデリカも咄嗟に反応し、剣を横殴りに振り回す。
「おわっ!」
アデルは体を後ろに倒し、スライディングするように剣の下を掻い潜った。
(後ろに回られる!)
アデルが後ろから攻撃してくると予想し、空振りした剣をそのまま振り回し体を回転させた。こうすれば剣の遠心力を利用し回転が速くなるうえに、振り回した剣が相手を攻撃の間合いに入れなくさせる。しかしフレデリカが予想した位置にアデルはいなかった。
「えっ?」
後ろを向いたフレデリカが見たのは、アデルに斬られて倒れる後ろにいた部下二人の姿だった。アデルはフレデリカを無視し、剣を掻い潜った勢いのまま違う標的に襲い掛かったのだ。
(なんて無茶苦茶な戦い方だい……)
複数人を相手にする場合は出来るだけ一対一で一人づつ倒していくのが定石だ。ところがアデルは戦っている相手を放り出して違う二人に向かうという変幻自在な戦い方をしている。もっとも、戦いの訓練など特に受けていないアデルからすれば、その時攻撃しやすい相手を攻撃しただけなのだが。それに一人で複数を相手にするのなど、ゲームではよくあることだ。
「姉御!」
離れていたところにいた部下の数人が事態を察知してフレデリカの元へ駆け寄ってきた。
「あんたたちは手を出すんじゃないよ。こいつはヤバイ。あたしが相手するから負傷者を運びな」
「は、はい」
部下に指示を出しつつ、フレデリカはチラっと負傷者に目をやる。
(良かった……致命傷じゃ……)
周囲に倒れた四人を確認したフレデリカは驚愕した。
(まさか、こいつ……この状況で手加減しているのか!?)
フレデリカは冷や汗をかきながらアデルを睨みつけた。手加減というのは実力差がなければできないものである。
「何者だい、あんた?」
フレデリカはアデルに問いかける。
「あ……」
アデルは何か考えている。
「どうした? 答えにくいのかい?」
「ええと……それもそうなんですが……話している途中に攻撃したりします?」
「は?」
「いや、前にそういうことをする相手がいまして……」
「……ずいぶんとセコい相手だね」
「あ、やっぱりそう思います?」
アニメや漫画でも戦闘中にしゃべるシーンがよくあるが、実際に話しかけられると返事をしてしまうのが人間らしい。
ドサッ……!
フレデリカとアデルが会話をしていると、何か重いものが倒れる音がした。二人が音の方向を見ると、フレデリカの部下の一人が倒れていた。顔面蒼白で息遣いは荒く、汗が滝のように流れている。
「どうした!?」
フレデリカが倒れた部下に駆け寄る。
「す、すまねぇ……なんだか気分が悪くなって……」
倒れた部下は弱々しい声でつぶやいた。
「そ、そう言えば俺もさっきから……」
別の部下がそう呟くと、また地面に倒れた。
「ど、どうしたんだい、あんたたち!?」
フレデリカが辺りを見回すと、残っていた部下が皆気分が悪そうに倒れたり座り込んだりし始めた。フレデリカはものすごい剣幕でアデルを睨んだ。
「ぼ、僕じゃないですよ!」
アデルは手を振って無実をアピールする。
「だとしたら、これは……」
フレデリカの頭に考えたくない可能性がよぎった。
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