区切り(イルスデン)
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レイコが飛び立つ少し前、イルスデン城のバルコニーからその様子を睨んでいる人物がいた。
「何をのんびりしているの、ラーゲンハルト。まったく、苛立たしい……」
その人物はユリアンネだった。美しい顔を歪め、ラーゲンハルトたちが帰るのを待っている。
そこは皇帝ロデリックの私室にほど近いバルコニーで、帝都イルスデンの眺めが一望できた。もしも帝都が奇襲を受けた際などは、そこから防衛の指揮を執ることもできる。その下には式典などで使用する広いバルコニーがあり、民衆を集めて演説する際などに用いられていた。
「兄上たちはまだ?」
広場を見下ろすユリアンネに背後から声がかけられる。その声はアーロフの物だった。
「ええ……」
ユリアンネは振り返ると目を見開いた。そこには予想通りアーロフの姿があった。しかし予想外だったのが、アーロフがシーツに包まったロデリックを抱えていることだった。
「な、何をしているのです、アーロフ!」
ユリアンネが悲鳴のような声を上げる。
「儂が頼んだのだ。せっかくダルフェニアの魔竜がこの目で見られるチャンスだからな」
抱えられたロデリックがくぐもった声で言う。その声が体が折り曲がっているせいなのか、病気で体力がないせいなのかはわからなかった。
「……わかりました。ですが少しで体調が悪くおなりになったら、すぐに部屋にお戻りください」
「ふっ」
ユリアンネの言葉にロデリックは少し鼻を鳴らしただけだった。
「お兄様!」
そこにまた一人女性がやって来る。少し浅黒い肌をした、高そうなドレスをまとった女性だ。その女性はアーロフの姿を認めると小走りに走り寄った。
「おお、ヴェルメラか。久しいな」
アーロフは目を細め、いとおし気に女性を見つめる。その女性は皇帝の第六子ヴェルメラ・カザラスだった。
「ご無事で何よりです。イェルナーったら、お兄様に無理ばかり申しているのではないですか?」
ヴェルメラは心配そうにアーロフを見つめた。
「ふっ、仕方がないさ。いまや上官だからな。それよりフォルゼナッハ殿は大丈夫なのか? 何やら怪我をなさったと聞くが……」
「あぁ……」
アーロフに言われ、ヴェルメラは少し視線をさまよわせる。
「どうぞお気になさらず。怪我というよりは……病気の治療のための手術ですわ」
「そうか……」
アーロフが釈然としないまま頷く。ヴェルメラ夫婦の関係が冷え切っていることはアーロフも知っていた。
「それより魔竜が来ているのでしょう? なんとおぞましい……」
ヴェルメラは広場に目を向けて自分の肩を抱いた。
「いや、その……ダルフェニアでいうところの神竜は美しい生物だ。だからこそ利用されているのだろう」
アーロフはバツが悪そうに視線を逸らす。
「……出てきました」
その時、迎賓館から出てきたアデルたちを見てユリアンネが険しい表情になった。そしてロデリックたちが見つめる中、しばらくしてレイコの体が輝き出し、空に巨大な龍が現れる。
「おおっ……!」
ロデリックをはじめ、全員が思わず声を漏らした。初見ではないアーロフですらレイコの姿に見入っている。
レイコはロデリックたちにその姿を見せつけるかのように空中を一周した。
「なんという余裕……我々を挑発しているのでしょうか?」
ユリアンネが悔し気に呟く。
「あれは力の塊だな。台風や地震みたいなものだ」
レイコの姿を瞬き一つせずに見つめながらロデリックが呟いた。
「力に善も悪もない。利用する者にとっては善、される側にとっては悪、それだけの話しだ。あれが儂の手元にいれば、儂は喜んで利用するだろう。我が国内にあれはおらんのか? 南の火山の火竜どもだけか?」
ロデリックがアーロフの顔を見上げる。
「どうでしょう。ダルフェニアだけでも神竜は五体ほどいるようですが……」
「五体!? あれが五体もおるのか?」
ロデリックは驚いたような、それとも無邪気に喜んでいるような、どちらともとれる表情で言った。
「ええ。神竜はそれぞれ特徴的な違う力を持っているようです。例えばデスドラゴン様と呼ばれる神竜はまさに至高の存在と言えるような姿をしており、敵対するものを闇の中に葬り去ります。あれはレイコ様と言う名の光の神竜。一瞬で敵軍を焼き尽くす力を持っております」
アーロフは少し甲高い早口、いわゆるオタク口調になって素早く解説する。
その時、アーロフの言葉通りレイコの体がひときわ強い光を放った。
「きゃっ!」
ユリアンネが悲鳴を上げる。アーロフの言葉を聞き、自分たちが焼かれるのではないかと思ったのだ。しかしレイコのはなった光は眩しかっただけで、なんの害もなかった。
そしてレイコは翼をはためかせ、カーゴを抱えて去っていく。その姿をユリアンネは茫然と見つめるしかなかった。
「素晴らしい……もっと早くアレと出会えていればな」
ロデリックが呟く。
「お父様、な、何をおっしゃるのです」
ユリアンネは困惑した。ダルフェニアのドラゴンたちはラーベル教では魔竜と呼ばれ、邪悪な存在とされている。ラーベル教を国教と定めたロデリックがその魔竜を認めるような発言をするのは問題だった。
「ユリアンネ、後は任せた。墓はルドガーの隣にしてくれ」
「え?」
ユリアンネが茫然とロデリックを見る。ロデリックの視線はレイコが飛び去った方向を瞬きもせず見つめていた。だがしばらくして、ユリアンネはそのロデリックが全く呼吸をしていないことに気づく。
「お、お父様!? そんな……」
慌ててユリアンネが駆け寄り脈を取るが、ロデリックはすでに息絶えていた。
「お父様!?」
「ち、父上!」
ユリアンネやアーロフの悲鳴がイルスデンの空に響き渡った。
ロデリック崩御の報はすぐに宮廷内を駆け巡った。緘口令が敷かれたが、そのただならぬ様子から帝都の人々にも事実が漏れ伝わるのは避けられなかった。そういった事態を受け数日後、皇帝ロデリックの死が正式に発表された。そしてそれと同時にラーベル教の大司教マクナティアの死も発表された。
暫定統治者となったユリアンネは両件が神竜王国ダルフェニアの呪いであると見解を述べる。そして神竜王国ダルフェニアと休戦期間はロデリックの喪に服す期間と帝位継承者を正式に決めるための期間とし、それが明け次第、神竜王国ダルフェニアに対して大攻勢に出ることを発表したのであった。
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