サイクロプス退治
サイクロプスの巣は山間にできた谷の中にあった。両側は切り立った崖になっている。高さは30mほどだろうか。逆に幅はその半分ほどしかなく、圧迫感を感じた。幅3mほどの小川が流れており、冷たい水をせっせと運んでいる。川岸には大きな岩がごろごろしており、これからもっと気温が上がると雪解け水で歩けなくなるほど増水することがうかがえる。川の水は透明でミネラル分を多く含んでいるが、アデルたちは口を付ける気にはなれなかった。
「ひどいな……」
イルアーナが顔を歪めて呟く。谷のあちらこちらに、かつて生き物だった塊が落ちていた。水を飲みに来たところを襲われたのか、襲われてからここに運ばれたのかは不明だが、サイクロプスの食べ方が汚いことは確かなようだ。
「サイクロプスは我らの寝ている時や手薄な時にやってきて、仕留めたワイバーンをこの谷に運ぶ。こちらから仕掛けようにも、この狭い谷のせいでワイバーンたちは戦えぬ。まったく、忌々しい……」
ピーコがイルアーナの肩でパタパタと怒っていた。アデルが気を利かせ、ポチとピーコ両方乗せていると重いからと、一匹はイルアーナの肩に乗ることを提案したのだ。
「落ち着け、ピーコ。それも今日までだ」
イルアーナは落ち着かせるためにピーコの背中に手を置きポンポンと叩く。ついでにサワサワしてモフモフしてワシャワシャしていた。ピーコも気持ち良いようで目を細めて体を委ねている。
「イルアーナさん、ポチもお願いできますか?」
「わかった」
アデルはポチをイルアーナに預けると、弓を構え警戒しながら歩みを進めた。イルアーナも素早くポチをモフると、肩に乗せてその後に続く。
サイクロプスの食べ残しが放つ腐臭と蝿が隙あらば鼻や口に入ろうとしてくるので、鼻の上まで布で覆う。
やがてアデルは大物の気配を捉えた。
「あそこにサイクロプスがいるみたいです」
アデルは指さしたところには上から崩れて来たのか茶色い土が堆積していた。木が一本だけそこに生えているように見えた。
「どこだ?」
イルアーナがアデルの横に来て目を凝らす。
「あの土のあたりなんですけど……」
「わからんのう。本当におるのか?」
ピーコが疑問の声を上げる。
「きゅー」
「ふむ、ポチもそう言うのであれば間違いないか……ほう、なるほど。あの土がそうか」
ポチの言葉でピーコが何かに気付いたようだ。
「わかりました?」
「あの土に擬態しているようじゃ」
「土って……うわっ!?」
アデルは驚きの声を上げた。土の一部分に突如、大きな目が現れたのだ。その目は何度か瞬きをすると、爬虫類のような縦長の瞳がアデルたちを捉えた。
「アデル、来るぞ!」
イルアーナが鋭い声で警告する。その言葉通り、土が盛り上がった。いや、正確には土の中にいたものが立ち上がったのだ。体に乗せていた土がザラザラと滑り落ち、あたりに土煙を巻き起こした。
「これが……サイクロプス……!?」
弓を構えながらアデルは唖然とその巨大な相手を見上げた。身長は20mほどあるようだ。全身が茶色い毛に覆われ、巨人というよりも巨大な猿だった。体毛と同じ色の土を被り、ご丁寧に木まで置いて獲物が近づくのを待っていたらしい。顔のほとんどを占める巨大な目だけがアデルの思っていたサイクロプスと同じであった。先にデスドラゴンを見ていなかったら、その大きさに腰を抜かしていたかもしれない。
「クロロロッー!」
サイクロプスは咆哮を上げた。空気がびりびりと震え、腐った卵のような悪臭がアデルたちに叩きつけられた。
「奇襲を見破られて怒っているようじゃな」
ピーコが冷静につぶやく。次の瞬間、サイクロプスが猛然とアデルたちに向かって走り出した。その手には先ほどまで自分の背中に生やしていた木を握っている。
(速い!)
勝手にサイクロプスがドスドスと歩くと思い込んでいたアデルは意表を突かれた。50mほどあった距離をあっという間に半分ほどまで詰められてしまう。
「目だ、目を撃て、アデル!」
イルアーナが叫ぶ。
「わ、わかりました!」
言うやいなや、アデルも引き絞った弓から矢を放つ。矢は狙いたがわずサイクロプスの目に命中した。
「クロォッ!」
サイクロプスは悲鳴を上げてのけぞった。しかしすぐ体勢を戻すと、アデルをキッと睨んだ。矢が当たったところからは血が流れているが、体が大きいため致命傷に放ってないようだ。
「マジかっ!?」
アデルは急いで次の矢を構える。しかし黙って見ているわけもなく、サイクロプスは再び走り寄ってきた。
「どれ。竜の王たる力、見せてくれよう」
ピーコがパタパタと飛び、アデルとサイクロプスの間に割って入る。
「滅びよ、下賤な大猿よ!」
ピーコの開いた口から稲光が発生し、サイクロプスに突き刺さる。空気が震え、バリバリという音が辺りに響き渡った。やや遅れてサイクロプスの体毛が焦げた嫌な臭いが辺りに広がった。
(これが風竜王の力……!?)
アデルは驚きと期待のこもった目で動きの止まったサイクロプスを見つめた。しかしそれは一瞬だけで、再びサイクロプスの巨大な目がギョロッとピーコを睨む。
「……あとは任せた」
ピーコはパタパタとイルアーナの後ろに隠れた。
「こっちだ、化け物!」
叫びながらアデルは再び矢を放つ。またもやサイクロプスの体がのけぞった。ダメージはあったはずだ。しかしサイクロプスは再び体勢を立て直すと、出血で赤く染まった目でアデルを睨んだ。
(こわっ! 夢に出そう……)
アデルは怯んだが、まだ距離があるため多少の余裕があった。しかしその不意を突くかのように、サイクロプスは手にした木を槍投げのように投げつけて来た。
「ひぃっ!」
次の矢をつがえようとしていたアデルは反応が遅れた。眼前に木が迫る。
「水撃!」
イルアーナの声に応じ、川の水が暴力的な塊となって飛来する木に激突した。サイクロプスの投げた木は狙いが逸れ、地面に激突し砕け散った。
「くっ!」
イルアーナが苦痛の声を上げる。木の破片が頬をかすめ、血が流れ出ていた。
「イルアーナさん! 大丈夫ですか!?」
「こっちは心配するな、敵に集中しろ!」
アデルの呼びかけにイルアーナが警告で返す。アデルが前を向くと、混乱に乗じてサイクロプスがあと一歩のところまで迫ってきていた。
(コイツ、よくもイルアーナさんを……!)
アデルはサイクロプスの目を睨みつけると、弓を限界まで引き絞り、さらに矢に力を籠める。
「風よ……我が呼びかけに応じ、我が敵を貫け……!」
アデルの言葉に応じ、矢が風の力を纏う。出番を待ちきれぬかのようにカタカタと矢が震え出した。異変を感じたのかサイクロプスは両手で目を覆う。しかし構わずにアデルは矢を放った。
込められた力を解き放った弓が咆哮するかのように空気を震わせる。放たれた矢は暴君のように思うがままに我が道を突き進んだ。空気を切り裂く鋭い音は、まるでその行く手を無謀にも阻もうとした空気たちの悲鳴のようだ。
サイクロプスは両手で己の目を守っていたが、そのわずかな隙間を正確に矢は貫いた。
のちにアデルが建国した王国、ダルフェニアでは重臣たちでさえアデルのことを「臆病」と評する者もいた。普段の彼しか知らない者からすれば仕方のないことであろう。しかし戦場を共にしたことがある者は口を揃えて言う。「アデルほど勇敢で頼りになる者はいない」と。
サイクロプスは後頭部から血を噴き出しながら地面に倒れた。
お読みいただきありがとうございました。