貸し(ミドルン)
誤字報告ありがとうございました。
夜のミドルンにアーロフの一行が滑り込む。商業都市とはいえ夜にはほとんどの店が閉まってしまうミドルンの町は静けさに包まれていた。その通りをアーロフを乗せた馬車が速度を落として進んでいく。
「ずいぶんと小さい町だな。これが本当に王都か?」
馬車から首を出したアーロフが周囲を見回しながら呟く。ミドルンの町はカザラス帝国では地方都市レベルの規模にすぎない。アーロフにはとても王が住む町には見えなかった。
すぐに城へと辿り着き、馬車は前庭に停車する。そして馬車から降り立ったアーロフを、ラーゲンハルトと一人の少年が出迎えた。
「久々ですね、ラーゲンハルト兄上」
アーロフは大げさに丁寧に振る舞ってお辞儀をする。
「あははっ。戦争に引き裂かれた悲劇の兄弟、感動再会だね」
ラーゲンハルトは苦笑いを浮かべアーロフに応じた。
「ふん。国や家族を捨て、随分楽しそうに過ごしておいでですね」
「まあ家族の積もる話は置いておいて、まずはうちの王に挨拶しなよ」
そう言ってラーゲンハルトは少年のほうに視線を向ける。アーロフは理解できずに眉をひそめた。
「あ、ど、どうも。アデルです」
そう言ってその少年、アデルは頭を下げた。
「……は?」
アーロフはアデルの顔を見て固まる。
とてもそうは見えないと噂には聞いていた。しかしアーロフには常勝無敗の将にして”神敵”と恐れられるアデルが、目の前にいる少年とどうしても結びつかなかった。
さらに表まで出迎えに出てくるというのは格上の客人に対する扱いである。王であるアデルが敵国の使者に対してとる対応ではなかった。
(従者じゃなかったのか……)
アーロフは戸惑いつつアデルに向かって形式的なお辞儀をした。
「じゃあ着いて早々悪いけど、早速話を聞こうか」
ラーゲンハルトが先導し、一行はミドルン城の中へと入っていった。
「プハーッ! 仕事の後はやっぱこれやな!」
ムラビットがテーブルを囲み、何やらジョッキを傾けて騒いでいた。中身は酒ではなく温めた青汁だ。
「今夜も冷えるわ。誰か温めてくれないかしら……」
「お、俺行けますよ!」
「俺も!」
ハーピーの元には勇敢な兵士が群がり、我こそはと一騎打ちの名乗りを上げていた。
ミドルン城に入ってすぐの広間。手狭なミドルン城を最大限に活用するため、机やいすが並べられ休憩所として利用されていた。祭りなどの際にはイベントにも利用される。仕事を終えた兵士や異種族が集まり、団欒をする様はミドルン城の日常の光景となりつつあった。
その間をアデルら一行は奥へと進んでいく。アーロフや護衛の兵は物珍しそうにきょろきょろと周りを見回していた。ムラビットやオークなど、この場だけでも数種族が揃っている。そしてアデルらは交渉場所となる応接間にたどり着いた。アーロフの護衛の兵士は控室で待機することとなる。
アデルとラーゲンハルト、そしてアーロフはテーブルを挟んで席に着いた。調度品類はコルトが領主を務めていたころのままで、古びてはいるがそこそこ豪華なものだ。しかし……
(あまり財政には余裕がないようだな)
アーロフは城内の調度品やアデルの格好からそう判断していた。
「それで話って何?」
友達同士で話すような気軽さでラーゲンハルトは話を切り出した。
「あぁ、その話だが……」
アーロフは顔をしかめ、少し言いにくそうにしていた。だがやがてその重くなった口を開く。
「停戦……をして欲しいのだ」
「停戦?」
やや緊張した面持ちでアデルが聞き返す。
「そうだ。春まで一時停戦としたい」
アーロフの言葉にアデルとラーゲンハルトは顔を見合わせる。
「そりゃ随分都合がいい話だね」
ラーゲンハルトが苦笑しながら言う。
「相次ぐ敗戦でそっちは兵士と攻城兵器の多くを失っている。さらに長く続く戦争で民衆も疲弊し、物資の補給も滞り始めた。さらには本国には雪が降って移動が困難になる。極めつけは、そちらはいまだこちらのドラゴンに対して有効な攻撃手段を持てていない。つまり停戦したい事情があるのはそっちだけでうちにはないよ」
「……その通りだ」
ラーゲンハルトの話にアーロフは苦虫をかみつぶしたような表情になった。
「だからこちらには金貨一万枚を支払う用意がある」
「い、一万枚!?」
アデルは驚きの声を上げた。
「まあどうせカザラス金貨でしょ。金の含有量が少ないから実質八千枚くらいだよ」
ラーゲンハルトはそんなアデルに苦笑いしながら言った。
「それ以外に条件があるならある程度は応じます。おっしゃってください、兄上」
兄弟の口調に戻り、アーロフがラーゲンハルトに苛立ったように言う。
「ふ~ん……随分と焦ってるね。何か理由があるんじゃないの?」
アーロフは少し押し黙った。だがすぐに再び口を開く。
「父上が……危篤なのだ。イェルナーはすでに帝都に向かっている」
その言葉にラーゲンハルトは目を見開いた。
「そうか……いよいよ……」
「お父さんが亡くなりそうなんですか? 大変じゃないですか!」
沈痛な面持ちのラーゲンハルトの横でアデルは慌てだした。
「そういう家族の情だけじゃないよ。帝位をめぐる争いは決着がついていないままだ。これから身内でとんでもない戦争が起きるかもしれない。他国と戦っている場合じゃないんだろうね。ますますうちが停戦してあげる理由はないんじゃないかな」
ショックを受けながらもラーゲンハルトは冷静に淡々と話す。
「そ、そうなんですか……でもどうしてそんな大事な話を教えてくださるんですか?」
アデルはアーロフに向き直り尋ねる。
「……お前らには貸しがあるからな」
「貸し? 何かありましたっけ?」
躊躇いがちに言うアーロフにアデルは首をかしげた。
「俺を救っただろう。あの黒いドラゴンだ」
アーロフは以前、謎の獣に襲われた時にデスドラゴンに命を救われている。アーロフはその時のことを思い出していた。
「デスドラゴンさん? なにかありましたっけ……?」
「き、聞いていないのか!?」
心当たりがなさそうなアデルにアーロフは驚愕した。
(俺は皇帝ロデリックの息子だぞ!? この俺を助けたというのに、それを恩に着せるつもりがないのか……!? それとも……)
アーロフは考えを巡らせる。そんなアーロフにアデルが声をかけた。
「あ、あの……少し考えさせてもらってもいいですか?」
「ん? ああ、もちろんだ」
アデルとラーゲンハルトは部屋を出てしばらく話し合う。
そして部屋に戻ってくると、アデルはアーロフに停戦を受け入れる旨を告げたのだった。
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