政略結婚(イルスデンへの道中)
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イルスデンへと続く街道を一台の馬車が走っている。漆喰に塗られた豪奢な造りの馬車は、それが高貴な身分の人物が乗った馬車であることを示していた。周囲を十名ほどの騎馬兵が守りを固め、前後にも兵士を満載した馬車が走っており、何かあれば即座に対応できるようになっている。
「くそっ、遠いな帝都は」
その馬車の中でイェルナーは愚痴る。しかしその馬車の快適さは、彼を守るために武装して満員の馬車に乗っている兵士たちとは雲泥の差だ。
イェルナーは危篤状態の父親、皇帝ロデリックを見舞うためにロスルーからイルスデンへ向かう途中であった。留守中の第一征伐軍の指揮は副官のヤナスが執ることになっている。
「それにしてもヤナスの案は見事だったな。おかげで兄上は帝都への到着が大幅に遅れるだろう」
アーロフを神竜王国ダルフェニアへの使者とする案はヤナスが出したものだった。ヤナスとしてもイェルナーが次期皇帝になったほうが何かと得るものが大きかったのだ。
「父上がかわいがっているのは俺たち兄弟だ。病気で気の弱った父上の元に俺が先に着けば、だいぶ心証は良くなる」
イェルナーはほくそ笑む。
その時……
「お。おい! なんだあれは!?」
「ド、ドラゴンだ!」
外の兵士たちがにわかに騒がしくなった。
「ドラゴンだと? ふん、そんなわけがあるまい」
イェルナーは鼻を鳴らすと窓から顔を出す。
するとすぐ目の前に巨大な金色のドラゴンの姿があった。
「うわぁっ!?」
驚きと恐怖でイェルナーは馬車の中で転げまわった。実際にはだいぶ距離があったが、その巨大な姿に眼前に迫っていると勘違いしたのだ。
「に、逃げろ! 森へ隠れるんだ!」
金色のドラゴンはイェルナーたちに興味を示さずにすでに飛び去っているが、イェルナーは手近な森の中へ隠れることを命じた。それによってイェルナーたちの帝都への到着はさらに遅れることとなったのだった。
「今のは……イェルナーの馬車か? 速すぎてわからんかったが……」
アーロフはカーゴの窓からその様子を見ていた。
「さすがにそんな偶然ないでしょ」
「そ、そうですか……」
笑顔でラーゲンハルトに言われ、アーロフは再び流れる外の景色に目を向けた。
「それにしても空から見る景色はこんな感じなのですな」
「すごいでしょ。ハーピーちゃんに運んでもらうともっとすごいよ。ぷにぷにで」
「ぷにぷに……?」
アーロフは首を傾げる。
アデルたち一行はカーゴをレイコに運んでもらい、帝都イルスデンを目指していた。アーロフはこの狭いカーゴの中で数日間過ごすことを覚悟していたが、実際にはわずか数時間で到着できるスピードだった。レイコが本気を出せばもっと速いのだが、乗っているアデルたちが耐えられないため速度を落としている。
またラーゲンハルトはワイバーンでの移動時よりも低い高度を飛ぶようレイコにお願いしていた。寒いということもあるが、意図的にレイコの姿を道中に目撃させるためだ。
すでにダルフェニア軍がワイバーンを用いて兵員を遠隔地に輸送していることはカザラス帝国にも伝わっている。そこでラーゲンハルトは敢えて飛んでいるレイコの姿を見せることにした。強力な神竜が帝国内のどこでも襲うことが出来るとわかれば、カザラス帝国は各都市の防備に兵を割き前線へ送れる兵が減るだろうという目論見だ。
「ところで今は誰が次期皇帝有力なの?」
ラーゲンハルトがアーロフに尋ねる。アーロフは顔をしかめたが、少し考え込んでから話し始めた。
「……兄上が離反した後は私が有望でしたが……最近、頭角を現してきたのはヒルデガルドですね。ダーヴィッデを取り入れ王弟派とも手を組むなど力をつけてきています。ですが姉上が宮廷内で急速に貴族たちを取りまとめているという噂も聞きます。それが事実だとすれば姉上が最有力候補かもしれません。逆にフォルゼナッハは直近の大敗が響いており、イェルナーはもともと素行が問題だったうえに獣人との戦いで敗北しており、次期皇帝争いから一歩後退したと言えるでしょう」
自身の状況を濁してアーロフは答えた。
「姉上がやる気出したんだ。もっと速く名乗り出てくれてれば、こんなに混乱しなかっただろうに」
ラーゲンハルトは少ししんみりとした様子で呟く。
「あれ、皇帝のお子さんってもう一人いませんでしたっけ?」
毛布にくるまったアデルが言った。
「あぁ、末っ子のエデルーンがいるけど、さすがにまだ幼いからね。それにエデルーンのことは僕はあんまり知らないんだ」
「私もですね。教会に帰依しているという母親のほうもほとんど見たことがありません」
ラーゲンハルトにアーロフが同意する。
「えぇっ、なんかめちゃくちゃ怪しいじゃないですか! 本当にお子さんなんですか!?」
「……実の子じゃないって噂はあるよ。父上が相当年を取ってから生まれた子供だからね」
ラーゲンハルトが苦笑いを浮かべながら答えた。自身も同様の噂があるラーゲンハルトにとっては少し触れづらい話題だった。
「皇帝のカミさんは美人揃いなんだろ? 羨ましいよなぁ。俺もとっかえひっかえしてみてぇぜ」
リオが割って入り、下品な笑みを浮かべる。
「そういやお前らは結婚しないのか? もういい歳だろ?」
下世話な話題に反応したのか、ウィラーも会話に加わってきた。
「ウィラーさんに言われたくないよ。それに僕が結婚しちゃったら、世の中の女性が悲しむでしょ」
ラーゲンハルトは笑みを浮かべ、軽口をたたく。
(もしかして……父上が教会関係者と政略結婚したのは、僕たちには自由に恋愛させたかったからなのかな)
皇帝ロデリックの子供たちはほとんどが結婚していない。それは皇帝の力が強く、政略結婚の必要があまりなかったということもあるのだろう。また自身が商人の娘や教会関係者と政略結婚することで、子供たちは自由に恋愛ができるようにしたのかもしれない。ロデリックは政略結婚のため、自身が愛した女性となかなか一緒になれなかった経験がある。その経験から子供たちにはそのような思いをさせたくなかったのかもしれない。
ラーゲンハルトはふとそんなことを考えた。
「帝都が見えたぞ! みんな準備しろ!」
その時、窓から進路を見ていたイルアーナの鋭い声が飛ぶ。
レイコの前方に、広大な帝都イルスデンが姿を現していた。
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