入国
ガルツ要塞を迂回したアデルたちはガルツ峡谷へと抜け出した。峡谷と言ってもその幅は数百mにも及ぶ。かつて川が流れていたであろうこの峡谷は二つの国を結ぶ重要な交通路であり、カザラス側は緩やかな下り坂になっていた。戦争時には兵士の血が赤い川を作るという。
戦争状態にある両国の国境においても、自由に行き来できる者たちはいる。交易商人、冒険者、そして神官である。交易商人たちは多額の通行料を払うことで通行の自由を得ている。冒険者は通行料は少額だが、冒険者ギルドという巨大組織の後ろ盾があるため、国としても認めざるを得ないといったところだ。傭兵や情報屋など、冒険者ギルドの影響力は国にとっても大きい。
神官というのはラーベル教会という一神教の神官である。いままではみな土着の多神教を信仰していたが、カザラス帝国は早くからラーベル教会を国教として制定した。その神官たちは神聖魔法を使うことができ、傷や病気を治せるため、有力者の多くが彼らに協力し、その影響力は一気に拡大した。カザラス国内はもちろん、ヴィーケン国内でも王都カイバリーには大きな教会があり、通行の自由を認められていた。
この先はアデルの顔を知っている者はいないであろうが、念のために仮面は付けている。イルアーナは引き続き、包帯を巻きローブのフードをかぶっていた。
少しカザラス側に歩くと、道の脇に木の板で雑に塞がれたトンネルの入り口が見えた。
「こんなところまで繋がっていたのか。エルフめ、ずいぶん張り切ったな」
イルアーナがそれを見て呟いた。
「エルフが?」
「知らなかったのか? このトンネルはエルフが土魔法で掘ったのだ。私がトンネルの存在に気づいたのも、エルフどもが見つかる可能性など考えず魔法を使っていたからだ」
「やっぱり魔法を使えば簡単にトンネルとか掘れちゃうんですね」
「いや、そう簡単でもない。正確には穴を掘ること自体は簡単だが、その周りを補強するのが難しい。前にムラビットの村で言ったが、周りの密度を均一にするのが難しいのだ。だからエルフが穴を掘り、人間が木で補強しながら進んだのだろう」
「へぇー、そうなんですね」
アデルはまたわかったフリをした。
ガルツ峡谷の付近に位置する国境の村、メイユ。小さい村だが、国境警備隊として数十名の兵士が常時詰めている。村の周りは高さはそれほどではないものの石壁に囲まれ、空堀が作られていた。
カザラス帝国に征服される前のハーヴィル王国時代からヴィーケン王国との国境の守りを務める村だが、ハーヴィル王国もヴィーケン王国より遥かに強い国だったため、ヴィーケン側から攻められたことは一度もない。
「久々にちゃんとした宿に泊まりたいですねぇ」
一週間ほど野宿続きだったため、思わずアデルは呟いた。もっともアデルは相変わらず無一文なため、泊まるとしてもイルアーナの奢りとなる。
「そうだな、今日はここに泊まるか」
「ありがとうございます」
アデルはイルアーナに頭を下げた。すっかり主従関係が出来上がってしまっている。
「……しかし、ポチはともかくピーコは目立つな」
イルアーナは肩に止まっているピーコを見た。ポチは「こんな動物いるんだ」程度で済むかもしれないが、ピーコは明らかに普通の鳥ではない。
「そうか?」
ピーコは羽を広げて自分の体をしげしげと眺めた。
「ではこれでどうじゃ?」
ピーコがイルアーナの肩から地面に降りた。その体が一気に膨れ上がる――
一瞬後、ピーコがいた場所には見知らぬ美少女が立っていた。
「え?」
アデルが驚きの声を上げる。年のころは十二、三歳くらいだろうか。ポチが変身した時と同じくらいに見えた。金と茶の間ぐらいの色の長髪が腰まで伸びている。見ただけでわかるくらいサラサラで艶やかだ。やや吊り目がちで、不敵な笑みを浮かべてアデルたちを見つめている。巫女服に似た服装をしており、大きな袖口が翼を連想させた。
「ピ、ピーコ?」
「完璧な変身じゃろ」
ピーコはその場でくるっと回って見せた。その動きに合わせて髪が舞い上がり、空間を煌めかせる。美少女すぎてこれはこれで目立ってしまっているが、どこからどう見ても人間に見えるだろう。
「た、確かにこれなら怪しまれなそうですね」
アデルたちは意気揚々とメイユの村へと向かった。
「なんだお前らは。怪しい奴らめ」
完全に怪しまれた。アデルたちは衛兵に止められてしまった。黒づくめの男に包帯で顔を隠した女。本人たちは慣れたが、やはり他人から見たら怪しすぎるようだ。
「まさか誘拐犯か?」
衛兵がジロジロとアデルたちを観察する。
「ち、違いますよ、僕たちは冒険者です!」
アデルが必死に言い繕う。
「その小さな女の子は何だ? 冒険者なわけがないだろ」
衛兵はピーコを指して言った。
「これは私の妹だ」
イルアーナが誤魔化そうとする。
「妹? 何を言っているのじゃ。我らは友達じゃろう」
まったく話を合わせてくれないピーコにアデルは頭を抱えた。
「やはり怪しいな」
衛兵は完全に疑っているようで、槍を構えようとした。
「ちょ、ちょっと待ってください! どうかこれでひとつ……」
アデルは何かを衛兵に手渡した。
「なんだ? 買収など出来ると思っているなら考えが……」
衛兵はアデルに手渡されたものを確認する。それはアデルがズール村の村長からもらった、セクシーなハーピーの絵であった。
「……そうか、疑ってすまなかったな。よし、通っていいぞ!」
衛兵は素早く懐に絵を隠すと、アデルたちを通してくれた。こうしてアデルたちのピンチはエロによって救われたのであった。
お読みいただきありがとうございました。