手柄(ヌーラン平原)
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リグワードが刺される少し前。アデルらに少し遅れてイルヴァとエニーデたちはリグワードの元までやってきていた。
「エニーデ殿」
イルヴァがエニーデに素早く近づくと、耳元で囁いた。
「敵将が隙を見せたら……討ち取るチャンスを逃さないでください」
「えっ?」
驚いたようにエニーデがイルヴァを見る。周囲にはすでに抵抗の意思を見せるカザラス兵はおらず、ラングール兵が取り囲んでいる状態だった。もはや勝敗は明らかだ。
その時、リグワードの剣がフレデリカに弾き落された。リグワードは腕を押さえながらアデルたちを睨みつけ、エニーデたちには無防備な背中をさらしている。
「今です!」
「で、でも……」
イルヴァに急かされるが、エニーデはためらいを見せる。
しかし……
「残った部下たちのためにも、あなたは武功をあげなければなりません」
「……!」
イルヴァの一言にエニーデの表情が変わる。そしてエニーデは意を決すると、短剣を構えてリグワードに向かって走り出したのだった。
「エ、エニーデさん!」
アデルが慌ててエニーデに駆け寄る。エニーデは血で汚れた手を見つめて茫然としていた。目の前にはエニーデの短剣で刺され、絶命したリグワードが倒れている。
エニーデが直接人に手を下したのは初めてだった。感情が高ぶり、涙があふれ出る。
「だ、大丈夫ですか?」
アデルが目線を合わせて優しく語りかけると、エニーデはアデルに抱きついた。
「わっ!」
アデルは驚き、救いを求めるように周囲を見回す。フレデリカやイルヴァらもアデルたちの元へと歩み寄ってきた。
「まいったね、そいつは生け捕りにするって話しだっただろ?」
フレデリカが顔をしかめる。内通者の証言をさせるため、リグワードは生きたまま捕らえる計画となっていたのだ。
「私からも謝罪いたします」
イルヴァがエニーデの傍らにしゃがみながらアデルに言う。
「ですが、エニーデ殿にとってリグワードは憎き相手。家族や臣下、自らが治める町の住民も大勢殺されました」
イルヴァの話に周りにいたラングール兵たちも涙ぐみながら頷いていた。
「それにエニーデ殿には敵将を討ち取らねばならない理由があるのです」
「理由?」
イルヴァの言葉にアデルは首をかしげる。
「はい。彼女は領地も多くの兵も失いました。もはや公爵は肩書だけの物となっています。エステルランドに少しの貯えは残してありましたが、それを使い切ってしまえば残った兵ともども路頭に迷ってしまいます」
「そ、そうか……!」
アデルははっとした表情になった。
「だからって今のは明らかにわたしらがリグワードを倒してただろ? さすがに手柄の横取りじゃないのかい?」
呆れ顔でフレデリカが言う。敵将を討つことは戦争で最も手柄とされることであり、それをめぐって同軍の兵士同士で争いが起きることもあるほどだ。
「おっしゃることはわかります。ですがこの戦いの最大の功労者がアデル様でいらっしゃることは誰の目にも明らか。それ以外の功など必要ないのではないでしょうか?」
イルヴァが泣きじゃくるエニーデの肩に手を置いた。
「そうだよ。エニーデちゃんに手柄を分けてあげようよ! いままでカザラス軍を抑えてたのは、彼女の家の力なんだよ?」
クロディーヌもイルヴァに加勢する。エニーデと自分の境遇を重ね合わせ、同情しているのだ。
「まあアデルがいいなら、わたしだっていいさ。だけど部下たちへの褒賞は忘れないでおくれよ」
フレデリカがバツが悪そうに目を逸らす。フレデリカの配下たちは精鋭ぞろいで、その分給金も高い。また今回のような少数精鋭での戦いの場で頼ることも多く、アデルはそのたびに特別な褒賞を与えていた。
「じゃあ決まりですね。みなさん、敵将を討ち取ったのはエニーデさんということでよろしくお願いします」
アデルが周囲を見回しながら言う。
「おぉっ! エニーデ様万歳! アデル様万歳!」
周囲の兵から歓声が上がる。兵の多くはエニーデ配下のラングール海軍兵だ。リグワードへの恨みやエニーデの苦難を思い浮かべ、涙している者もいた。
「あ、ありがとうございます……」
泣きじゃくりながら、エニーデはどうにか言葉を絞り出す。
「私もできる限りエニーデ殿を援助させていただきます。ともにラングールのために協力してまいりましょう」
イルヴァが微笑み、エニーデに語り掛ける。しかし心の中ではまったく別のことを思っていた。
(驚いたわ……どれだけダルフェニアの方々はお人好しなのかしら……)
手柄を取られたというのに笑顔でエニーデを祝福しているアデルらを、イルヴァは横目で盗み見る。
(でもどうにか私の内通を知っていそうなリグワード将軍は黙らせることが出来た……あとは……)
イルヴァの目が鋭く光る。まるでまだ戦闘が終わっていないかのような目つきであった。
「えっと……こ、これは……」
アデルが顔を引きつらせる。
ラングール軍の本陣に戻ってきたアデルの目に飛び込んできたのは、予想もしない光景だった。
椅子に腰かけたレイコに向かって百人ほどのラングール人が平伏している。レイコは困った表情を浮かべていたが、扇子で隠した口元はニヤけていた。
「アデル、よくやったな」
戸惑いながらアデルたちが近づくとイルアーナが話しかけてきた。
「あの、これは?」
「祭事を司るフォーステット家の公爵が『まさに神の御業だ!』とか言い出してな。ラングールでも神竜を祭るつもりらしい」
尋ねるアデルにイルアーナは呆れたように言った。
「どういたしましょう、また人々を惹きつけてしまいましたわ。生まれながらに『美し過ぎる』という罪を背負ってしまった自分が憎い……」
レイコは大げさに首を振って悲しんで見せる。
「あぁ、いつものやつですか……」
アデルは納得した。レイコが力を振るうと、それを見ていた権力者がレイコに心酔することは過去にもあったことだ。レイコさんの圧倒的な力や高圧的な振る舞いは、彼らにとって理想の姿なのかもしれない。アデルはふとそう思った。
「おお、アデル殿! お見事でしたな!」
そんなアデルに気づき、レイコに平伏していたフォーステット家当主カーネルが寄ってくる。
「まあ、レイコさんのおかげですけど」
アデルは苦笑いを浮かべる。
「いやですわ。私の下僕に救いの手を差し伸べるのは当然のこと。もちろんわたくしは見返りを求めるなんて卑しい真似は致しません。けれどもみなさんがどうしても感謝の気持ちを表したいというのであれば、それを受け取らないのも野暮というものですわね」
レイコはチラチラとアデルのほうを見る。
「そ、そうですね。カーネルさん、海産物、特にカニガメをたくさん用意していただけますか? レイコさんはあれが気に入ったみたいなんです」
「ほう、お安い御用ですとも!」
カーネルは振り向くと、近くにいた部下を呼んだ。
「神竜様が海産物をご所望だ。特にカニガメをかき集めろ!」
「はっ!」
カーネルの部下が敬礼して去っていく。
(でもさすがに今日中は無理だよな……)
アデルたちがいるボストックはラングールの内陸にあたる。街中にあった海産物は昨日の夜のうちにだいぶ食べてしまったはずだ。
(ワイバーンで海沿いの町まで食べに行くか……)
アデルがそんなことを考えているとイルヴァが声をかけてきた。
「私のほうからも昨日のうちに海産物を手配しております。夕食に間に合うように到着するはずです」
「わっ、本当ですか? ありがとうございます!」
イルヴァの段取りにアデルは感激した。
「ぐぬぬっ……!」
「ご恩に報いるチャンスでしたのに……!」
そんなイルヴァをカーネルとエニーデが悔しそうに睨んだ。
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