後継者
ヒルデガルドとの手合わせを受けたアデルは開けた場所に移動し、ヒルデガルドと対峙した。互いに木の棒を構え睨み合う。周りの商隊員から声援が飛んだ。もちろん圧倒的にヒルデガルドへの声援だ。
(しかし……それにしても美少女だな……)
正面からヒルデガルドの顔を存分に見れるアデルは、その美しさに見惚れる。するとその顔が急にアデルに近づいた。
「うわっ!」
鋭い踏み込みとともにヒルデガルドが上段から枝を振り下ろしてきたのだ。アデルはなんとか自分の枝で受け止める。
(これは油断してるとやられるぞ……!)
アデルは冷や汗を流した。今のヒルデガルドの一撃は最も基本的な素振りの型に近い。彼女が幾度となく繰り返してきた動作だ。その攻撃には武力の数値以上の威力がこもっていた。
(くっ……!)
対するヒルデガルドも奥歯をかみしめていた。初撃が受け止められることはわかっていた。そのまま枝を右側に滑らせ、今度は横から薙ぎ払う予定だった。アデルは枝を持っていない左側から、しかも体重の乗った一撃を受け止めてバランスを崩した状態で攻撃される……そのはずだった。
だがヒルデガルドの渾身の一撃はアデルにがっちりと受け止められ、アデルの枝を寝かせることすらできない。仕方なく一度引き、アデルの胴を横から打とうとするが、なんなく枝で弾かれてしまった。
(筋力が違いすぎる……)
ヒルデガルドはまだ少女であり、筋力は他者に劣る。だがそんなことは百も承知で、彼女はそれを補うために斬撃に体重やスピードを乗せることでカバーしていた。しかしアデルの枝はヒルデガルドの打ち込みを軽々と弾き返す。ヒルデガルドはまるで石の壁に打ち込みをしているかのような感覚を覚えた。
(それなら!)
ヒルデガルドは攻撃を突き主体へと切り替えた。点での攻撃となる突きはかわされやすいが、受けるのは難しい。しかしアデルは間合いを置くことでヒルデガルドの怒涛のような突きから逃れる。リーチも差があるため、ヒルデガルドがアデルに攻撃を当てるためにはさらに大きく踏み込む必要があった。しかしそれは相手にも、より攻撃のチャンスを与えることにもなる。
(……仕方ありませんね)
ヒルデガルドは覚悟を決め、大きく踏み込むと体重を乗せた渾身の突きを放った。狙いはアデルの胸部だ。アデルは重心の移動と体の捻りだけでその突きをかわす動きを見せる。そしてアデルは枝を振りかぶった……
(かわせない……!)
ヒルデガルドは敗北を確信し、目をつむって来るべき痛みに備えた。
――周りにいた商隊員から歓声が上がった。ヒルデガルドは状況がよくわからず、ゆっくりと目を開ける。そこには胸を押さえて倒れているアデルがいた。
「さすが皇女様だ! あの野郎、防戦一方だったな!」
「最後だけ頑張って反撃しようとしてたが、力の差がありすぎたな。完封だぜ!」
周りで見ていた商隊員の大声がヒルデガルドの耳に入る。皆がヒルデガルドに向けて拍手していた……”剣者”ルトガーとアデル一行を除いて。
(そう……勝った……いえ、勝たされたのですね……)
ヒルデガルドは怒りのこもった目でアデルを睨みつけた。
「なぜわざと負けたのじゃ!」
アデルが戻るなりピーコが怒っていた。
「い、いや、相手は皇女様……えっと、つまり偉い人だから、恥をかかせるわけにはいかないんですよ」
アデルはピーコにどう説明したらいいものか悩む。
「確かに恨みを買うかもしれんし、実力を見せてやる義理もない。お前のプライドが許すのならそれで構わんか」
イルアーナはある程度、アデルの行為に理解を示した。
「おぬしが決闘で勝っていれば、おぬしの方が偉くなれたじゃろう?」
「いや、そんな単純な話ではなくて……人間の世界は血筋とか爵位とか、実力以外にも色々偉さの要因となるものがありまして……」
ピーコに説明しながらアデルはふと考える。
(もしかして、ピーコやポチの能力値が見えないのって、将としての資質を欠いているってことなんだろうか……?)
アデルが見ることのできる能力値は明らかに人の上に立つ際に求められるものだ。アデルにはポチやピーコが内政や智謀の能力を持ち合わせているようには思えなかった。
(まあ単純に、人の物差しで測ることができない相手という可能性もあるか……)
そもそもよくわからない力のことを考えても仕方がない、とアデルは考えるのをやめた。
「しかし、あの皇女はプライドを傷つけられたようだな。お前を睨んでいたぞ」
「あ、やっぱりそうですよね。まいったなぁ……」
イルアーナの言葉にアデルも同意する。
「ただお前が勝っていたとしても傷ついただろうから、どちらにしろ恨まれていただろうな」
「そ、そんなぁ……八方塞がりじゃないですか……」
アデルはしょんぼりと肩を落とした。
ヒルデガルドは屈辱に肩を震わせ、うつ向いていた。勝利したヒルデガルドを笑顔で迎えようとしていたエマとヴィレムはその様子に戸惑い、顔を見合わせる。
「どうだった、デルガードは?」
ルトガーがヒルデガルドに問いかける。
「……まったく勝てる気がしません」
「ほう、君にそこまで言わせるとは……」
ヒルデガルドの言葉にルトガーは感嘆の声を漏らした。
「先生……私には才能がないのでしょうか?」
「焦ってはいかんよ。君はまだ若い」
ルトガーはヒルデガルドの剣の師匠である。付き合いも長く、身内だけの場ではヒルデガルドに対して敬語も使わない。
「君は私の最後の、そして最高の弟子だ。それは嘘ではないと我が剣にかけて誓うよ」
ルトガーは幼いヒルデガルドの才を認め、それ以来、指導役兼側近として弟子のヴィレムとともにヒルデガルド個人に仕えていた。本来は帝国名誉騎士として終身、皇帝に仕えるはずであったが、それを辞退していた。戦いに明け暮れ子供がいなかったルトガーにとって、ヒルデガルドは弟子であり子供のような存在だったのだ。
「彼は間違いなく帝国内でも十本の指に入る使い手だ。だが君は鍛錬を怠らなければ必ずその域まで届く才能を持っている。彼との差をよく認識し、そして飛び越えなさい。私の武人としての栄誉を継ぐのは君だ、ヒルデガルド」
ルトガーは優しい微笑みを浮かべながらヒルデガルドに語り掛けた。情だけではない。武の才能を認めたからこそ、ルトガーは己の残りの人生をヒルデガルドに尽くすと決めたのだ。
「はい……ありがとうございます、先生……」
涙ぐむヒルデガルドをルトガーが優しく抱きしめた。
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