信用(タイファ)
旧エレンツィア王国の首都タイファは湖畔に立つ都市だ。旧エレンツィア王国領内には様々な地形があり、そこに適応した多くの魔物が住んでいた。冒険者ギルドが誕生し発展したのもそういった危険に満ちた地域だったからである。タイファの立地は水の確保と、魔物たちから襲われる方向を限定し、防御しやすくするためのものであった。
だがそんなタイファもカザラス帝国の前に陥落し、今ではカザラス帝国軍第四平定軍の駐屯地となっている。軍団長のダーヴィッデは元はエレンツィアの大商人であった。だがカザラス軍の侵攻に際しいち早く寝返り、情報や物資の供給などで多大な貢献をした。その功により軍団長の座を手に入れたのである。
前皇帝ロデリックは征服した国の統治にその国の人間を利用していた。征服された国の人々の怒りが、帝国にではなく裏切った同胞に向けられるからだ。
タイファの駐屯本部の執務室にはダークエルフたちが呼び出されていた。ヒルデガルドの周囲で連絡や護衛の任務にあたっていた者たちだ。ロデリックの死去でヒルデガルドは帝都に向かっており、ダークエルフたちはダーヴィッデの元で身を隠していたのだ。
「何の用だ」
ダークエルフが深く椅子に座ったダーヴィッデに尋ねる。その体勢のせいでたるんだお腹が強調されてしまっている。
(こいつらは敬語を使うということを知らんのか)
ダークエルフの言葉遣いにダーヴィッデは少しムッとする。だが尊大な態度の相手には慣れていたため、表情に出したりはしなかった。
「あなた方にはしばらくここを離れていただきたい」
「なぜだ?」
「情勢が変わったのです」
ダークエルフにダーヴィッデが説明する。
「ヒルデガルド様は微妙なお立場だ。帝位継承争いをしていたころと違い、新皇帝のもとでまとまった帝国内ではヒルデガルド様も勝手に動くわけには行かん。それにヒルデガルド様自身のお心も変わるかもしれん。どうなるかはわからぬが、あなた方に危険が及ぶ可能性があるのだ」
ダーヴィッデの話を聞き、ダークエルフたちは眉をひそめた。
「もしそうなれば我々を突き出せばいいのではないか? なぜ逃がす?」
「ヒルデガルド様がどうされるおつもりかは知らぬ。だが私はアデル王との関係を断つつもりはない。情勢がわかるまで、あなた方は安全な場所にいて欲しい」
「……そうか、わかった」
ダークエルフたちは頷く。
(……話が早い。さすがダークエルフといったところか)
ダーヴィッデは必要最低限のやり取りしかしないダークエルフたちに舌を巻いた。
そしてダークエルフたちは部屋を出て行った。夜の闇に紛れてタイファを出て行くのだろう。ダーヴィッデは深くため息をついた。
しばらくして扉がノックされる。入ってきたのはガスパーらダーヴィッデ麾下の将軍たちだった。
「ダーヴィッデ様、帝都より報告がありました。ヒルデガルド様が第二征伐軍の軍団長に任命されたそうです」
「そうか……」
ガスパーの報告を聞き、ダーヴィッデは深く頷いた。
「つまり……もう私の庇護は必要ないということか」
ダーヴィッデは天井を仰ぐ。
「もしヒルデガルド様に裏切られでもしたら……我らの立場はまずいことになりますな」
ガスパーが険しい表情で言った。
「先に陛下にダークエルフたちを差し出し、敵に通じていたのはヒルデガルド様のほうだと主張するべきでは?」
将軍の一人が焦りながら言う。しかしダーヴィッデは首を振った。
「いや、ヒルデガルド様は我らを売ったりはしないだろう。良い意味でも悪い意味でもな」
「……と申されますと?」
将軍はダーヴィッデの話の意図がわからず怪訝な表情になった。
「私が思うヒルデガルド様の性格から言って、自身の利益のために我らを売るようなことはしないだろう。だがもしヒルデガルド様のお気持ちが変わり、私のように義よりも利を求める方になっておられたら……」
ダーヴィッデはひとつため息をつく。
「私なら目先の利益のために仲間を売ったりはしない。せっかく弱みを握ったのだ。売るなら利用するだけ利用して、価値が無くなった時だ」
それを聞いてガスパーら将軍たちは呆れたような表情になった。彼らは元貴族だ。ダーヴィッデに長らく仕えているが、まったく思考回路の違うダーヴィッデの言動に慣れることはなかった。
「ですが、陛下自身が我々を調査する可能性もあるのではないでしょうか?」
ガスパーが懸念を口にする。
「その通りだ。むしろすでにスパイが入り込んでいるかもしれぬ。まあダークエルフたちがそう簡単に見つかることはないだろうが、念を入れて一度ここを離れてもらった」
「左様でございますか。さすがのご賢察です」
ガスパーが頭を下げつつダーヴィッデを持ち上げる。
「では今後ダルフェニアとは縁を切るということですか」
将軍の一人がダーヴィッデに尋ねる。
「いや……」
ダーヴィッデは鋭い視線でガスパーたちの顔を見据えた。
「たとえヒルデガルド様がアデル王との関係を断っても、我らは独自にダルフェニアと協力を続ける」
「なんと……!?」
ガスパーたちの目が驚愕に見開かれた。
「考えてみろ。ダルフェニアが勝てば帝国中の利権が一気に解放されるのだ。こんなに美味しい話はない。そしてこういう賭けはたいてい分が悪いものだが、ダルフェニアの戦力ならば勝つ確率も高い。もうけ話に乗らないのは馬鹿と死人だけだ。そうだろう?」
ダーヴィッデがニヤリと笑う。ガスパーたちはしばし空いた口が塞がらなかった。
「……驚きました。しかし私はダーヴィッデ様を信用しております」
しばらくしてガスパーが口を開くと、恭しく頭を下げる。
「信用だと? 笑わせるな」
「本当ですとも。私は信用しているのです。ダーヴィッデ様の……もうけ話への嗅覚を」
ガスパーが言うと他の将軍たちも頷いた。
彼らは元々、祖国を裏切りカザラス帝国に付いた者たちだ。帝国への忠誠心など形だけしか持ち合わせていない。
一同は顔を見合わせると、笑みを浮かべたのだった。
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