論功行賞
カイバリーは由緒正しいアステリア七国のひとつ、ヴィーケン王国の王都である。二本の川に挟まれた天然の要害であると同時に豊かな穀物地帯でもある。堅固な城壁で守られた都市の周りにはまだ青い麦の畑が広がっている。秋になれば一面に金色のじゅうたんが敷かれることになるだろう。
一見、のどかな光景だが、その中心にある王城にはヴィーケン王国の有力貴族が一堂に会しており、それぞれの思惑を戦わせていた。
カイバリー城の謁見の間では第三次ガルツ攻防戦での論功行賞が行われていた。戦で挙げた武勲に応じて、王が貴族たちに褒章を与えるのである。豪奢な礼服姿で立ち並ぶ貴族たちの多くは平静を装いながらも、その内心は不満に満ちていた。
ヴィーケン王国の内情は非常に厳しい。カザラス帝国との戦いは防戦のため勝利したところでヴィーケン側にもたらされるものはない。国王の直轄領を分け与えたり、国庫から褒賞を出すのも限界に来ていた。
戦によって貴族が死亡すればその領地の分配も考えられるのだが、多くの貴族たちは安全な場所から指示を出すため、ほとんど戦闘中に死ぬことがない。アデルが中隊長に抜擢されたのも、前線で戦うことを恐れた前隊長であった子爵が推薦したからだった。その子爵は見事、後衛で別の貴族の護衛に付くことができた。
もっともこれはヴィーケンの文化で、ヴィーケン王国はバーランド山脈と海に囲まれ、戦火にさらされる危険が少なかった。そこで伝統的に指導者には軍事力よりも内政力が求められる傾向があった。
戦場での勇猛さと言うのが他国よりも重要視されないため、合戦では後方の安全な場所から指揮するというのが当たり前であった。ただそれは貴族内の話で、最前線で戦わされる兵士たちには当然、そのことに不満もあった。
今回の論功行賞では有力貴族が優先され、男爵や子爵などの下級貴族はわずかな褒賞を与えられたのみだ。当然、下級貴族からは不満が出る。その上、有力貴族たちも満足できるほどの褒賞を得たものはわずかだった。
ちなみにヴィーケンでは男爵は領地をもらえず、騎士として宮廷に仕えるのみだ。子爵も有力貴族の子供でなければ同じように宮廷で騎士として王に仕える。
「皆の者、今回の戦も厳しいものであったが、よく戦ってくれた」
宰相ブルーノの仕切りによる論功行賞が終わると、ヴィーケン国王エリオット・ウィンゲートが厳かに口を開いた。傍らには彼の弟でありヴィーケン軍総帥でもあるキャベルナ・ウィンゲート公爵が控えている。
ヴィーケン国王エリオットは齢六十半ばになる。体が弱く、子宝には恵まれなかったため、次期王位継承者は弟のキャベルナだ。体はやせ細り、大きすぎる玉座が不釣り合いに見える。しかし王冠をかぶった白髪の奥から除く双眸にはまだ鋭い光が宿っていた。
「褒賞に納得のいかぬ者もおろう。だが、此度の戦に勝てたのは英雄アデルの力によるものが大きい。彼はその功績の大きさゆえに褒賞をもらうこともなく命を落とした。その彼を差し置いて多くを望むはしたなき者などこの場にはおらぬであろう。不満がある者はぜひとも次の戦にて活躍し、相応の褒賞を得るがいい」
貴族たちは苦い表情をして下を向く。アデルと比較されては、戦功をあげたなどと胸を張れる者はいなかった。
その時、一際大きく、威厳に満ちた声が室内に響き渡った。
「度重なる侵攻失敗からカザラスの力が弱まっていることは明らか。ここは反攻に転じるべきではないですかな?」
整列した貴族たちの脇、少し離れて様子を見ていた四人のうちの一人が声を上げる。エリオット王はうんざりとした表情で発言の主を見た。
発言の主はウルリッシュ・モリーニュ伯爵だ。伯爵と言ってもヴィーケン王国の貴族ではない。かつてヴィーケン王国の東にあったハーヴィル王国がカザラス帝国に滅ぼされた際、保護を求めて数人の部下とヴィーケン王国にやってきた客人である。年齢は六十前後のはずだが、体格の良さや漂う威厳は未だに現役の軍人であることを示していた。
ハーヴィル王国は大陸最強と謳われた国であった。しかし騎士による個の強さを追求し、一般兵を軽んじていたハーヴィル王国は集団戦を得意とするカザラス帝国に大敗、十数年前に王都を占領され滅んだのだ。
当初、「ハーヴィルの白獅子」と恐れられたウルリッシュを迎え入れることを喜んだヴィーケン王国だったが、カザラス帝国との戦力差は開くばかり。その状況で事あるごとにカザラス侵攻を進言するウルリッシュは完全に厄介者として扱われていた。
「ウルリッシュ殿、カザラスは撤退こそしたが、兵の損失は少ない。何度も言っている通り、我々は地の利を生かしてカザラスを迎え撃つべきだ」
ヴィーケン軍総帥キャベルナがウルリッシュの言葉に異を唱える。
「カザラスは領地を急拡大した。その結果、各地にまだ反乱の芽があり、多くの兵をその鎮圧のために割いている。時間を与えれば奴らは国内を平定し、さらなる大群で襲い掛かってくるのでは?」
ウルリッシュも引かずに持論を展開する。ヴィーケンの貴族の中でも数人がその意見に賛同するように頷いた。
「私もいいですかな?」
そう言って声を上げたのはハイミルト・カーベル侯爵、ガルツ要塞指令であり、領主でもある。熊のように大きな体がひときわ目を引いた。ガルツ要塞はもともと交通の要である。旅人や行商人を相手にする小さな村であったが、要塞が出来たことで多数の兵士が駐留し、町へと発展した。
「ウルリッシュ殿、我々がカザラス領に攻め入り、例えばロスルーを攻略できたとしましょう。そこからどうするおつもりか?」
「決まっている。狙うはカザラス皇帝、ロデリックの首ひとつだ」
「現実的に考えて、それを為せる戦力が我々にはない。全員、討ち死にせよと?」
「ここで座して死を待つよりはマシであろう」
「ウルリッシュ殿、我々はヴィーケン軍人だ。国を守るため、国民を守るためにこの命は存在する。カザラスを倒せる算段があるならともかく、そうでないのなら例えカザラスに滅ぼされるとしても、一日にでも長く国と民を守るのが我々の務めだ。貴殿の気持ちはわかるが我々の立場も理解してほしい」
「そ、それは確かにそうだが……」
ウルリッシュは口ごもる。確かに彼と他の者たちでは立場が違った。
「どうしてもと言うのであれば……」
その様子を見てキャベルナが口の端を歪めながら言った。
「貴殿たちだけでカザラス軍へ突撃していただいて結構。だれも止めはせぬ」
キャベルナの言葉に何人かの貴族が意地悪く笑う声がした。
「くっ……!」
ウルリッシュは奥歯をかみしめると、部下とともに踵を返し謁見の間を出て行った。
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