手紙(ガルツ ミドルン)
バーランド山脈はその険しい地形とそこに住む多くの危険な魔物により、神竜王国ダルフェニアとカザラス帝国を隔てる壁となっていた。そのバーランド山脈で唯一、人間が行き交う場所がガルツ峡谷だ。峠から流れ出た水の浸食により出来たこの峡谷は、両側が切り立った崖になっている。
そしてこのバーランド山脈唯一の出入り口となるガルツ峡谷に建造されたのがガルツ要塞だ。その地形と強固な城壁によって、幾度となくカザラス帝国の攻撃を退けてきた。裏手は小規模ながら宿場町となっており、旅人や商人、兵士につかの間の休息を提供している。
ガルツ要塞では兵士たちが通行者の検問を行っていた。神竜王国ダルフェニアとなり通行税が撤廃されたこと、カザラス帝国内の物資不足などが重なり、交易商の姿は増えている。しかしカザラス帝国とは戦争中ということもあり、検問は念入りに行われていた。
「ん、なんだこれは!?」
衛兵が怒鳴り声をあげる。ボディチェックを受けていたのは大きなリュックを背負った商人風の男であった。しかしそのズボンの裾から、細身のナイフが発見されたのだ。その男は別室に連れられ、更なる厳重な取り調べが行われた。
その結果、男の体からは細く丈夫なロープや多数のナイフなどが発見される。男は自身がカザラス帝国の間諜であることを認めた。
「手紙が?」
赤毛の生真面目そうな若い騎士、グリフィス・グレーバーンは部下から、その間諜に関する報告を聞いていた。そしてその間諜が持っていたという手紙を受け取る。
グリフィスはロニーに代わりガルツ要塞に駐留するダルフェニア軍第一師団の指揮を執っていた。しばらくカザラス軍の攻勢はないだろうということで、ロニーは休暇をもらいオリムにいる家族の元へ帰っている。その留守を任されているのがグリフィスだった。
元々ヨークの守備隊の副隊長に過ぎなかったグリフィスが、五千人規模の部隊の副官を任されるのは異例の大出世と言える。その落ち着いた物腰と真面目さはフォスターに通じるものがあり、将来を期待される若手の筆頭であった。
グリフィスは手紙の封を開け、中身をあらためた。グリフィスの横には”旋風”スアードが立っており、脇から手紙を覗いていた。元オリム三本槍の気障な男だ。ずっとフレデリカ隊に所属していたが、智謀の高さを買われ第一師団の参謀に昇格していた。
「なっ!? こ、これは……!?」
手紙を読んだスアードの目が驚きに見開かれる。グリフィスはただ眉をひそめただけだった。
「とんでもない裏切りです! 急いでアデル様にご報告して捕らえさせましょう! これは出世のチャ……国の一大事ですぞ!」
謎の熱意にあふれるスアードの話を聞いていたグリフィスだったが、その表情は冷静だった。
「それは我々が判断すべきことではないかと思います。ありのままをアデル様にご報告し、アデル様がご判断されれば良いことでしょう」
グリフィスは真面目過ぎる性格ゆえか、計略の類に関して疎いところがある。しかしそれは本人も把握しており、分からないことを勝手に判断する危険を冒すこともなかった。
そしてグリフィスはアデルの元に早馬を出し、間諜に関する報告と手紙を渡させたのだった。
「手紙?」
ミドルン城で夕食中であったアデルのもとに手紙が届けられる。その手紙はガルツ要塞の検問で捕らえられた、カザラス帝国の間諜の持っていたものであることも告げられた。
「ずいぶんとお粗末な間諜だな」
一緒に夕食を食べていたイルアーナが眉をひそめる。同じテーブルにはアデル、イルアーナのほか、ラーゲンハルトにフォスターも座っていた。
今日の夕食はアシュラガニのパスタだった。アシュラガニはザリガニを大きくしたような生き物で、淡水に生息している。大きなハサミを備えた腕を八本持ち、そのハサミで魚を捕食するのだ。アシュラガニは味も良くアデルは養殖をしたかったが、狭い場所で複数のアシュラガニを飼うと腕が絡まり合って死んでしまうため、養殖には向かなかった。アデルたちの皿には一番おいしいハサミの部分の肉が多く盛り付けられているものの、基本的には一般兵も同じ料理が夕食として出されている。
「なになに? ラブレター?」
ラーゲンハルトが興味津々でアデルの持つ手紙を見つめる。
「らんれすかね?」
アシュラガニの身を頬張りながらアデルは手紙を読んだ。そのアデルの眉間にしわが寄る。
「これ……見てください」
アデルはテーブルの上に手紙を広げた。
「これは……」
フォスターが手紙を読んで呟く。
その内容はラーゲンハルトの要求に応じるというものだった。具体的にはラーゲンハルトがカザラス帝国に帰参すれば、現在掛けられているすべての容疑の取り消しと、軍団長の座を約束するという内容で、最後に帝国第一宰相ヴァシロフ・ハッシャーの署名が書かれている。
「やれやれ……よくもまあこんなデタラメを……」
ラーゲンハルトはため息をついて肩をすくめた。
「ヴァシロフ様の署名もまったく本人の物とは違いますね。この手紙が逆にヴァシロフ様のご迷惑となるようなことを避けたかったんでしょうが、お粗末な物です」
フォスターが手紙の署名を見つめながら言う。
「しかしこの手紙が偽物だという確証もないが……アデルはどう思う?」
イルアーナがアデルに尋ねた。
「え? 僕は無視していいと思ってますけど」
アデルは当然といった感じで答える。
「そうか。確かにいまさらカザラス帝国がラーゲンハルトを呼び戻そうとするわけがないだろうしな」
アデルの答えを聞き、イルアーナも賛同した。
「まあ正面から攻める戦力がないから、今はこんな工作くらいしか出来ないんだろうね。それだけこちらが優勢ってことだよ」
ラーゲンハルトがほっとした表情で言う。
「アデル様には相手の忠誠を推し量る能力がありますし、我が国の臣下は利害を超えてアデル様にお仕えしてますからね。こういった揺さぶりは通用しないでしょう」
フォスターが頷きながら言った。
そして手紙はアデルの手で破かれ、暖炉の火の中へ消えていったのであった。
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