兼任(イルスデン)
誤字報告ありがとうございました。
新皇帝の即位に沸き立つ帝都イルスデンであったが、完全に一枚岩となったわけではなかった。
「なんで急にあの女の子供が出てくるのよ!」
帝都の後宮では皇帝ロデリックの第二皇妃、マリエッタが怒りをぶちまけていた。侍従たちが宥めようとオロオロしているが、おかまいなしだった。
「あの泥棒猫……第一皇妃の座だけじゃなくて子供の帝位まで私から奪う気なの!?」
マリエッタは怒りが収まらず、侍従の一人を平手打ちする。しかし侍従はそれでもただただマリエッタを止めようとするばかりだった。
「誰かあの子をもう一回殺しなさい! 今度は生き返ったりしないよう、死体も燃やしてしまいなさい!」
マリエッタがヒステリックに叫ぶ。その時……
「義母上、そのくらいにしていただけますか」
「お、おまえは!?」
冷ややかな男性の声にマリエッタの表情が固まった。振り向くとそこには新たに皇帝となったジークムントが冷たい表情で立っていた。
「こ、ここは男子禁制よ! 今すぐ出て行きなさい!」
少し取り乱しつつも、マリエッタはジークムントを怒鳴りつける。
「それは父上の代のお話でしょう。皇帝が変わった以上、本来であれば皆を追い出してもいいところなのですよ」
「くっ……」
淡々と話すジークムントにマリエッタは顔を歪めた。
「義母上、さきほどのお言葉は聞かなかったことにいたします。ただしもう一度あのようなことを喚かれていたら、次は反逆罪で極刑とさせていただきますよ」
「な、なんですって……!? この私を……?」
マリエッタは唖然としてジークムントを見つめる。
「……お分かりいただけますね?」
ジークムントは鋭い視線でマリエッタを睨みつける。それを見たマリエッタは背筋が凍るのを感じた。
「わ、わかったわ! わかったからさっさと下がりなさい!」
逃げるように視線を外し、精一杯の虚勢でマリエッタは声を荒げる。
「お分かりいただけて良かったです。今は帝国にとって大事な時期。ご協力をよろしくお願いします」
ジークムントは微笑みを浮かべると優雅に一礼した。
「……やれやれ、やっと収まったようじゃな」
カザラス帝国内で王弟派をまとめている”姫将軍”エスカライザはため息をつきながら言った。さきほどまで後宮内にはマリエッタの騒ぐ声が響いていたのだが、それが聞こえなくなっていたのだ。
そこは第三皇妃マギヤの私室の一角だった。エスカライザとテーブルを挟んでマギヤの娘であるヒルデガルドが座っている。男子禁制の後宮はヒルデガルドとエスカライザが密談を行うのに適していた。マギヤは身の回りのことを自分で行うため、部屋に侍従が出入りする機会も少ない。今もマギヤはエスカライザとヒルデガルドのためにお茶を淹れていた。
「それにしても間違いなくジークムント本人なのでしょうね?」
エスカライザが竜戯王のカードを置きながら尋ねる。エスカライザ自身もジークムントと顔を合わせたことはあるが、生き返ったなどという話は受け入れられなかった。
「ええ。フローリア様も泣きながら抱きついていました」
ヒルデガルドが複雑な表情で言う。第一皇妃フローリアはジークムントの実の母親だ。他人と見分けがつかぬことなどないだろう。
「腹立たしい……妾の部下もジークムントが相手では勝ち目がないと、だいぶ離れてしまった」
エスカライザは眉間にしわを寄せた。旧ローゼス王家の血筋に権威を取り戻そうとする王弟派であったが、ジークムントがこのまま皇帝として収まるのであれば次のチャンスは相当先となる。もはやそれまでは待てないと王弟派を離脱する者が多くなっていた。
「ただ……魔法で人が蘇ることはない。ダルフェニアのダークエルフや神竜たちはそう申しておりました」
ヒルデガルドが躊躇いがちに話す。ヒルデガルド自身まだ整理がついていない様子だった。
「だとすれば顔が似ているものを連れて来たと言うことか?」
「どうでしょうか。もしかすると顔だけそっくりにする魔法があるのかもしれません。内面のほうは記憶がないと言えばどうにかなりますし……それにもし本人だとしても皇帝としての力があるかどうかはまだわかりません。いずれにせよ、しばらく様子を見るしかないのではないでしょうか」
「ふっ、まるで貴公はこのまま国が安定するのを望んでいないかのような言い方だな」
ヒルデガルドの話を聞き、エスカライザがからかうように言った。
「いえ、そんなことはありません。ただ……」
首を振りながらヒルデガルドは言葉を濁らせる。
「はいはい、お茶が入りましたよ。難しい話はそこまで!」
そこにマギヤがお茶のセットの乗ったトレイを持ってやってきた。そして話題は他愛もない雑談へと変わったのだった。
「出発するぞ!」
イルスデンにアーロフの勇ましい声が響く。新皇帝ジークムントは死んだフォルゼナッハの代わりとして、第二征伐軍の軍団長に皇帝ロデリックの第四子アーロフを据えた。新年早々アーロフは第二征伐軍の指揮を執るため、慌ただしく帝都を出発しようとしていた。
「やれやれ……普通に戦える場所に派遣して欲しいものだな」
馬車へと乗り込んだアーロフはボヤく。
ラングール共和国の攻略を担当する第二征伐軍はラングール本土に前哨基地を構え、相手の喉元にナイフを突きつけているような状態だ。しかし一方で胸元に相手の剣を突き付けられているような状態でもあった。
カザラス軍は前哨基地としている都市バーデンとその周辺都市において略奪と虐殺を行った。そのため食糧を自給できるような状況ではなく、本国からの補給が生命線となっている。
しかしその補給のためには危険な魔物のいる海を越えて輸送船を送らねばならず、壊滅状態とはいえラングール海軍の残党から攻撃を受ける恐れもあった。
「まったく……第一征伐軍といい、なぜ俺は敗戦処理みたいなことばかりやらされるのだ」
アーロフは不満げに呟く。
「アーロフ様が無能であればお任せにはならないでしょう」
共に馬車に乗った赤毛の騎士”烈火”のトビアスが言った。元は第一征伐軍の重装騎兵隊を率いる将であったが、アーロフが第一征伐軍軍団長就任時に態度が反抗的だったため投獄されていた。その後はアーロフが自身の護衛として側に置いている。今回の第二征伐軍軍団長就任に伴い、トビアスは副官としてアーロフとともに赴任することになっていた。
「世辞……ではないか。まあ額面通り受け取っておくとしよう。それよりジークムントについてどう思う? お前の元上官だったのだろう?」
新皇帝ジークムントは第一征伐軍の軍団長を務めていた時期があり、トビアスもその下で仕えていたことがある。
「どうと言われましても答えに困りますが……だいぶお人が変わったのは事実です。ジークムント様はラーベル教会に対して懐疑的な立場を取っていらしたのに、大司教に就任されるということですから」
トビアスは淡々と答える。一歩間違えれば不敬罪で処罰されかねない内容だった。
「まあ話が本当であれば命を救われた訳だからな。心変わりがあっても不思議ではないが……」
アーロフが眉をひそめて呟く。新皇帝ジークムントは皇帝ロデリックと同時期に亡くなったラーベル教の大司教マクナティアに代わり、ラーベル教の大司教も兼任すると発表した。ラーベル教とより強固な協力関係を築くためだ。これには皇帝による教会の私物化だという批判もあったが、指導者を欠いた教会関係者からの大きな反発はなく、受け入れられることとなった。
「それより……これは何なのですか?」
トビアスが馬車内を見回して言う。そこにはレイコとデスドラゴンの描かれた絵が貼られていた。
「ダルフェニアの神竜だ。もし見かけたらすぐに教えろ」
アーロフが真剣な顔でトビアスに告げる。
こうしてアーロフとトビアス、そして大量の神竜信仰具を乗せた馬車は、物資と補充兵の乗った馬車数台を連れ、任地へ向かって走り出した。
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