馬車
日が傾き、森の木々を縫って差し込む日光が朱を帯びてきた。ほどなく森は赤く染まり、のちに闇に包まれるのだろう。
ガラガラと車輪が大地を駆ける耳障りな音だけが耳を支配している。アデルたちの乗る馬車に乗り込んできたヒルデガルドたちだったが、しばらくは言葉を発することもなくただ馬車に揺られていた。
アデルは居心地が悪かったが、ピーコやポチはまったく気にせず眠っていた。ピーコは口を開けてイビキをかきながら、ポチはスヤスヤと静かに眠っている。
「……何か用があって来たのだろう?」
イルアーナが沈黙を破り声を発した。
「話があるのなら早くしろ」
「ヒルデガルド様に対してなんと無礼な!」
エマが目くじらを立てる。
「いいのです、エマ。確かに、私はこの方たちに話があって来たのですから」
ヒルデガルドがエマをなだめ、アデルたちに向き直る。
「単刀直入に言わせていただきます。私はあなた方のことは信頼しておりません」
ヒルデガルドはキッパリと言った。
「もしあなた方が誰かに雇われて私たちに害をなそうと思っているのであれば、その倍……いえ、三倍の報酬をお支払いします。どうかこちら側についていただけませんか?」
ヒルデガルドはアデルを見据えて言った。
「雇われてるって……いや、僕らラーゲンハルトさんに雇われたんですが……ご兄弟なんですよね?」
アデルはどう答えていいかわからず戸惑った。
「ええ、確かにラーゲンハルトは私の兄です。しかし兄弟だからと言って信用できるわけではないのが我々の世界……特に皇位継承争いでは色々な権力者が暗躍しているようです。兄上……ラーゲンハルトのことは信頼していますが、だからと言ってお兄様が雇ったあなた方のことまでは信頼できません」
「皇位継承争い? ラーゲンハルトさんが次期皇帝ではないんですか?」
「兄上は、ジークムントお兄様が亡くなって皇位継承権一位になりました。しかし兄上は……まあ、実際にお会いしてるのであればお分かりかと思いますが、彼は皇帝にふさわしくないという者も多くて……」
ヒルデガルドは顔を曇らせた。
「で、でも、それなら皇位継承権の低いヒルデガルドさんは安全なのでは?」
「あなたは皇女殿下がこのような商隊の護衛に扮して移動することに違和感を感じないのですか?」
エマがアデルの疑問を疑問で返す。いままでエマはアデルに対してもっと強い口調だったが、多少は認められたようだ。
「お、おかしいと思いますけど……」
「平民の血を引いているヒルデガルド様を辱める……その程度の意図であるならいいのですが、ヒルデガルド様に指令を出せる立場の方でそのような浅はかな方はいらっしゃいません。そうであるならば、この指令には何らかの特別な意図があるはず。例えば、この機会にヒルデガルド様を亡き者にしようというような意図が……」
エマが眼鏡を光らせながら考えを話す。
「このような奇妙な指令は初めてです。恐らく何かが待ち構えていることは間違いないでしょう」
ヒルデガルドは硬い表情だった。
「そ、そんな危険だったら、拒否すれば良かったんじゃ……」
「拒否すれば、それを口実に宮廷内での立場が悪くなります。私を支えてくれている者たちのためにもそれはできません。むしろこれは好機。襲撃者を捕まえ、これを企んだ者の情報を聞き出す。そのために、兄上の兵の護衛は断りました。護衛が厳重すぎて襲撃を諦められてしまうかもしれないからです」
(最初から襲われることを覚悟してたのか……!)
アデルはヒルデガルドの覚悟に息をのんだ。
「もちろん皇女殿下の暗殺など公然と行えるわけがありません。極秘に動かせる兵力となれば十人から二十人がせいぜい。ヒルデガルド様やルトガー様の剣技の前ではその程度の戦力なら十分返り討ちにできると算段してのことです」
エマの話を聞いたアデルは、彼女がややヒルデガルドやルトガーの戦力を大きく見積もり過ぎなのではないかと思った。それだけ”剣者”ルトガーは帝国内では伝説的な存在なのかもしれない。
「しかし、なぜわざわざ冒険者を護衛に? そもそも商隊の護衛を装う必要もないだろう。少数の兵のみで移動しろという指令でも良かったはずだ」
イルアーナは納得がいかないようだ。
「もちろん指示した者の意図はわかりませんが……あなた方は冒険者ギルドに入って間もないのでしたね。帝国は冒険者ギルドとの関係が良くないのです」
今度はヒルデガルドがその疑問に答える。
「そうなんですか?」
「冒険者ギルドは犯罪の温床にもなっています。帝国としては当然、厳しく取り締まっており、それで恨まれているのでしょう。ですので優秀な冒険者など雇えない、場合によっては誰も雇えない……相手はそう考えたのかもしれません。実際は元冒険者の兄上のおかげであなた方のような腕利きを雇えましたが」
「えっ、ラーゲンハルトさんって元冒険者なんですか!?」
アデルは次期皇帝が元冒険者と聞いて驚いた。
「ええ。優秀な兄弟がたくさんいるからこの国は安泰だろうと言って、宮廷を出て旅に出ていました。兄上が皇帝にふさわしくないという声があるのもそのためです」
ヒルデガルドは額に手を当てた。彼女としても奔放な兄の振舞いは頭の痛いところであるらしい。
「だがよくわからんな。なぜこんな回りくどいことをするのだ? 指令を断れないのなら危険な戦闘に送り込んだりもできるであろう? それなら戦死として違和感なく葬ることもできる」
相変わらず納得のいかないイルアーナにエマが眉を吊り上げる。
「このようなことをする相手の意図などわからなくて当然でしょう? 我々への指令は『大本営』という帝国の軍略の全てを統括する部署から出されました。ヒルデガルド様は軍組織では小翼長……百人程度の部隊が指揮できる階級でしかありません。大規模な作戦行動や幹部クラスの配置転換などには大本営全体で協議されるでしょうが、小翼長クラスの異動は大本営内の一人の指示でも行えます。もちろん皇女であらせられるヒルデガルド様の異動は一般の小翼長のものとは違うでしょうが、それでも数人程度の了承で行えるでしょう。つまり大本営内の誰の計画であるかすらわからないのです」
「先ほどお前が言った通り、ヒルデガルドに指令を出せる立場で馬鹿な者はいないのだろう?」
「当然です。大本営には帝国の頭脳が集結しているわけですから」
「ということは、つまりこのような形で殺す必要があるということだ」
「そうかもしれません。いずれにせよ我々が得ている情報だけで、相手の計画を暴くことなど不可能。どのみち、襲撃者を捕まえれば全てが判明するでしょう」
「ふむ……」
エマと議論を繰り広げたイルアーナだったが、なかなか結論には辿り着けなかった。
「もしかして狙いはイーノス商会や僕たちだったりとか……そんなわけないですよね」
アデルは思い付きを口にする。
「……なるほど、一理あるな」
アデルの言葉にイルアーナが興味を示した。
「何を言っているのです。そのようなわけが……」
エマがアデルの思い付きを一蹴しようとしたその時――
「馬車を止めてください!」
アデルは大声で叫んだ。驚いて御者が馬車を急停車させる。手綱を強く引っ張られた馬が抗議の鳴き声を上げた。他の馬車も何事かと停止した。
「なんじゃ、野営か?」
眠っていたピーコとポチが目を覚まし、目をこすりながら辺りを見回す。辺りはすでに薄暗くなっており、確かにもう野営をする時間帯だ。
「どうした! 危ないだろう!」
後ろの馬車の御者台に乗っているイーノスが声を上げる。しかしアデルはそれを無視して目の前に広がる闇を凝視する。
「みんな馬車から降りて隠れて!」
そして大声で叫びながら、アデルは両腕を広げて荷台に同乗していた全員を馬車から押し出した。
「な、何をするのですか!?」
馬車から落ちて尻もちをつき、抗議の声を上げるヒルデガルド。エマはアデルの無礼な振る舞いに、ビンタをくれてやろうと思った。しかしアデルが女性陣全員を地面に押さえつけ、それを許さない。
そして一瞬後、暴れるエマの目に映ったのは、飛来した多数の矢に貫かれるイーノスの馬車であった。
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