魔竜現る(イルスデン)
誤字報告ありがとうございました。
イルスデンの町には粉雪が舞っていた。寒くなってきたこともあり、人々は外出を避けている。そのためまだ昼過ぎだというのに表通り以外、町はしんと静まり返っていた。
イルスデンを囲む防壁にも雪が薄く積もっている。兵士たちも平時は厚手の皮手袋をつけて警備をしているが、槍を握る手が氷のように冷たくなっていた。
「あぁ、クソッ!」
一人の中年の警備兵が悪態をつきながら手を揉む。他の兵士との賭けに負けた彼はツケを払う代わりに寒中の警備の番をやらされていた。
「これならトイレ掃除のほうがマシだぜ」
まだ陽が出ているうちは篝火は焚かれない。薪が高騰している今はなおさらだ。兵士はボヤきながら薄暗い空を見上げた。
「いっそのこと陽が沈んでくれりゃ火が焚けるんだが……まだあんなに明るいぜ」
兵士は空を照らす光を見る。
「ん?」
しかしそこで違和感に気づいた。太陽は別の方向、しかも雪雲の向こうにあるはずだ。にも関わらず、眩い何かが空に浮かんでいた。そしてそれは急速に大きさを増している。
「な、なんだ? ……うわっ!?」
大きさを増した巨大な何かが頭上を通過する。風圧で兵士は尻もちをついた。危うく防壁の上から落ちるところだ。
「ド、ドラゴン……!?」
兵士は茫然と振り返る。巨大な発行物体は細長い龍の姿をしていた。金色の鱗に覆われたその龍はイルスデン城の前で急停止し、羽をゆっくりと動かしながら空中に浮かんでいた。
警備の兵士は他にも大勢いるはずだが、皆呆気に取られているのか動きは見られなかった。町行く人々も足を止め、茫然と金の龍を見上げている。その体は光を放ち、体の周囲はゆらゆらと陽炎が揺らめいていた。
「て、敵襲だ!」
数秒遅れて我に返り、兵士は叫び声をあげる。各所で同様に慌ただしく兵士たちが動き出していた。市民も悲鳴を上げながら逃げ惑い、通りに混乱が起きている。
「バ、バリスタを内側に向けろ!」
指揮官が掠れた声で叫ぶ。当然ながら防壁上の兵器は外側を向いており、矢の装填もされていない。さらに狭い防壁上でバリスタの向きを変えるのは一苦労だった。
その間に龍は城の前の広場に降り立ち、足に持っていた木の箱を地面に置いている。防壁上からも城の前にいた兵士がはいずりながら逃げる様子が見えた。
「ゆ、弓兵隊! 放て!」
どうにか動揺から立ち直った一部の兵士が散発的に弓を放つ。寒さと恐怖でろくに引き絞ることが出来なかった矢が弱々しく飛んで行った。
『光防護膜!』
龍が一声吼えると、その体を包んでいた光が強まった。一瞬遅れて猛烈な熱波が周囲に放たれる。近づこうとしていた槍兵たちが吹き飛び、防壁上に並んでいた兵士たちもなぎ倒された。放たれていた矢は全てが消え失せている。周囲の人々は何が起こったのか理解できなかった。
「だ、第一平定軍に連絡! 帝都に魔竜現る! 援軍を請う!」
指揮官が伝令に向かって叫ぶ。圧倒的な敵の前にカザラス兵たちは狼狽えることしかできなかった。
その時……
「皆のもの! 攻撃をやめよ!」
龍が置いた大きな箱が開き、大声を張り上げながら一人の男が姿を現した。豪奢な衣服は高貴な身分であることを現している。男は両手を大きく振りながら兵士たちに向かって叫び続けた。
「我は皇帝ロデリックが子息、アーロフ・カザラスだ! 我の名において、彼らへの攻撃を禁ずる! 正式な命令が下るまでは戦闘態勢で待機せよ!」
「ア、アーロフ殿下!?」
龍の持ってきた箱から出てきたアーロフを見て、カザラス兵たちの頭はさらに混乱したのだった。
「だ、大丈夫ですかね?」
カーゴの中からアーロフの様子を窺いながらアデルが言った。
「いまさら心配したってしょうがないでしょ。さすがのカザラス兵もレイコちゃんに怖気づいてくれてるといいんだけどね」
アデルの横でラーゲンハルトが言う。
「なんかこの町気持ち悪いんですけど。ぶっ壊していい?」
「こりゃこりゃ、ちゃんとアデルの言うことを聞かぬか。ジョアンナにも言われたであろう?」
不機嫌そうに言うデスドラゴンをピーコが制止する。デスドラゴンのお目付け役である老女ジョアンナは危ないということでミドルンに残っている。デスドラゴンが大人しくしてくれるかは今回の最大の不安要素だ。
「ひょーちゃんもこの町嫌いなの!」
窓によじ登った氷竜王が水鉄砲を構えながら言った。人間社会に慣れてきたのか、外に出るときは白いワンピースのような服装になっている。しかしミドルン城にいるときは最初に会ったときのスクール水着に浮き輪という謎のいでたちだった。魔法で変身しているためその姿は自由自在なはずだが、一番楽なのがその姿なのであろう。
「確かにヤバイ気配がウジャウジャいますね」
アデルも体を震わせる。イルスデンの町からは不気味な気配が感じられた。
「空から見た町の形も魔法陣みたいになってましたし」
「魔法陣?」
「なんか魔術師が好きな模様みたいのがあるんですよ」
アデルは疑問顔のラーゲンハルトにザックリ過ぎる説明をする。空から見たイルスデンは円形をしており、規則的に配置された大通りは紋様のように見えた。
「アーロフ、これは何の騒ぎですか!?」
そんな話をしていると外がにわかに騒がしくなる。
「ユリアンネ様!」
「ベッケナー隊長!」
兵士たちが口々に名前を口にした。アデルが外の様子を見ると、城から出てきた美女といかつい鎧姿の男が見える。
「姉上だ……横にいるのは帝都守備隊長”帝国の盾”ベッケナー将軍だね」
ラーゲンハルトが二人の姿を見て呟いた。
「おぉ、いい女だな」
ラーゲンハルトの後ろから顔を出した”黒槍”リオがユリアンネを見て舌なめずりをした。
「姉上。実は……ラーゲンハルト兄上が父上に会いたいと。それが停戦の条件と伝えてきたのです」
「ラーゲンハルトが? まさか……一緒に来ているのですか?」
アーロフとユリアンネの声にアデルたちは聞き耳を立てる。周囲を囲むカザラス兵も固唾をのんで成り行きを見守っていた。
「ええ。急を要するために事前に了承を得ることが出来ませんでした」
「だからと言って敵を帝都に招き入れるとは何事ですか!」
「お言葉ですが……その気になればダルフェニア軍は帝国のどこでも、強力な魔竜で襲うことが出来ます。そのことが事前に分かったのは非常に有益ではありませんか? 兄上は今回、あくまでも父上を見舞うために参られたのです。ベッケナー将軍も、対策を考える良い機会になったのでは?」
アーロフがベッケナーに視線を向ける。ベッケナーは青い顔で茫然とレイコを見上げていた。
「ラーゲンハルトは今や犯罪者にすぎません。いるのであれば大人しく差し出しなさい」
「……それは姉上が独断でお決めになったことですか?」
睨みつけるユリアンネを挑戦的な表情でアーロフが見返す。
「何ですって……?」
「全ては皇帝陛下であらせられる父上がお決めになることでしょう。犯罪者とはいえ、兄上は肉親です。最後に一目会いたいとおっしゃられるかもしれません。もちろん父上が家族の情など挟まず兄上を捕らえよと申されるのであれば、私は即座にその命令に従います」
「くっ……!」
アーロフの言葉にユリアンネの顔が悔し気に歪む。
「うまいな。姉上は父上に絶対的に服従する。ああ言われたら確認しないわけには行かないだろうね」
やり取りを見ていたラーゲンハルトが呟いた。
「アーロフさん、けっこう優秀な方ですからね」
「まあ父上が期待して第一征伐軍の軍団長に据えたくらいだからね」
アデルの言葉にラーゲンハルトは笑って見せる。
名前:アーロフ・カザラス
所属:カザラス帝国
指揮 75
武力 86
智謀 93
内政 38
魔力 26
アデルはアーロフの能力を思い出す。確かに指揮官として十分な能力を備えていた。
ユリアンネは皇帝ロデリックの元へ兵を向かわせる。そしてしばらくの後、ラーゲンハルトの面会が許可されたことが告げられるのだった。
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