収穫(バーデン)
バーデンでラーベル教徒たちを退けたアデルたちは安堵のため息をついた。
「どうにかなったな」
イルアーナがピーコらとともにアデルのそばにやってくる。
「ええ、そうですね」
「……その兵はなんだ?」
「あ」
イルアーナに指摘され、アデルはずっとアーロフの私兵の一人の首根っこを掴んでいたことに気付いた。兵士は気まずそうにイルアーナから目を逸らす。
「ご、ごめんなさい!」
「い、いえ……」
レイコやデスドラゴンの戦いに気を取られていたアデルはようやく兵士から手を放し、頭を下げた。兵士も会釈かお辞儀か判然としない頭の下げ方をしながら仲間の元へ戻っていく。アーロフの私兵たちは目の前の惨状に時折目を向けながら、傷ついた仲間の手当てをしていた。
その時、人々が光に照らされる。空を飛んでいたレイコが近付いてきたのだ。その光が収束しながら地面に降りる。光が消えるとそこにはレイコが立っていた。
「はぁ、疲れましたわ。さあ、ご飯にいたしましょう」
「い、いや、もうちょっと待ってください」
アデルが顔を引きつらせる。
「マジでありえないんデスけど」
いつの間にか人間の姿に戻ったデスドラゴンもそこにやってきた。
「バカアデルのせいで怠きこと山の如し!」
デスドラゴンはいつも通り機嫌が悪そうだった。
「アデル君、急ごう! また重要なものを処分されちゃうよ!」
ラーゲンハルトが神殿を指さす。
「なにを慌てているのですか? 逃げ場などないでしょう」
事情を知らないアーロフが不思議そうに尋ねた。
「彼らは魔法の門で別の場所に移動できるんだ。恐らく地下にそれがある」
「そんな力が奴らに……?」
ラーゲンハルトの言葉にアーロフは眉をひそめた。
「トビアス、行くぞ。兵たちは負傷者の治療をしつつ周囲を警戒しろ」
「はっ!」
アーロフに従い、トビアスが駆け寄ってくる。
「私は怪我人を治す」
ポチはそう言うと負傷したアーロフの私兵たちのほうに歩いて行った。
「わたくしはここで待っていますわ」
一歩も無駄に動くつもりはないという強い意志を持ってレイコが言う。デスドラゴンは神官たちの死体を闇の中に取り込んでいた。
「行くぞ、アデル」
イルアーナが神殿を睨む。その足元にはピーコと氷竜王がついてきていた。
(態度は悪いが竜もダークエルフも従っている……アデル王とはそれほどの人物なのか……)
トビアスはとても威厳のあるようには見えないアデルの横顔を盗み見た。
「は、はい、行きましょう!」
アデルは緊張の面持ちで神殿の入り口に立つ。入り口の扉は固く閉ざされていた。アデルは剣を振るってその扉を破壊する。待ち伏せを警戒してラーゲンハルトが素早く中に目を走らせるが、そこに人気はなかった。
「……敵はいないみたいだね。でも罠があるかもしれないから気を付けて」
ラーゲンハルトが真剣な顔つきで一同に言った。
「今回はけっこう物が残ってますね……」
そろりと足を踏み入れながらアデルが呟く。これまでラーベル教の神殿に踏み込んだ時は証拠隠滅のために一切の物が運び出されたり燃やされている場合が多かったが、今回は家具や調度品の多くが残っていた。
「奥から強力な魔力を感じる。やはり転移門が使われたのだろう」
イルアーナが内部の奥に目を向ける。確かにアデルにもその魔力は感じられた。神殿は内部の魔力を外に通しにくい構造になっているようだ。
アデルたちは中へと足を踏み入れる。入ってすぐの場所は説法などが行われるホールになっている。床には紙が散乱していた。アデルはそのうちの一枚を拾ってみる。
「入信書……?」
アデルはそこに書かれている文に目を通した。ラーベル教信徒としての心構えなどが書かれている。信徒は女神ベアトリヤル、そしてその代理人である教会上位者に対して全てを捧げるという条文があり、下には署名欄があった。
「それはラーベル教に入信する際に書かされる書類だな。信者はそれに記入し、血判を押してラーベル教に忠誠を誓うのだ」
アーロフが横から紙を覗いて言う。
「『契約』じゃな」
話を聞いていたピーコが呟いた。
「契約?」
「ああ。相手の精神を束縛する魔法の一種じゃ」
「そ、それって相手を意のままに操ったりできるんですか!?」
ピーコの言葉を聞いてアデルが尋ねる。
「それは難しい。じゃが魔法文明では奴隷の行動を制限するといったような使い方はしていたようじゃな」
「で、では俺たちも知らず知らずのうちにそんな契約を!?」
アーロフが驚きと怒りに声を荒げる。
「知らず知らずと言うことはなかろう。まあ心の底から忠誠を捧げていなければ大した影響は受けぬ。そうでなければさっきの神官たちのようになるだろうがな」
「あ、あれは……その契約とやらのせいなのですか?」
トビアスが愕然とした表情で尋ねた。
「うむ。正確には契約のせいで主からの魔法への抵抗力が下がったのじゃ。また身体が変位する魔法もあらかじめ仕込まれてあったのじゃろう。そうでなければ、さっきの男の魔力で出来ることではない」
「そ、そんなことを教会が……?」
トビアスはピーコの話に耳を傾けつつも、まだ信じきれない様子だった。
アデルたちはさらに奥へと進む。だが抵抗にも罠にも遭うことなく、一行は教会の地下へと辿り着いた。石壁には大きな棚がいくつも作られている。そこは地下墓地であった。本来であればその棚にラーベル教徒の遺体が葬られるはずの場所である。しかしどの棚にも遺体はなく、ところどころに苔がむしているだけであった。
「やはり死体がないな」
アーロフが周囲を見渡しながら呟く。部屋の中央には石の台のようなものが置かれ、そこには赤黒い染みが一面にできていた。
「そんな……本当にラーベル教は嘘を……?」
トビアスは眉をひそめて空っぽの墓地を見回した。部屋の奥には分厚い石製の扉があり、強い魔力はそこから発せられている。
トビアスは奥へと進むと、その扉に手をかけた。すると扉が魔力を発する。
「危ないの!」
氷竜王がトビアスを突き飛ばした。次の瞬間、扉から白い光が発せられた。
「ひょーちゃん!」
アデルが氷竜王の名を呼ぶ。
「ひょーちゃんなの!」
するとすぐに元気な返事が返ってきた。氷竜王は一切ダメージを負った様子もない。
「え?」
アデルは呆気に取られて氷竜王を見つめる。
「魔法の罠じゃな。奥の強い魔力に紛れて気付かんかったわい」
ピーコが肩をすくめた。
「だ、大丈夫なの?」
「大丈夫なの!」
心配するアデルに笑顔で氷竜王が答えた。
「この程度の魔法で我々がやられるわけないじゃろう」
ピーコが自慢げに胸を張った。
「あ、ありがとうございます……」
突き飛ばされたトビアスはフラフラと立ち上がり礼を言った。氷竜王の突き飛ばしにより、けっこうな勢いで壁に叩きつけられたのだ。
そして奥の部屋では壁に大きな魔法陣が描かれていた。前と同様、壁に魔力の残滓があり、魔法の門がついさっきまで開かれていたものと推測された。しかしそれ以外にめぼしい物は発見できなかった。
「あの神官や、かなうわけもない住民たちをけしかけたのは時間稼ぎか……してやられたね」
ラーゲンハルトががっかりして呟く。
「確かに。ですが……」
アーロフはそんなラーゲンハルトの肩に手を置いた。
「何もない。そのことが最大の収穫です」
アーロフは自信に満ちた様子で呟いたのだった。
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