災害(バーデン)
アデルたちが化け物と化した神官と戦っている間、アーロフの私兵たちが押し寄せるカザラス兵と住民をどうにか防いでいた。カザラス兵たちは圧倒的多数だが、ラーベル教徒としてアデルたちを襲おうとする者ばかりではない。アーロフの命に従い、あるいは神竜の力を見て、アデルたちを襲おうとする者たちと戦うカザラス兵もいた。また後のほうはどちらにつくべきか迷いつつ、とりあえずほかの兵に付いてきているカザラス兵も多い。
そういった状況で誰が敵で誰が味方なのか判別がつかぬまま、カザラス兵たちは混乱しながら戦っていた。明らかにアーロフの私兵たちのほうが劣勢だが、今はまだ通りを上手く塞ぐことで数的不利をカバーしている。だがそのうち路地から回り込まれて包囲されてしまうことだろう。
「兄上! 人数が違いすぎます!」
アーロフが焦りの表情でラーゲンハルトに向かって叫ぶ。ラーゲンハルトは戦況を見つめながらしばし考え込んだ。
「アーロフ、君の私兵以外のカザラス兵に後退を命じて!」
「は? そ、それでは余計に人数差が……」
「いいから!」
ラーゲンハルトに言われ、アーロフは渋々それに従う。大声でカザラス兵たちに向かって叫ぶと、徐々にカザラス兵たちが二手に分かれ始める。アーロフの命に従って後ろに下がる者たちと、アデルたちを殺そうと群がる者たちだ。これによって敵と味方の判別は容易となった。
「こ、こんなに……!」
アデルは絶句する。暗くて全貌は見えないが、アデルたちと敵対するカザラス兵と住民は数千人いるようだ。
「これ以上持ちこたえられない!」
トビアスが私兵たちと戦いながら顔を歪める。
(弓を持ってくれば良かった……!)
アデルは剣に魔力を込めながら後悔した。リヴァイアタコとの戦いでこんなに苦戦するとは思っていなかった。その後にカザラス兵との戦いになるのも想定外だ。
(レイコさんたちの力を見てもまだ向かって来るなんて……)
自身が特定の神に信仰心を捧げていないこともあり、アデルはラーベル教徒の信仰心を侮ってしまっていたのだ。
アデルは跳び上がると、群がる敵に向かって魔力を込めた剣を振るった。
「天馬竜聖剣!」
アデルの剣から風の刃が乱れ飛ぶ。何人もの敵がそれを受けて倒れた。その中には住民も混じっている。アデルはできれば手加減したいと思っていたが、そんなことが許される状況ではないことはわかっていた。
「レイコさんも手伝ってもらえませんか!」
アデルが後ろにいるレイコを振り向く。
「嫌ですわ。もう充分働きましたでしょう? わたくしにはもうナイフとフォーク、あとデザート用のスプーンを持つ力しか残されておりませんわ。あ、食後はダイヤローズティーでお願いしますわね」
レイコが悲劇のヒロインのように顔を振りながら要求を言う。
「でもレイコちゃん、彼らをどうにかしないと夕飯にありつけないよ」
「なんですって……?」
ラーゲンハルトの言葉を聞きレイコの顔色が変わる。
「わたくしお腹ペコペコですのに!」
その体が眩い輝きに包まれた。次の瞬間、夜空に巨大な黄金の龍が現れる。さきほどよりも空が暗い分、その存在感はより増して見えた。
「で、出たぞ! 魔竜だ!」
アデルたちを襲う人々が恐怖の眼差しで空を見上げる。だがそれでも逃げずに戦いを続けていた。
「レイコさん、この恰好の兵士は攻撃しないでください!」
アデルは一番近くにいたアーロフの私兵の首根っこを掴み、レイコに見せるように持ち上げる。その兵士は片手で簡単に持ち上げられたことに驚き、慌てふためいていた。
『降光巣!』
レイコが咆哮を上げると、その口から光でできた蜘蛛の巣のようなものが発射される。正確には幾条もの細い光の帯が屈折してコースを変えながら飛び交い、その残像が蜘蛛の巣のように見えているのだ。
「うわぁっ!」
「ぎゃぁぁっ!」
いくつもの悲鳴が巻き起こる。周囲の様子は地獄絵図のように一変した。アデルたちを襲おうとしていた人々が体中を切り裂かれ地面に転がる。傷口が光で焼かれるため出血もなく、まるで人形が分解されたかのような光景だった。
「こ、こんな攻撃もできるのか……!」
アデルは思わず息を飲む。レイコの攻撃は威力が低く射程距離も短かったが、脆い相手を広範囲で殲滅するにはうってつけのものだった。アデルに掴まれた兵士も茫然とその光景を見ている。
「ひ、ひぃっ!」
敵はまだ多く残っていたが、その攻撃でさすがに怖気づいた様子だった。一部の者は後方へと逃げ始めている。レイコの攻撃はリヴァイアタコとの戦いで見ていた。だが遠めに見たものと自分たちに向けられたものでは迫力が違う。ヌーラン平原決戦にてレイコの攻撃を見たカザラス兵もいたが、あそこで何が起きたかを理解できた者はそもそも敵対を避けている。
「ちょっと、まだ終わってないの!? ノロマンディー上陸作戦!」
そこに顔をしかめたデスドラゴンが戻ってきた。
「あっ、デスドラゴンさん! さっきの人たちは?」
「チョベグチョ」
神官たちのことを尋ねたアデルにデスドラゴンは一言で返した。
(……たぶん、チョー・ベリー・グチョグチョの略だな)
あまり考えたくない光景を思い浮かべながらアデルはデスドラゴンの言葉の意味を推理する。
「さっさと終わらせてさっさと帰る」
デスドラゴンはそう言うと、その身体が黒い闇に包まれる。それは夜の闇に溶け込むように膨張していき、巨大な黒いドラゴンが姿を現した。
「魔竜がもう一体来たぞ!」
「こ、殺される……!」
敵兵の間に絶望が広がる。徐々に逃げ出す者が増え始めた。
「デスドラゴンさん! この格好の兵士は攻撃しないでくださいね!」
アデルがデスドラゴンにも注意を促す。掴まれた兵士はもう、されるがままになっていた。
デスドラゴンは空中に跳び上がる。その太い尻尾が黒い闇を纏った。
『地異川!』
デスドラゴンが尻尾を振るう。だがその攻撃は敵兵をはずれ、その後方に命中する。デスドラゴンの尻尾が民家を破壊し、地面に大きく深い溝を穿った。
「は、外れた……?」
敵兵たちが安堵したのも束の間、今度はデスドラゴンの口から煙のような闇が吐き出される。それは雨雲のように兵士たちの頭上に広がった。
『隕降怨嗟!』
デスドラゴンが叫ぶと、その闇から石や土砂が敵兵たちに向かって降り注いだ。先ほどの攻撃で取り込んだ民家の破片や土を放出したのだ。
「ぎゃぁぁっ!」
広範囲で悲鳴が沸き上がる。あちらこちらで兵士や住人が石に押しつぶされ、砂に生き埋めになる光景が繰り広げられた。
「うわぁぁっ!」
そこから逃れようとした者が、さきほどデスドラゴンが作り出した溝に落ちる。溝は深いところでは5メートルほどあり、落ちれば無事では済まない。そしてその溝は彼らの退路を断つかのように長く広がっていた。溝に落ちた者にも容赦なく土砂は降りかかる。
辺りに響いていた悲鳴もやがて聞こえなくなった。土砂が止むと、通りにいた敵はほとんど姿を消している。積もった土砂のところどころから助けを求めるように腕が飛び出していた。
「退路を断ってからの殲滅……歯向かう者に容赦のない無慈悲な攻撃。さすがデスドラゴン様だ!」
アーロフが恍惚とした表情で呟く。まだ敵はかなりの人数が生き残っていたが、動けるものは散り散りになって逃げていった。だがトビアスも含め、アーロフの私兵たちは勝利したにもかかわらずその顔色は青ざめていた。
「これはもはや攻撃というよりも災害だ。神の御業ととるか悪魔の所業と見るか……」
神竜たちの圧倒的な力を目の当たりにし、トビアスは険しい表情で呟いた。
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