激突
アデルの放った三本のクナイはそれぞれ別の目標に向かって飛んでいた。薄暗いうえに茂みが多い森の中ではまだ相手の姿をはっきりとは捉えられていないが、アデルの目の良さと気配を感知する能力からほぼ正確に相手の位置は把握できていた。
「うぐっ!」
「ぎゃっ!」
ふたつの悲鳴が聞こえる。さらに金属音が一つ。二本は命中したが、残りの一本は何かに弾かれてしまったようだ。
アデルはなるべく相手の急所を外そうとしていた。殺さないことで相手に負傷者を救出する手間を与えられる。相手のほうが圧倒的に人数が多いうえに、囲まれれば不利だ。アデルはできるだけ相手の人数を減らしたかった。
「大丈夫か!」
アデルの思惑通り、襲撃者たちは負傷した味方を運んでいるようだった。仲間意識は持っている集団のようだ。
(それなら……)
アデルは麻痺毒の小瓶の蓋を開けるとダーツの先端を浸す。これが体に刺されば相手は数秒で体が痺れ動けなくなるらしい。ただし効きすぎて命に関る場合もあるらしいが、状況的に仕方がないとアデルは判断した。
木や茂みの裏に隠れているアデルたちを囲むように、襲撃者が左右から回り込んでくる。しかしアデルが腕を振るうたびに放たれるダーツが、薄暗い闇の中を飛翔し時折り木々の間から差し込む光を反射して煌めいた。くぐもった声が聞こえ、犠牲者が倒れる音がいくつか森に響いた。
「おい、何が起こってる!?」
「わからねぇ、みんな倒れていく!」
最初、二十人ほどいた襲撃者は現在は十人ほどになっていた。もっとも減った内の数人は戦闘不能になった味方を運んでいるだけのため、しばらくすれば戻ってくる。
(残り半分か……)
もうクナイもダーツもない。アデルは剣を抜いて構えた。しかし今度は反対側から複数の気配が近づいてくる。荒々しい足音を響かせながら七人の兵士が道を走って戦場へ向かっている。
「この方向は……味方か!?」
エマが希望に満ちた目でやってくる兵士たちを見る。だがすぐにそれは失望へと変わった。
「姉御、すまねぇ! ラーゲンハルト様の兵士が付いてきてた! こっちは三人やられた!」
後方からやってきた兵士は襲撃者たちの仲間のようだ。森に紛れるために深緑の外套を羽織っており、下には赤く塗装された鎧を着こんでいる。武装は槍や斧、剣と様々で正規兵とは違うようだ。何人かは返り血で外套が濡れていた。
「逃げられた場合に備えて後ろにも兵を置いていたか。用意周到だな」
イルアーナが忌々しげにつぶやく。襲撃者の人数が増えてしまった上に、前後を挟まれてしまった。
「お前ら、そっちから掛かりな!」
前方の襲撃者の中から女性の声が飛ぶ。
「まかせてくれ!」
その指示に応え、後方から兵士たちがアデルたちに向かってきた。
「へへ、女がいっぱいだな。もったいねぇが仕方ねぇ……」
兵士たちは下品な笑みを浮かべた。アデルとイルアーナは応戦の構えをとるが、ヒルデガルドは震えてうずくまっている。ヴィレムは具合が良くなったようだが気を失っていた。エマはその二人を背中で守るように剣を構えている。ポチは仕事は終わったとばかりにその脇で座って呆けていた。
「この狼藉者め! 竜王雷熱!」
しかし兵士たちが間合いに入るより早く、ピーコが兵士たちに向かって大声で叫んだ。するとピーコの口からその声をかき消すほどの轟音とともに、雷撃がでたらめな軌道を描きながら兵士たちに襲い掛かる。三人の兵士が雷撃を受け、体から湯気を上げながら倒れた。その体はビクビクと痙攣している。
「な、なんだ!? 魔法か!?」
後方から来ていた残りの兵士たちは慌てて距離を取る。その顔からは余裕が消えていた。
襲撃者たちの攻撃の手が止まる。得体の知れない相手に攻めあぐねているのだ。彼らは一人一人がいくつもの戦闘を生き残ってきた強者だ。しかしそんな彼らだからこそ、自分たちの相手がいままでの敵とは違う異質な危険物であることに気付き、生存本能が攻撃を躊躇させていた。迂闊に手を出せばやられるのは自分たちだ。
「アデル、さっきから指示を出している女が指揮官のようだ。こっちは任せて仕留めてこい」
相手の動揺に気づいたイルアーナが好機と見てアデルに言った。
「わ、わかりました!」
敵全員とまともに戦って勝てる自信などアデルにはなかった。もし勝てたとしてもさらなる犠牲者が出るであろう。自分たちが生き残るにはイルアーナの言う通り相手の指揮官を倒すしかない。アデルはそう考え、恐怖を力づくで押さえつけ敵の指揮官目掛けて駆け出した。
(いったい、何が起きているの……?)
ヒルデガルドは自らの体を抱きしめながら思考を空転させていた。自分の命が危険にさらされているという恐怖が心を占めつつも、どこか現実味がなく夢でも見ているのではないかと思ってしまうほどだ。
何が襲って来ようとも撃退出来る。ヒルデガルドはそれだけの腕も覚悟もあるつもりだった。しかし実際にはわけもわからぬうちに商隊は壊滅してしまった。今は頼りにしていた師匠であるルトガーが死んだことで心の支えを無くし、ただうずくまって震えているだけだ。”剣者”と呼ばれ尊敬と畏怖を集めていたルトガーですらあっけなく死んでしまう。それが戦場だった。
周囲の薄暗い森には自分を殺そうとする敵意が溢れている。しかも相手は大陸最強と名高いレッドスコーピオ自由騎士団だ。目の前には倒れたヴィレムとエマの背中。そしてどこの誰とも知れない数人の冒険者。あまりにも頼りない。
(怖い……帰りたい……もう早く終わってほしい……)
恐怖と同じくらい諦めの気持ちが胸に満ちていた。だが終わりの時はなかなかやってこなかった。
ヒルデガルドは麻痺した頭でぼんやりと状況を整理した。敵はなかなか近寄ることすらできないようだ。死にかけていたヴィレムもいつも眠そうな顔をした女の子が治療した。良い匂いがする包帯の女性が手をかざすと矢も飛んでこなくなった。そして新たな敵の増援は近づいた途端、いつもおしゃまな女の子が撃退してしまった。
(三人とも魔法の使い手……?)
ヒルデガルドは宮廷でラーベル教の神官や宮廷魔術師の使う魔法を見たことがある。しかし目の前の三人はそれと同等かそれ以上の魔法の使い手に見えた。
「アデル、さっきから指示を出している女が指揮官のようだ。こっちは任せて仕留めてこい」
「わ、わかりました!」
良い匂いがする包帯の女性、イルアーナの指示で少年が走り出す。師匠である”剣者”ルトガーにその腕を認めさせた男……
(まさか……勝つつもり……?)
状況は絶望的だ。相手の人数はこちらの数倍で、なおかつ大陸最強の傭兵団である。理性的に考えれば勝つどころか、逃げることすら出来ないだろう。当初、戦力になると思われていなかった冒険者たちは、並外れた力を秘めていたことが分かった。事情を知らぬものであれば、彼らの活躍を見て希望を見出すかもしれない。
(でも……勝てるわけがない)
ヒルデガルドは敵の指揮を執っているであろう女性を思い浮かべた。自分の目標であると同時に、忌避する相手でもある女性……
(だって相手は……歴史上、最強の女剣士。 ”千”のフレデリカ……)
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