惨劇(シュタインバーム)
「どうしてこんなことに……」
ヒルデガルドはシュタインバームの惨状を見てつぶやいた。
戦いが収束し、ヒルデガルドはカイとエマとともに町に入った。町にはおびただしい量の死体が転がっている。シュタインバームの守備兵と住民がほとんどで、ヒルデガルドの兵が時折混じっていた。
「モーリッツ伯も討ち取ったと兵より報告がありました」
呆然と町の惨状を見るヒルデガルドにカイが報告する。
「……守備兵の生存者を連れてきてください。話を聞かねばなりません」
硬い表情でヒルデガルドが言う。しかしカイは首を振った。
「敵兵は最後まで激しく抵抗を続けたため、みな討ち取ったそうです。兵士のみならず城で働いていた者や町の住民まで抵抗したため、やむを得ず手をかけました」
「なぜ町の住民まで!? 兵たちが何かしたのではないですか?」
悲痛な面持ちでヒルデガルドが尋ねる。
「多少の略奪行為はあったようですが……そのくらいは戦争ではよくあることです。どうかお目こぼしを」
カイが平然と言ってのける。そんな話をしている間も遠くから住民の悲鳴が聞こえた。
「兵を町の外に出してください! 一部の護衛のみを連れて調査を行います!」
ヒルデガルドが叫ぶように命令を出す。
「危険です! まだ敵兵が潜んでいる可能性もありますし、ヒルデガルド様を恨んだ住民が襲ってくるかもしれません」
だがカイはそんなヒルデガルドを、見下すような冷たい目で見ながら言った。
「兵の規律の乱れは問題にすべきことですが、ここはカイ殿の言う通りです。ヒルデガルド様はご自身の安全を一番にお考え下さい」
エマがヒルデガルドの気持ちを汲みつつも冷静な判断を促す。
確かにカイやエマの言うことが正しいことはヒルデガルドにもわかっていた。しかしヒルデガルドは妙な違和感と気持ち悪さを感じていた。兵たちが自分の意図とは全く異なる動きをしている。まるで手足が勝手に動いているかのような感覚だった。
(これは私の指揮の経験が不足しているせい? それとも誰かが意図的に兵を暴走させているの……?)
ヒルデガルドは不気味に思いながら兵たちを見る。自分を見つめる兵たちが得体のしれない生き物のように見えた。
ヒルデガルドは頭を振って気持ちを切り替える。
「とにかくこれ以上、住民に手をだすことは許しません。私の護衛と救護班以外は町の外へ出てください」
「しかしそれでは……」
「これは命令です」
ヒルデガルドの身を案じるエマに断固たる態度で言う。
「……かしこまりました」
カイもしぶしぶヒルデガルドの命に従い、部下に指示を出した。兵士たちが外に出ていくにつれ町に静寂が満ちていく。死体を目当てに集まった雪カラスの鳴き声だけがあたりに響いた。雪カラスは北方に住むカラスで翅は雪のように白く、目は血のように赤い。
ヒルデガルドは通りに倒れている死体へと近づいた。男女の死体が近くに倒れており、商人なのか裕福そうな身なりに見える。揃いの指輪をつけており、恋人か夫婦だったのだろう。武器などは持っておらず、背中を剣で切り裂かれていた。
ヒルデガルドたちは城へと向かう。そこはまさに殺戮の現場だった。守備兵や城で働いていた召使いたちだけでなく、避難してきたのか一般の住民の死体もあった。女子供も容赦なく切り捨てられている。
「ひどい……」
ヒルデガルドはその惨状に口元を押さえる。
「王弟派の連中はラーベル教を信じておりませんでしたからな。魔竜の邪気にでもあてられたのかもしれません」
カイは倒れた死体に嫌悪するような視線を向ける。
「ヒルデガルド様、住民から話を聞けました」
そこに部下からの報告を受けたエマが近づいてきた。
「本当ですか? 彼らはなんと?」
ヒルデガルドが久しぶりに顔を輝かせる。
「それが……怯えていていまいち要領を得ないのですが、前日に何やら恐ろしいものに襲われたそうです。そして我々もその仲間だと」
「だから死に物狂いで戦ったというのですか?」
エマの話にヒルデガルドは首をかしげる。
(その話が本当だとして……偶然なの?)
自分たちが到着する前日にたまたま恐ろしい魔物に町が襲われることなどあるのだろうか。ヒルデガルドは疑問に思わずにはいられなかった。
「引き続き情報を集めてください。くれぐれも住民にこれ以上の被害を出さないように」
そう言った後、ヒルデガルドは少し考えこむ。
「……いえ、やはりここでの任務は終了しました。カイ、軍勢を率いてダグラムに帰還してください。私は護衛とともにこの町に残り、情報の収集と事態の収拾にあたります」
「しょ、正気ですか!?」
ヒルデガルドの言葉にカイは目を丸くした。
「もし住民たちが襲ってくれば、ヒルデガルド様の身に危険が……!」
「承知しています」
有無を言わさぬ口調でヒルデガルドが言う。こうなればカイは従わざるを得ない。仕方なくカイは軍勢をまとめ、シュタインバームを後にした。
「……どう思いますか、エマ?」
去っていく軍勢を見つめながらヒルデガルドが尋ねる。残っているのはエマと三百ほどのヒルデガルドの直属の護衛たちだけであった。
「何やら罠の匂いがします」
エマが眼鏡を光らせながら言う。
「ええ。この町を襲ったものとやらが何かはわかりませんが、そのせいで敵兵が降伏しなかったのだとすればタイミングが良すぎます。それに住民は武器を持っておらず、貴金属も身に着けたままでした。住民が襲ってきたという話や兵が略奪をしたという話は話半分に聞いたほうが良さそうです」
「そうなると……カイが何か企んでいるのでしょうか。我々が町へ入ろうとするところを足止めしていたようにも思えました」
ヒルデガルドとエマは眉間にしわを寄せながら話し合った。
「しかし……いったいなぜ? 住民や兵を虐殺することが目的だったということですか?」
エマが戸惑いの表情を見せる。
「友軍や住民を? ……それよりも、私の評判を下げることが目的だったのかもしれません」
「まさか……ヒルデガルド様が住民を虐殺したことにするというのですか? そのために多くの人々の命を!?」
ヒルデガルドの話にエマが怒り出す。
「落ち着いてください。もしその予想が当たっているのだとすれば……これはジークムント兄上の計画ということになります」
「皇帝陛下が? なぜそんなことを……」
ヒルデガルドとエマはその後もしばらく話し合ったが、確信を得ることはできなかった。