ワイン(イルスデン)
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フォスターとリオから話を聞いたジークムントはソワソワした様子で自室へと戻った。書斎の椅子に座り物思いにふけっていると、部屋の扉がノックされる。
「失礼いたします」
入室してきたのは第三宰相のフランツであった。
「驚きましたね。まさかあのような重要な情報を握る男がダルフェニアから寝返ってくるとは……」
笑みを浮かべてジークムントが呟く。その様子はいつになく上機嫌であった。
「托卵所から消えた卵の中身……死んだものと思われておりましたが……」
ジークムントとは違い、複雑そうな表情でフランツが言った。
「ウィザーズソードを持っていた男……彼はファーザーに間違いない。王の命を受けて私を殺しに来たのでしょう」
ジークムントが無意識に肩を押さえる。
「添い人の剣……王の器を守り育てる役目を与えられた男たち、ファーザーに与えられるミスリルの剣……確かに色々と繋がってまいります」
フランツが眉をひそめつつ頷いた。
「……ですが、器に自我があるというのはどういうことでしょうか?」
フランツが少しためらいつつ疑問を口にする。機嫌の良さそうなジークムントの気持ちに水を差してしまうのではないかと心配したのだ。
「さあ? 器に関してわかっていることは少ない。いずれにせよファーザーの襲撃はこちらにとっても好都合だったかもしれません。前の体も気に入っていましたし、この身体に乗り移るのに想定外の魔力を使ってしまいました。ですがそのおかげで彼らは私が死んだと思い込んでいるでしょう。そのあと神竜がやってきたのも私の生死を確認するためと考えれば納得がいきます。ラーゲンハルトをロデリックに会わせるためなどという稚拙な言い訳には笑いましたが」
ジークムントが饒舌に語る。そう、今のジークムントの体にはラーベル教の大司教であったマクナティアの意識が宿っているのだ。
「それにこの身体もなかなか能力が高い。間に合わせに使うには惜しいほどですよ」
ジークムントは自分の手を見つめながら言った。
「保存しておいて正解でしたな……それはさておき、アデルが王の器だとして、今後どうされるおつもりですか?」
「そうですね……何はともあれ魔力が圧倒的に足りません。どんな手を用いても回収を……」
フランツの問いにジークムントが答える。しかしその途中、再び部屋のドアがノックされた。
「どなたですか?」
「フォスターです。温かいお飲み物をお持ちしました」
ジークムントの問いかけに扉の向こうから返事が返ってくる。
「……どうぞ」
ジークムントは一瞬顔をしかめた。
「失礼いたします」
扉を開け、入室したフォスターが頭を下げた。手にはグラスの乗ったトレイを持っている。
「おや、フランツ様もおいででしたか」
フォスターは室内にいたフランツに視線を向ける。
「どうぞお気になさらず。教会の運営に関して陛下にご指示を仰ぐために参っただけですので」
フランツが会釈をしながら言った。
「お話し中失礼いたしました。今宵は冷え込んでおりますので、ジークムント様がよくお飲みになられていたこれをお持ちしようかと……」
フォスターはベテラン給仕のような優雅な手つきで、持ってきたグラスをジークムントの前に置いた。
「これはなんです?」
「ホットワインです。お好きでしたでしょう?」
フォスターは微笑みながら答える。
「……そうでしたね、ありがとうございます。確かに温かいものが飲みたいところでした」
ジークムントも笑顔でグラスを持ち上げ、その中身を口に含んだ。
だが……
「ぶふっ!?」
ジークムントが口からホットワインを噴き出す。そして苦しそうに咳き込んだ。口を押さえた手から赤い液体が滴り落ちる。
「マクナティア様! 貴様、毒を盛ったのか!?」
フランツがジークムントに駆け寄りながらフォスターを睨む。
「まさか。なにをおっしゃるのです?」
しかしフォスターは訝しげな表情で平然とした態度を取っていた。
「ま、待て……毒ではない」
苦し気にジークムントがフランツの腕を掴む。
「フォスター、これは一体なんですか?」
涙目になりながらジークムントがフォスターを睨んだ。
「さきほど申し上げた通りホットワインですが。スパイスを加えてより体が温まるようにした北部兵流です。遠征時によくお作りいたしましたよ」
涼しい顔でフォスターは問いかけに答えた。確かに寒冷地帯であるカザラス帝国北部にいる兵士たちの間では、温めたワインに香辛料を加えて寒さをしのぐ風習があった。
「そうでしたね……ですが身体が受け付けなくなっているようです。まだ本調子ではなくて、刺激物は控えなければならないというのを、あなたには伝えておりませんでしたね」
まだ苦しそうにしながらジークムントがいう。口調は穏やかながら、その目の奥には怒りの炎が燃えていた。
「そうだったのですか。大変失礼いたしました。ジークムント様に昔のようにお仕えしたいという気持ちが空回りしてしまったようです。お気に触ったのであれば、いまここで斬り捨てていただいて構いません」
フォスターが膝をつき、首を差し出すかのように頭を垂る。
「……あなたの気持ちはわかりました。顔を上げてください。もう一杯、ホットワインをお願いできますか? 今度はスパイス抜きでね」
そんなフォスターにジークムントは優しく微笑みながら声をかけた。
「ジークムント様……寛大なご処置、感謝いたします」
フォスターは感激したような口調で再び頭を下げると、立ち上がり扉のほうへと向かった。
「そうだ。今度はフランツ殿とあなたの分、三杯お願いしますね」
その背中にジークムントが声をかける。
「お心遣い感謝いたします。ですがお邪魔するのも申し訳ありませんので、お二方の分だけお持ちいたします。それと……」
フォスターは言いながらフランツのほうへと視線を向けた。
「フランツ殿。さきほどジークムント様のことを『マクナティア様』と呼んでいらっしゃいました。癖で以前の主人の名を呼んでしまうのはわかります。私もまだ陛下とお呼びしなければならぬところを『ジークムント様』とお呼びする癖が抜けません。お互い、気をつけねばなりませんね」
「なっ!?」
フォスターの指摘にフランツが動揺する。その様子をジークムントが冷たい目でにらんだ。
「そ、そうでしたか。ご指摘、感謝いたします」
狼狽しつつも必死に誤魔化し、フランツは頭を下げた。それを見たフォスターはひとつ頷き、部屋から出て行った。遠ざかるフォスターの足音にフランツは聞き耳を立てる。そして充分距離が離れたと確信すると、ジークムントの前にひれ伏した。
「も、申し訳ございません!」
「……厄介ですね。有能だと評判な人材ですが、気付かれてしまう前に始末した方がいいのかもしれません」
だがジークムントはフランツに目もくれず、フォスターが出て行った扉を見つめている。
「本当にジークムントがホットワインが好きだったのかどうか、至急確認してください。それと北部兵流のホットワインとやらが実在するのかどうかも」
「かしこまりました!」
ジークムントの指示を聞き、フランツは部屋を飛び出した。
結局、ジークムントがホットワインを好んでいたという情報は真実であると確認が取れた。北部兵流のホットワインも実在したが、どんなスパイスを入れるかは人それぞれであり、フォスターがジークムントに作っていたホットワインがどんなものであったかは二人にしかわからないものであった。
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