第579話 加工(イルスデン ロスルー周辺)
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誤字報告ありがとうございました。
「きゃ~~~っ!」
帝都イルスデンに悲鳴とどよめきが沸き起こる。
それはイルスデン城前の広場に集まった群衆から発せられたものだった。その原因はカザラス兵の手によって群衆の前に掲げられたのはひとつの死体だ。
十字の木の板に括りつけられたその死体は腐敗が進み、ひどい匂いを放っている。手足は乱暴にむしり取られたかのように引きちぎられ、破れた腹からは内臓がこぼれ落ちていた。顎から上の頭部は失われており、うなだれて赤い断面を聴衆に見せていた。
「……凄惨な遺体でしょう」
演説台に登ったジークムントが沈痛な面持ちで聴衆に語り掛ける。
「しかし目を背けず、受け止めてください。これは第一征伐軍の軍団長であり、私の兄弟でもあるイェルナーです」
ジークムントはそこで嗚咽するかのように言葉を詰まらせた。
帝都イルスデンでは重大発表があるとして、皇帝ジークムントが住民を集めていた。その発表の冒頭に行われたのが、この死体の披露だったのだ。
「ダルフェニア軍は卑怯にも停戦協定を破り、ロスルーに攻め入りました。イェルナーは勇敢に戦いましたが、不意を突かれた上に潜んでいたハーヴィル軍の残党が戦いの最中に町を占拠しました。もちろんロスルーの住民のほとんどは、すでにカザラス帝国に忠誠を誓う臣民です。イェルナーは住民を人質に取られる形となってしまいました」
ジークムントは現実を受け止められないといった様子で首をゆっくりと振りながら話す。
「イェルナーは軍を撤退させる代わりに住民の安全を保障してもらおうと、自ら使者として”神敵”アデルのもとへと向かいました。ですがアデルのしたことは話し合いに応じることではなく、恐ろしい魔物にイェルナーを襲わせることでした。ご覧いただいたように、イェルナーは生きたまま魔物に体を食われ、このような姿になってしまったのです」
最後は言葉にならず、ジークムントは言葉を詰まらせた。その姿に聴衆も同情の涙を浮かべる。
「第一征伐軍の大部分は後方へと撤退しました。ですが残虐なダルフェニア軍は野放しとなり、周辺の村や町を襲撃し、住民を捕らえました。なんとか逃げ出してきた者から話を聞くことが出来ましたが、ダルフェニア軍は捕らえた住民にゲームをさせたそうです」
ジークムントはそこで話すのをためらうかのように間を開ける。しかし意を決したかのように一度目を閉じると、再び口を開いた。
「ダルフェニア軍は住民にフォークを渡し、自分の家族の目をえぐるよう命じました。もしそれが出来れば家族を逃がしてやると。もちろんほとんどの住民はそんなことが出来ずにダルフェニア軍に殺されてしまいました。しかし一部の者は家族の命を救うために目をえぐり出したそうです。ダルフェニア軍は約束を守り、その者の家族を逃がしました。ですが家族を開放した場所は、ロスルーの南に広がる死の砂漠……住民たちは脱水で干からびたか、蛮族たちに殺されてしまったことでしょう」
ジークムントの恐ろしい話を聞き、聴衆の中には吐き出す者もいた。
ジークムントの話のほとんどはダルフェニア軍の印象を下げるための作り話である。しかし死体のインパクトもあり、聴衆の多くは疑うこともなくジークムントの話を信じてしまっていた。イェルナーの死体もジークムントの指示で「加工」されたものだ。
「長く続く戦いに嫌気がさしている方もいらっしゃることでしょう。しかし我々が戦っているのは、このような恐ろしい悪魔なのです。我々の不甲斐なさに疑問を抱いている方々もいらっしゃるかもしれません。ですがどうか我々を信じてください。正義の力を信じてください。必ずやあの悪魔どもを討ち滅ぼし、この世界に秩序を取り戻すことをお約束いたします!」
ジークムントが話を終えると、聴衆から歓声が沸き起こる。ジークムントは笑顔になりそうになるのを抑えながら、その歓声にこたえて手を振った。
夜の闇の中をいくつかの影が走る。木や茂みに身を隠しながら、彼らは行く先に浮かぶ大きな影に近付いて行った。
「おいおい嘘だろ……」
走る影の一つ、蛮族の装束に身を包んだ男が行き先を見て呟いた。
そこは町……だった場所だ。普通であれば町を囲む防壁には篝火が焚かれ、町を脅威から守るために衛兵が目を光らせているはずだった。しかし今はその姿がなく、町の中にも灯りが見られなかった。町の建物の月明りに照らされている部分だけが影に浮かんでいるように見える。
「村だけじゃなく、こんな大きな町まで無人なのか?」
一人の恰幅の良い蛮族――”境風”ラヒドが言った。ラヒドは死の砂漠に住む蛮族の部族を率い近隣の村を襲いに来たのだが、そこはすでに住民が消え去ったあとだった。その事情を探るためにこの町までやってきたのだ。大きい町と言っているがあくまで蛮族基準であり、カザラス帝国にとっては小さい部類に入る。
蛮族たちは衛兵を警戒しつつ町へと近づいて行った。だが近くまで来ても衛兵の姿は見えず、入り口の門も少し開いていた。夜間は町の入り口を閉ざし、かんぬきを掛けるのが普通だ。軍の伝令などであれば開門して迎え入れるが、それ以外の訪問者が来たところで追い返される。開けっ放しになっているなどありえないことだった。
「……まさか噂のダルフェニア軍がこんなところまで?」
蛮族の一人が恐る恐る門に近づく。
「いや、それにしては戦った跡すらない」
ラヒドは門の周囲を調べながら言った。門扉には攻撃を受けた跡などなく、地面や壁にも血の跡は見当たらない。ラヒドたちは警戒しつつ、開いている門に身体を滑り込ませた。
「不気味だな……」
町の中の様子を見てラヒドが呟く。町の通りには明りひとつなく、蛮族たちが持っている松明が無ければ闇に押しつぶされてしまうのではないかと不安になるほどだった。
ラヒドは手近な民家に近づき、入り口のドアをそっと押す。きしむ音を立てて木の扉が開いた。他の蛮族もそれぞれ別の民家に入って行く。
「無人か……」
どの家にも人の姿はなかった。蛮族たちは様子を探るだけでなく、ついつい癖で金目のものを物色する。ひと気がない安心感からか、その動きは次第に大胆になって行った。
「族長! この家には血痕がありやすぜ!」
一見の民家を調べていた蛮族が声を上げる。その手にはいま盗んだらしい上等な仕立ての服を掴んでいた。
「血痕? 死体は?」
「ありやせん!」
ラヒドの問いかけにその男が答える。もはや普通の声量でしゃべっているが、住民たちがやってくる気配はなかった。
「略奪ですかね?」
「それならもっと戦いの跡があるはずだろ」
「でも住人が誰もいないなんておかしくありやせんか?」
蛮族たちは話し合うが、納得できる説は見つからなかった。
「おかしすぎる……いったん退くぞ」
「えぇっ!? 漁り放題ですぜ!」
ラヒドの言葉に蛮族の一人が不服そうに言う。
「馬鹿野郎! 住民が逃げたのか殺されたのか知らねえが、どちらにしても俺たちもヤバイかもしれねぇだろ! 本当に住民がいないなら昼間でも漁れる。明るくなってから出直す……」
ラヒドのドスの効いた声が不自然に途切れる。
その目には、蛮族たちの背後に忍び寄る黒い影が映っていた。
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