皇太子
「商隊の護衛ですか……?」
アデルたちはラーゲンハルトから依頼内容を聞いた。ロスルーから北にあるエルゾという町まで商隊の護衛をしてほしいという依頼だった。しかしアデルは首をひねる。以前にカナンでも商隊の護衛をしたことはあるが、わざわざ冒険者ギルドに依頼してくるような仕事ではなかった。しかも依頼主は商人ではなくカザラス帝国の軍人だ。
「そう。ただし、かなり高い確率で襲撃されそうなんだ。ちょっと荷物が特別でね」
アデルの心中を察してか、ラーゲンハルトが付け加えた。
「お前たちはカザラスの軍人だろう。兵士に護衛させないのか?」
イルアーナが疑問を口にする。その横ではポチがブロッコリーを咥えてモシャモシャしていた。さきほどまでピーコの前にあったブロッコリー炒めの皿だったが、ピーコの口に合わなかったらしくポチに押し付けられていた。好き嫌いのないポチは出されたものをなんでも食べるので、良いコンビなのかもしれない。ピーコは眉間にしわを寄せ、干しエビと睨み合っていた。海の幸とは初遭遇のようだ。
「それがさぁ、ここだけの話なんだけど、狙われないように冒険者――しかも無名な人を雇って護衛させろって上からの命令でさ」
ラーゲンハルトは「やれやれ」と言った感じで手を広げていった。
「聞けば聞くほど、ヤバそうな依頼ですね……」
アデルは顔をひきつらせた。
「もちろん、バレないように兵士も護衛につけるつもりさ。それに報酬も弾むよ」
ラーゲンハルトはアデルにぐいっと顔を近づけていった。
「金貨十枚……いや、二十枚でどうだい?」
金貨一枚というのは農民の一月の稼ぎくらいである。金貨二十枚あれば、贅沢しなければ1年ほど暮らせる金額だ。
「や、やります!」
アデルは二つ返事で引き受けた。
そしてラーゲンハルトたちは日時や集合場所を言って帰って行った。
「それにしても驚きましたね」
アデルは緊張から解放され、肩をほぐした。
「かなりの腕前の二人だったな。それに階級も高そうだった。だが『ジョン』などという名前は聞いたことがないな」
イルアーナが首をかしげる。
「あぁ、それ偽名でしたよ。ラーゲンハルトさんという方とフォスターさんていう方でした」
アデルは見えた情報を口にする。
「……それは本当か?」
イルアーナがアデルの言葉に固まった。
「ええ。ご存じなんですか?」
「ああ……ラーゲンハルトはカザラスの皇太子、フォスターはその副官だ」
「え? そ、それって冗談だったんじゃ……」
「お前が名前を見たのなら間違いない。ラーゲンハルト・カザラス・ローゼンシュティール、カザラス皇帝ロデリックの第三子にして、いまや王位継承権一位。つまり次期皇帝だ」
イルアーナの言葉を聞いたアデルは開いた口が塞がらなくなった。そして一拍置いて、冷や汗が豪雨の中でも歩いているかのようにアデルを体を濡らした。
「え、いや、そんな……だって……思いっきり剣を向けちゃいましたよね……」
「ああ、そうだな」
「ど、ど、ど、ど、ど……!」
「落ち着け」
うろたえるアデルにイルアーナはピシャリと言った。
「ラーゲンハルトはヴィーケンを攻めている第一征伐軍の大将でもある。つまり、ヴィーケン軍にいたお前はとっくにケンカを売っている」
「よ、余計に落ち着けませんよ!」
アデルは立ち上がって頭を抱えた。
「アデル、手出して」
そんなアデルを見てポチがアデルに手を出させる。
「え?」
アデルが手のひらを上に向けて手を差し出すと、ポチがその上にぽんと手を置いた。「お手」だ。
「……これは?」
「アデル、これ好きでしょ?」
どうやらアデルが最初にポチと会ったときに「お手」をさせようとしたのを、アデルがそうするのが好きだからと思ったらしい。竜族にとって「お手」は忠誠を誓う儀式であったが、アデルにはそのつもりがなかったのだから、ポチからすればアデルが「お手」をすること自体が目的であったと思うのも当然である。
(それは勘違い……でもないのか? そもそも人はなぜ犬にお手をさせるんだろう……もしかして本当に人と犬の忠誠の儀式なんだろうか……)
いろいろ考えてしまうアデルだったが、単純にポチの手の感触が心地よかったため、落ち着きを取り戻すことができた。
「ありがとう、ポチ」
アデルのお礼の言葉に、いつも無表情なポチも心なしか微笑んだように見えた。
バタンッ……
冒険者ギルドの扉がしまる。
その音を聞くや否や、ラーゲンハルトはフォスターに詰め寄った。
「ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ! さっき何が起きたの!? 僕の後ろでどうなってたの!?」
フォスターは眉をしかめてラーゲンハルトを押さえた。
「聞きたいのはこちらの方です。なぜいきなり斬りかかったのですか?」
二人が話しているのはラーゲンハルトが酒場でアデルに斬りかかったときの話であった。
「いや、あの仮面を剝いでやろうと思っただけだよ。どの程度、僕の攻撃に反応できるか見るためにね。そしたらかわされた上に、横からあの女の子が斬りかかってきたから驚いたよ。しかもかなりのスピードだった。うちの精鋭でもなかなかいない腕前だよ……でも男の方は、それ以上だったんでしょ?」
ラーゲンハルトは興奮して、まくしたてる。
「はい……あの女がラーゲンハルト様に斬りかかろうとしたので、私はそれを剣で受け止めようとしました。しかしあの男の剣に邪魔をされて……」
「……とんでもない反応速度だよね。しかも僕の剣を交わした直後に……」
「ええ。ですがあまり洗練された動きには見えませんでした。恐らく我流かと……」
「ふ~ん……ぶっちゃけ、君が彼とちゃんと勝負したら勝てるかい?」
「わざわざ危険を冒す必要はありません。勝負しなくても済むように作戦を立てます」
「……”沈黙”のフォスターに『危険』と言わせる奴がこんな所にいるとはね」
フォスターは無口なことで有名である。しかしそれ以上に剣の腕前でも帝国屈指の評判であった。戦場では彼の周りには静寂が訪れるといわれている。なぜなら彼の周りの敵はすぐに物言わぬ屍と化すからだ。それゆえフォスターは”沈黙”という異名で恐れられていた。
「ヴィーケンにもあんな腕が立つのがいるんだったら、兄上の暗殺は内部犯じゃない可能性もあるのかな……」
ラーゲンハルトはつぶやく。
彼の兄であり皇太子であったジークムントは二年前、何者かに暗殺され亡くなっていた。それによってラーゲンハルトは皇太子と第一征伐軍大将の座を引き継ぐことになった。ラーゲンハルトは暗殺の首謀者が国内にいると睨んでいる。もっとも、ラーゲンハルトが皇太子の座を得るために兄を暗殺したと見る者もいるのだが……
「まさか、あの者たちが暗殺者……!?」
フォスターがはっとした表情で言った。
「それはないでしょ。あんな怪しい一行、兄上なら近づけないよ」
ラーゲンハルトが笑いながら言った。
「確かに奇妙な一行でしたが……」
「奇妙どころじゃないよ。不自然の塊でしょ。男一人に女三人、うち二人は子供って、普通に考えれば真っ先に野盗に狙われるでしょ。高く売れそうな、かわいい子供たちだしね。しかも男はなんだか頼りなさそうだし。そう言えばあのローブの女の子、なかなかイイ線行ってたと思わない? ローブ越しにもわかるくらい良いプロポーションしてたし、顔を隠してたけどあれはイイ女だよ。オーラでわかるね。あの子、絶対あの男のこと好きだよね。男の方も気があるみたいだし。でもあの座り位置からして、絶対に付き合ってはいないよ。じれったいよね、お互い好きなんだから付き合っちゃえばいいのに……」
「……つまり、信用できないと?」
ラーゲンハルトがどんどん脱線していくので、フォスターは話題を戻した。
「う~ん……冒険者ギルドに信用できる人材を探しに来るのがそもそも間違ってると思うよ。僕らが必要なのは仕事をこなしてくれる人材だ。そういう意味では良い見つけものをしたと思う。あの腕なら金貨百枚でも良かったくらいだ」
「確かに……」
フォスターも同意した。
「それに騙そうとするならもうちょっと普通を装うでしょ。ハーピーの話とか普通に『失敗した』って言ってくれた方が信じられるしね。でもあの腕前からすると本当なのかもしれない。子供二人も見た目通りじゃないかもしれないよ」
「見た目通りではない?」
「だって目の前で剣で打ち合ったのに、普通に食事を続ける子供なんているかい? それに子供の一人が僕に向かって『若いの』って言っただろう? もしかすると僕より年上、要するに人間じゃなくて異種族なのかもしれないよ。まあこの辺は全部、可能性の話だけどね」
「……なるほど。さすがは元冒険者のラーゲンハルト様ですな」
ラーゲンハルトは優秀な兄がいれば安泰だからと家を出て、身分を隠して冒険者として旅をしていた。”放蕩息子”などと不名誉な異名が付いているのはそのためだ。しかしジークムントが暗殺されたと聞き、国に戻ってきたのである。もちろん戻ってきたからといってすんなり受け入れられるはずもなかった。
ジークムント亡き後、第一征伐軍大将の座は副官であり、能力にも定評があるフォスターが引き継ぐことになっていた。しかしフォスターは自由裁量として与えられていた軍団内の人事権を行使し、ラーゲンハルトを大将に据えて自分は副官にとどまったのだ。依然としてラーゲンハルトが次期皇帝にふさわしくないという声はあるが、彼は実力でそう言った声を黙らせていくしかなかった。
「何を言ってんのさ。僕はまだ現役だよ……こんな危ない冒険をしてるんだからね」
ラーゲンハルトはいたずらっぽく笑った。
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