側近(イルスデン)
厳重に警備された帝都イルスデンの皇帝の執務室。汗まみれの男が皇帝ジークムントの前で膝まづいていた。バーデンから姿を消したラーベル教の司祭、ワルターだ。
「やれやれ。中途半端に攻めた結果、攻めるも守るもままならない状況に追い込まれる……領土などというくだらないものを求めた前皇帝は愚かですね」
部屋の主、ジークムントがワルターを冷たく見据えながら言う。
「あなたも竜王相手ではどうしようもなかったでしょう」
ジークムントの言葉に緊張の面持ちだったワルターの表情がわずかに緩む。
だが……
「……ですが、貴重な神兵たちを消耗して何の咎めもなしというわけにもいきませんね」
続くジークムントの発言にワルターは顔を強張らせた。
「お、お待ちください! マクナティア様がご興味を持ちそうなものを……」
「その名で呼ぶな!」
ワルターが口にした名は奇妙なことに死んだはずのラーベル教大司教の名であった。それを聞いた途端、ジークムントの顔が悪鬼のごとき恐ろしい表情となる。その身体から怒りとともに魔力が発せられ、ワルターに襲い掛かった。
「ぐふっ!?」
ワルターは見えない衝撃波に弾き飛ばされ、壁に激突する。そして咳き込みながら床へと崩れ落ちた。
「も、申し訳ありません! ですがどうかこれを……」
口から血を流しながらもワルターは懐から何かを取り出す。
「……ほう」
怒りの形相のジークムントはそれに興味をひかれたようだった。
「面白い。それに免じて今のミスは大目に見ましょう。ですが次はありませんよ。帝国の要職にある者たちは頭が回ります。余計な詮索を招かぬよう細心の注意を払ってください」
「しょ、承知いたしました!」
ワルターは床に擦り付けんばかりに頭を下げた。そして逃げるように退出していく。
「失礼いたします」
そこにワルターと入れ替わる様に一人の初老の男が部屋へと入ってきた。以前、マクナティア大司教の側近を務めていた司教のフランツである。フランツは帝国第一宰相ヴァシロフ、第二宰相ユリアンネに次ぐ、帝国第三宰相の職務を与えられていた。宰相は軍事、政治共に大きな力を持つが、第三宰相ともなるとさすがに大きな力はもっていない。ジークムントは教会との連携を深めるという名目で前任者を解任し、フランツをその地位へと付けたのであった。
「陛下、ダルフェニアから帰参したフォスター殿が到着いたしました」
フランツが恭しく頭を下げながら報告する。
「”沈黙”のフォスター……ジークムントの副官でしたね。かなりの切れ者と聞いています。気をつけねばなりませんね……」
ジークムントが眉をひそめる。まるでジークムントが別人であるかのような物言いだった。
「現在、ヴァシロフ様とユリアンネ様が面会中です。フォスター殿だけでなく、”神敵”アデルの側近だという男もおり任官を求めております」
「アデル王の側近?」
フランツの話にジークムントは怪訝な表情となった。
ダルフェニアから帰参したフォスターはイルスデン城の謁見の間に通されていた。通常であれば壁際にはズラリと衛兵が並んでいるが現在は人払いをされている。フォスターと”黒槍”リオは帝都守備隊長であるベッケナーとその精鋭の配下数人に囲まれ、玉座の前へと進んでいった。
「ジークムント様……!」
その玉座に座る人物を見てフォスターが声を漏らす。玉座には皇帝となったジークムントが座っており、その脇にはヴァシロフ、ユリアンネ、フランツと帝国宰相の三人が並んでいた。
「陛下」
堂々たる体躯のベッケナーが歩みを止め、ジークムントに敬礼する。
「フォスター・ユナシュバイツ、そしてリオなる男を連れてまいりました」
ベッケナーが言うとジークムントは小さく、ゆっくりと頷いた。
「ジークムント様……」
フォスターはジークムントの顔を見つめ涙ぐんだ。
「頭が高い。陛下の御前なるぞ」
ベッケナーがそんなフォスターの肩を掴み、強引に膝をつかせる。リオもベッケナーの配下によって押さえつけられていた。
「し、失礼いたしました。この度は帰参をお許しいただきありがとうございます」
フォスターが声を詰まらせながら頭を下げる。
「しかし……本当に生きていらしたのですね」
フォスターは顔を上げ、ジークムントを見つめた。
「よく戻ってきてくれました。記憶が曖昧で申し訳ないのですが、事情は聴いております。あなたがラーゲンハルトとともにダルフェニアに行ったのも、その忠実さゆえでしょう。再びその手腕を帝国のために発揮してくださることを期待しています」
「ジークムント様……」
ジークムントの言葉を噛み締めるように聞き、フォスターは再び頭を下げた。
「そして……そちらの方は?」
ジークムントはリオのほうに目を向ける。リオは薄汚れただらしない格好をしており、とても身分の高い者には見えなかった。
「おう、よく聞いてくれた!」
待ち切れなかった様子でリオが立ち上がる。だがすぐさまベッケナーの配下たちに押さえつけられ、床に組み伏せられた。
「なんだよ、てめえら! 俺は皇帝と話してるんだぞ!」
自分を抑える兵たちを睨みながらリオが声を荒げた。
「なんたる不敬な態度。礼儀や品性のかけらもない。こやつがアデルめの側近だったなど信じられませんな」
床に押さえつけられたリオを見下ろしながらベッケナーが不愉快そうに言う。誰もがリオを冷たい目で見ていた。以前にリオと会っているユリアンネに至っては怒りの表情を浮かべている。
「ふざけんじゃねぇ! 俺はれっきとしたダルフェニアの国王付きの……特殊何とかだ! 元、だけどな!」
リオがベッケナーを睨みながら叫んだ。
「……フォスター、彼の言っていることは本当なのですか?」
ジークムントが眉をひそめて尋ねる。
「……はい、それは間違いありません」
フォスターは言いたくなそうな表情で答えた。ジークムントとの再会をリオに邪魔されたのが気に食わなかったのだ。
「ほら見ろ! 俺はアデルのマブダチだっつーの!」
鬼の首を取ったかのような表情でリオが言う。
「……間違いありませんか?」
「……友達という間柄には見えませんでしたが、我々の間では最も早くからアデル王と面識はあったようです」
再びジークムントに問われ、律儀にフォスターが答える。
「俺はまだアデルの仲間が女ダークエルフしかいなかった時からの知り合いだぜ! 俺はあいつと手合わせしたんだ。その時に大金をもらってよ。今思えばあれはスカウトってやつだったんだろうな!」
リオが自慢げに語る。もちろんその内容は嘘と脚色にまみれていた。
「ほう……それは興味深い。ベッケナー、彼を開放しなさい。話を聞いてみましょう」
ジークムントの指示でベッケナーの配下たちがリオから離れる。だがリオはしばらく床に這いつくばったままでいた。
(な、なんだ……? これが威厳ってやつか……?)
自分を見つめるジークムントの目。それを見てリオはなぜか背筋が凍り付くような感覚を覚えた。
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