棘
初めてのクエストが失敗となったアデルたちは、一路、カザラス帝国領内を目指していた。絶望の森と呼ばれる場所に行くためだ。そこにはイルアーナの母が属するプリムウッド族が住んでいる。
一番安全かつ早いルートはガルツ要塞を通過することだが、そこにはアデルのことを知っている兵士も多い。アデルが暗殺されそうになった理由がはっきりしない以上、アデルの生存を知られるわけにはいかない。
そんなわけでアデルたちは心当たりのあるルートを取ろうと思ったのだが……
「やっぱり見張りがいますね……」
カザラス帝国が作ったトンネルの前には十名ほどの見張りの兵がいた。少なくとも同数の交代要員が近くにいることだろう。トンネルの出入口も石が積み上げられて塞がれてしまっている。ヴィーケン側としては戦略上、通すわけにはいかない場所であるので警戒が厳重なのは当然のことだった。
一方、カザラス側の出入り口には一切、見張り等はいない。カザラス側の出入り口はカザラス帝国の防御線のはるか先であり、ヴィーケン王国がそのトンネルを利用しても何も困ることはないからだ。
「となると、ガルツ要塞の手前からバーランド山脈に入って抜けなければならんな……」
イルアーナが見張りの兵を木の陰から見ながら言う。
「魔法で眠らせたりとかは出来ないんですか?」
アデルはイルアーナに小声で尋ねる。
「精神に作用する魔法は一番難しいのだ。それに相手にも左右されるから不確実だしな」
イルアーナがアデルの質問に答えた。
「そうなんですか? 眠らせる魔法とか割と簡単に使ってるイメージですけど……」
ゲームでは低レベルでも敵を複数眠らせるような魔法が使えることも多い。アデルはそのイメージで人を眠らせる魔法は割と簡単なのではと思っていた。
「簡単に人を眠らせられるなら、殺すのも簡単にできるだろう。魔法は人間たちが思うほど強力なものではない。昔、父上がお前を眠らせられたのは、おまえがまだ子供で精神が未熟で、さらに父上がダークエルフでも屈指の魔力を持っていたからだ」
「え? 何の話ですか?」
「そ、そうか、覚えていないのなら別にいいのだ。忘れろ」
「は、はぁ」
なぜか頬を赤らめて顔を逸らしたイルアーナをアデルは不思議そうに見つめた。
アデルたちはガルツ要塞の北側をバーランド山脈を突っ切ってカザラス帝国を目指すことに決めた。ガルツ要塞を攻めるカザラス軍も何度か山脈に兵を送り込むことを試みていたが、失敗に終わっていた。ヴィーケン軍も魔物を恐れて山へ入ることは滅多にない。バーランド山脈から生還した兵士たちは口を揃えてこう言う。
――『山に殺される』と。
アデルがバーランド山脈に足を踏み入れるのは二度目である。ハーピーの巣に向かうときに立ち入った個所はまだ木立などがあったが、この辺りはさらに岩が多く、ところどころに低木が生えているだけで、山の地肌が見えている部分が多い。
(隠れられる場所が少ない……)
危険と言われている場所を姿をさらして歩くことにアデルは恐怖を感じた。へっぴり腰で山間を歩く。その後ろを堂々と歩くイルアーナと、その肩に乗ったポチとピーコが続く。遮る物が少ないため強い風が吹き抜け、イルアーナの銀髪が宙を舞った。その時……
「何か……来ます……!」
アデルは急速で近づいてくる何かを察知した。イルアーナもダガーを構え、ピーコはパタパタと翼をはためかせ宙に舞い上がる。ポチはイルアーナの肩に乗ったままあくびをしていた。
(なんだあれ?)
山の斜面を黒い球体が大量に転がってくる。それぞれが凶悪な鋭い棘を全身に生やしていた。
「うわぁっ!」
向かって来るいくつもの棘の生えた球体を、アデルはなんとか隙間を縫ってかわした。
「岩張!」
イルアーナは魔法で自身の前に岩の壁を作りそれを防いだ。しかし防いだものの、球体の勢いと鋭い棘によって壁はボロボロになってしまった。そこにさらに別の球体が突っ込んでくる。
「くっ!」
身構えるイルアーナ。しかしそこにアデルが割って入り、剣で球体を斬りつけた。硬い手応えとともに球体が割れ、生臭い中身が漏れ出した。
「大丈夫ですか!」
「あぁ、助かった」
黒い球体はアデルたちを通り過ぎたが、山の傾斜で動きを緩め、再びアデルたちのほうへ転がってきそうな様子だった。
「あれはタンブルウニードだな」
「タンブルウニード?」
イルアーナの告げた名前をアデルはオウム返しに聞き返す。確かに今転がってきた球体は、人と同じくらいの大きさのウニだった。
「あぁ。風に乗って広範囲を転がって移動する魔物だ。草食だが食欲旺盛で、付近の植物を食い尽くしながら移動する厄介者だ」
肉食でも雑食でもないということは、運悪くタンブルウニードの経路上にアデルたちがいたということらしい。
「どれ、風といえば我の出番じゃな」
ピーコがそう言いながら魔力を練り始める。
「大人しくしておれ、ゴミどもめ! 塵鳥!」
ピーコの魔力のこもった言葉に応じ、強風が渦巻きタンブルウニードたちを引き寄せる。タンブルウニードたちは風に乗って渦の中心に集められた。互いの棘ががっちりと絡み合い、簡単には動けそうにない。
「ふぅ……お見事です」
「そうじゃろ」
誉めるアデルの肩にピーコは着地した。
「さて、こいつらをどうするか……」
イルアーナは巨大な塊となったタンブルウニードを見ながら顎に手を当てて呟く。タンブルウニードたちは棘をうねうねと動かして互いの体を解こうとしていた。
「これ、食べたりしないんですか?」
アデルがイルアーナたちに尋ねる。
「これを?」
「こんな気持ちの悪いもの、食べるわけなかろう」
イルアーナとピーコが口々に言った。アデルは自分が切ったタンブルウニードを調べてみた。中には枕くらいの大きさの、黄色い卵巣がいくつか入っている。大きさ以外は日本の寿司に乗っているようなウニと同じだ。
「この黄色いところを食べる人間もいるんですよ」
アデルはタンブルウニードの中を指差したが、イルアーナは眉をひそめた。すると、ポチがその肩から降り、ウニの部分に近づいてクンクンと匂いを嗅ぎだした。
「あ、ポチ、念のため焼いた方が……」
アデルの提案を無視し、ポチはあぐっとウニをかじった。
「ポ、ポチ?」
口の周りを黄色くしてモシャモシャしているポチにアデルが恐る恐る尋ねる。
「きゅー」
ポチは一声鳴くと、さらにウニをかじった。
「……美味いらしい」
ピーコがポチの言葉を翻訳する。ピーコとイルアーナもウニを少しだけ口にしてみた。
「なぜだ……なぜこんなグロテスクなものがこれほど甘くてとろけるのだ……!?」
イルアーナは自分の目と舌の板挟みになり苦悩しているようだった。ピーコは早くもポチと一緒にウニにかじりついていた。
こうして倒したタンブルウニードの残りのウニを回収したアデルたちは、さらにバーランド山脈を進む。タンブルウニードたちはそのうち食用に養殖するかもしれないので、とりあえずそのまま生かしておくこととなった。
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