使命(イルスデン)
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神竜王国ダルフェニアの一向に食事が振る舞われていた迎賓館の一室に白刃が煌めく。給仕のふりをしていた男の手に短剣が握られ、料理に気を取られるレイコの首元に向かって振り下ろされようとしていた。
しかし白刃はひとつだけではない。もう一つの白刃が空気を切り裂き、いままさにレイコを狙おうとしていた男の手を切り裂く。
血に濡れた短剣が二本、床に敷かれた毛足の長いカーペットの上に落ちた。
「ぐっ!?」
今まさにレイコを斬りつけようとしていた男が血のあふれ出る手を押さえ後ずさる。
「おいおい、この店はドラゴンを料理する気か?」
ニヤリと笑みを浮かべてウィラーが言った。その体勢は投げナイフを投げた後のものだ。
「えらい殺気を発している給仕がいると思って気にしていたが……やっぱり動いてきたな」
ウィラーが酒瓶を置き、ゆっくりと歩き始める。ウィラーの席はレイコと離れていた上に、大きなテーブルの反対側だったため男とは距離があった。
「どうしましたの?」
レイコが男を見て小首をかしげる。しかし男はまだ諦めていなかった。その顔に再び殺気をみなぎらせると、ナイフを拾い上げてレイコに向かって突き出す。
「くそっ!」
どう見ても間に合う距離ではなかったが、ウィラーは足を速める。
しかし――
「ぎゃっ!」
悲鳴とともに男の手から短剣が落ちた。短剣の刃は赤熱し、ぐにゃりと曲がっている。レイコの体を守る光の力によって、その刃はレイコの体に触れることすらできなかったのだ。男は再び手を押さえながら尻もちをついていた。
「な、なんだよ、そりゃ! 焦って損したぜ」
ウィラーが驚き、足を止める。
「て、てめぇ! このリオ様が取り押さえてやる!」
リオが慌てて壁に立てかけていた自分の槍を手に男の元へ駆け付けた。どう考えてもいまさらな行動であった。
「あらあら、困りましたわ」
レイコは眉間にしわを寄せて倒れた男を見つめる。男は恐怖に満ちた目で茫然とレイコを見上げていた。
「でも、こうするしかありませんわね……アデルさんに協力すると決めたんですもの……あぁ、なんて悲惨な運命なのかしら……」
レイコは呟くと、悲し気に首を振った。そして何かを決断した様子で男の目を見据える。
「仕方ありませんわ……どうぞ、お召し上がりください」
レイコは運ばれてきたばかりの幼虫フライの皿を男に差し出した。
「……は?」
訳が分からず、男の目が点になる。
「わたくしを襲うなんて、よほどお腹が空いていらしたんでしょう? 早くお召し上がりになって。わたくしの気が変わらぬうちに……!」
レイコは皿から視線を外しながら男の前にグイっと皿を突き付けた。
「たぶんそういう理由じゃないんじゃない?」
氷竜王の残したピーマンをかじりながらポチが呟く。
「単にレイコがムカついたんでしょ」
「いや、我らがこの屋敷中の食い物を食べつくしてしまったならあり得るぞ」
「ひょーちゃんもそう思うの! お腹ぺこぺこだと気分はぷんぷんなの!」
デスドラゴン、ピーコ、氷竜王が口々に言う。竜王の間での意見は割れたようだ。
「……アデルはやたら食糧問題に気を使っていたが、そうしていなかったら我が国は滅んでいたかもしれんな」
そのやり取りを聞いたイルアーナが真剣な顔で呟いた。
「アホか! おめぇの命を狙ったに決まってるだろ!」
リオがきょとんとしているレイコに怒鳴る。
「あら、そうですの? お腹もすいてないのに他の生き物を襲うなんて……わたくしたちには理解できませんわ」
レイコはそう言うと自分が押し付けた料理の皿を男から取り返した。
「ま、魔竜め……殺すなら殺せ!」
茫然としていた男がレイコに向かって叫ぶ。
「嫌ですわ」
だがレイコはプイっと顔を逸らす。
「あなたにはあなたの使命があるはずです」
「使命……?」
レイコの言葉に男は首をかしげる。
「そうです。さあ、立ち上がってお行きなさい」
レイコは部屋の出口を指さすと、テーブルに戻って食事を再開する。その有無を言わさぬ様子に、男は戸惑った様子でよろよろと部屋から出て行った。
「おいおい、逃がして良かったのかよ?」
リオが不満げに槍で自分の肩を叩きながら言う。
「まあいいだろう。殺せばあらぬ罪をこちらにかぶせられるかもしれぬ。ここは敵地だ。アデルたちが戻るまでは下手に動くわけにはいかん」
イルアーナがため息をつきながら言った。
「しかし俺らを殺したいなら、料理に毒でも入れりゃ良かったのにな」
ウィラーが酒を煽りながら呟く。
「そういうわけにも行かぬのだろう。大勢の見守る中で、我々を客人として扱うことにしたのだからな。毒を使っては組織的に我らを殺そうとしたことがバレてしまう」
「別に剣で殺しても一緒だろ?」
イルアーナの言葉に納得できない様子でウィラーが反論する。
「もしカザラス帝国が我らを殺そうとしたのであれば、もっと大勢で襲ってくるはずだ。男の様子からしても熱心なラーベル教徒の暴走……もしくはそう見せようとしたカザラス帝国側の犯行かもしれん。部外者が入り込める場所ではないからな」
「ふ~ん」
納得したわけではなく、理解を超えそうな話だったのでウィラーは引き下がった。
「それにしてもレイコ、さっき言っていた奴の使命とはなんだ?」
イルアーナがレイコに尋ねる。
「決まっていますわ」
レイコは空になった皿を持ち上げた。
「お代わりを持ってくることです」
当然といった様子で言うレイコにイルアーナは言葉を失ったのだった。
「俺の……使命……?」
レイコを襲った男は火傷と切り傷を負った手を押さえながらフラフラと廊下を歩く。それを見た給仕がぎょっとしていたが、横目で見ながら料理を手に通り過ぎて行った。
迎賓館にはその性質上、カザラス帝国の間諜が多く入り込んでいる。諜報活動はもちろん、いざという時は相手を亡き者にするためだ。それはここで働く者にとっても公然の秘密だった。
しかしレイコたちの来訪は突然の事態であり、カザラス帝国側もどう動くか決めかねていた。男には情報の収集と、いざという時のための準備だけが命じられている。
だがしばらくレイコたちの様子を観察していた男には、人間の姿のレイコにそんなに力があるようには見えなかった。ただでさえダルフェニア軍の力はハッタリだという説が根強い。「もし本当にそんな力があるのであれば、あっという間にカザラス帝国は滅ぼされているはず。ダークエルフらが幻術で人を惑わせているだけだ」というような話だ。それはダークエルフに潜在的な恐怖を感じている人間にとって納得しやすい説だった。
カザラス帝国の間諜でありながら熱心なラーベル教徒でもある彼にとって、邪教の象徴であるレイコは許しがたい邪悪な存在であった。そして様子を窺い、隙を見て行動したが、その圧倒的な力によって阻まれてしまった。
「なぜ俺は殺されなかったんだ? それに司教様がおっしゃっていたほど邪悪な存在にも見えなかった……」
国民の士気を高揚させるべく、カザラス帝国とラーベル教は一丸となって神竜王国ダルフェニアや神竜教が邪悪で相容れない存在だと説き続けている。しかし実際にその存在に触れた彼の心は揺るぎ始めていた。
「ラーベル教の大司教様は賊に襲われて大怪我されたという……犯人は捜索中で、見つけ次第火あぶりの刑だ。だが魔竜は俺に襲われても平然としている。あの様子では誰も傷つけることは不可能だろう。つまりラーベル教よりも神竜教のほうが力が上ということか……」
男の凝り固まった思考は段々とほぐれていき、新しく生まれた考えの芽が急速に成長し、その枝を男の心の頭の中に伸ばしていく。
「もしかすると……神竜様こそ我々を導く光の存在なのか……?」
男はぶつぶつと呟きながら、明るい出口に向かってヨロヨロと歩き続けた。
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