推し(ミドルン)
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アーロフとの交渉による停戦の条件はまとまった。しかしそれより困難だったのは臣下たちの説得だった。危険すぎるということで反対意見が続出し、話がまとまるまでアーロフには一日か二日待ってもらうことになった。
アーロフには滞在のために客室の一室があてがわれた。護衛の兵にもそれぞれ部屋が割り当てられている。護衛の兵たちはようやくアーロフから離れらた安心感と疲れからすでに部屋で休んでいた。
客室に入ったアーロフは大きくため息をつく。テーブルの上には飲み物とサンドイッチが用意されていた。アーロフは到着が夜だったうえにいままでアデルたちと交渉をしていた。それを見越していたアデルがあらかじめ炊事班にお願いしていたのだ。
アーロフはテーブルに着くとサンドイッチを手に取り頬張る。
「……なかなか美味いな」
サンドイッチを食べながらアーロフは物思いにふけった。
「悪くない展開だ。まさかこんなにも早く停戦が受け入れられるとは……それに帝都に行く際、ダルフェニア軍の手練れが周りにいるなら、俺の暗殺も出来ないだろう」
アーロフは一人呟く。
停戦交渉が受け入れられる可能性は極めて低いと思われていた。交渉の中でラーゲンハルトが言った通り、神竜王国ダルフェニア側にわざわざ停戦を受け入れる理由が乏しいからだ。敗戦で打撃を受けたカザラス軍にはどのみちすぐに神竜王国ダルフェニアに攻め入る戦力はない。
帝位継承権を持つ第一征伐軍軍団長のイェルナーは一刻も早く帝都に駆け付けたかった。父親である皇帝ロデリックの心証にかかわるからだ。それにもしロデリックが正式に跡継ぎを指名しないまま死んだ場合、貴族たちの指示がどれだけ得られるかが帝位継承に大きく影響する。ロデリックが跡継ぎを指名していた場合でも、貴族の支持が圧倒的に大きければ後ほど逆転できる可能性もある。そのためイェルナーは出来るだけ早く帝都に戻り、貴族たちの支持を取り付けたいと思っていた。
そしてイェルナーは兄であるアーロフを交渉の使者として神竜王国ダルフェニアに送った。使者を送られた以上、神竜王国ダルフェニア側はその対応に迫られる。うまくいけばしばらく時間を稼げるという算段だった。
しかしそれ以上に大きいのは、同じ帝位継承者であるアーロフを足止めできることだ。アーロフは帝位継承争いで大きく後れをとったとはいえ、帝位継承者の一人であることには変わりがない。アーロフが帝都に戻るのが遅れることはイェルナーにとってライバルが減ることを意味した。
「問題は兄上を連れて行くことで、俺が裏切者として扱われないかだ。早々とどこかで兄上を捕縛し、俺の手柄にできれば良いのだが……」
アーロフは考え込む。この時はまだ、まさかラーゲンハルトの護衛としてアデルも付いてくるつもりだとは思ってもいなかった。
「だが……俺の存在を消そうとしている奴らがいることは確かだ。手柄だけ取られて俺は殺されるなんてことにならなきゃいいがな」
アーロフはサンドイッチを食べ終えると、窓に歩み寄った。窓を開けると冷たい空気が吹き込んで来る。目を細めながら顔を出してみるが、見えるのは城壁ばかりでほとんど何も見えなかった。
「それにしても……もしかしてラーゲンハルト兄上もこうして誰かにハメられて国を出る羽目になったのか……?」
アーロフは窓を閉め、ベッドに横になりながら考えた。
「そしてそれを救ったのが……」
アーロフは天井をみつめながら一つの顔を思い浮かべた。
「……神竜様というわけか」
アーロフはしばらくデスドラゴンの姿を思い浮かべながら夜を過ごした。
翌日、外出の許可を得てアーロフは町へと出た。ただし格好は目立たぬよう質素な服に着替えている。
敵であるアーロフに町の中を見せるのはあまり好ましくないことではあるが、そもそも守りに向かないミドルンで籠城戦をするような状況になった時点で負けが濃厚である。そのためアーロフの外出が許可されたのだ。
「昼間はなかなか賑やかだな」
アーロフは通りに並んだ店や人通りを見て呟いた。一時期は閉まっている店が多かったが、国内が安定したことで急速に景気と治安は回復している。さらに王都となったことでミドルンは人と物の流れが集まる場所となり、この流れに乗り遅れまいと商人たちも集まって来ている。
アーロフはしばらく町を散策する。しかしお目当ての店はすでに決まっていた。神竜信仰具屋である。神竜信仰具屋の前には「国家公認店」「正真正銘の正規品!」「新商品入荷!」などと書かれた登りが立っており、多くの客が店内にいた。
時はすでに十二月に入っている。カザラス帝国同様、神竜王国ダルフェニアでも農家は手が空く時期だ。人口のほとんどは農業に携わっており、観光に行く者もこれからが一番多い。元々商業で栄えていたミドルンではあったが、異種族や神竜を目当てにさらに観光客は増加していた。
アーロフは中の様子を窺いながら、ソワソワとした態度で何度か店の前を往復する。まるで初めてエロ本を買う男子学生のような態度だった。そして少し店の中が空いたタイミングを見計らうと、アーロフは意を決して店の中へと入って行った。
「おぉっ!」
アーロフは思わず声を上げる。店の中には多くの神竜信仰具が並んでいた。壁には大判の神竜絵図が飾られ、壁際の棚には神竜像がずらりと並んでいる。店の中ほどにはワゴンが並べられ、神竜マグカップや神竜タオル、神竜ぬいぐるみや神竜抱き枕まで売られていた。
中でも品揃えの大半を占めているのはレイコ関連の信仰具であった。やはり人間時の姿を表現できるのがアデルの信仰具化意欲をかきたてるようだ。特に湯上りレイコ様像と水着レイコ様像は人気があるようで「品切れ中 次回入荷は未定です」という札が張られていた。その他には小さなワシやイタチのような姿の像が多く、わずかにトカゲのような姿の像が売られている。
神竜の信仰具以外にもワイバーンやアースドラゴンの像も売られていた。同じコーナーには普通の鳥のような形の像も売られている。
「動物が神の使いとされる場合もある。そういった類か?」
アーロフは首を傾げつつ店の奥へと進んだ。
「これは……神々しい……」
アーロフは壁に張られているデスドラゴンの神竜絵図の前で呟いた。ドラゴン形態と人間形態の二種類があるが、どちらも見る者を見下すような目をしている。
「おい、店主!」
アーロフは会計場所にいた店員を呼びつける。その横柄な態度に店員の表情が曇ったが、すぐに愛想笑いを浮かべて近づいてきた。
「はい、なんでしょう?」
「なぜこのデスドラゴン様関連の信仰具は種類が少ないのだ? まさか人気がないのか?」
ドラゴン形態のデスドラゴンは最もドラゴンらしい姿をしているため人気はある。しかし人間形態の商品はまだ少なかった。
「そ、それは神竜様たちがダルフェニアにお越しになった時期等にもよりますので……」
「なるほど、そういうことか」
アーロフは納得する。店員はそそくさと仕事に戻っていった。
「こちらも華があるな……」
アーロフはデスドラゴンの隣に飾られているレイコの神竜絵図を見た。豪奢な衣服に身を包み、愁いを帯びた表情をしている。
「しかし……この何種類もいる神竜とやら全てがデスドラゴン様と同等の力を持っているのか? だとしたらとんでもない戦力だな」
店内の商品にすべて神竜の名前に「様」が付けられている。それを真剣に見ていたアーロフも無意識に神竜の名前に「様」を付けるようになっていた。
「このかわいらしいのがそんなに強いようには見えぬが……」
アーロフは新発売の「三竜お昼寝像」を手に取った。ポチとピーコ、氷竜王が寄り添い合って寝ているものだ。
「女騎士レイコ様像か……やたらセクシーに作られているな」
次に手に取った女騎士レイコ様像は鎧姿のレイコの像だ。鎧は体のラインにフィットするように作られており、胸やお尻の部分がぷり~んっとなっていた。
「だが……やはり一番はデスドラゴン様だな」
今度は人間形態のデスドラゴン像を手に取りアーロフが呟く。店内は混雑しているが、先ほどからブツブツ言いながら鋭い視線で神竜信仰具を眺めているアーロフの周りには微妙な空間ができあがっていた。
デスドラゴン像はブレザーにミニのブリーツスカートという女子高生の制服のような恰好をしている。この世界の人間からすれば奇妙な姿に見えた。
「神秘的で威圧的で美しい。それに……この絶妙な丈のスカート……なんとも好奇心をくすぐる……」
アーロフはしばらく逡巡していたが、欲望に負けて像を傾け、スカートの中を覗き込んだ。
「のぁっ! な、なんと精巧な……!?」
神竜像はアデルのこだわりでスカートの中までしっかりと作りこまれている。神竜像を下から覗いて独り言を言うアーロフを周囲の客は露骨に避け始めた。
「い、いかん! そんな不遜な目で見ては……」
アーロフは目を逸らし首を振った。一人の子供がそんな様子を不思議そうに見ていたが、隣にいた母親が子供の手を引っ張って遠ざける。
「ふぅ……まさかこれは……信者の自制心を試しているのか? 恐ろしいな……」
そうつぶやくと、アーロフは改めて店内を見回した。他の客が慌てて目を逸らす。
「おい、店主!」
そしてアーロフはまた店員を呼びつけた。
「……はい」
再び呼ばれた店員が、今度は迷惑そうな表情で近づく。
「神竜様とやらは何人かいるようだが、信仰する際はそのうち一人を選ぶのか?」
「いえ、そんなことはありません。神竜教の信仰は強制されるものではありません。全員を信仰してもいいですし、誰も信仰しないのもその人の自由です。他の宗教を信仰しつつ、神竜様を信仰しても構いません」
「ほう、なんと寛大な……強者ゆえの余裕か……」
アーロフは目を輝かせる。
そしてさらに一時間ほど店内を物色したあと、大量の荷物を抱えてミドルン城へと帰るのだった。
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