びしょびしょ(ミドルン)
しかし、そもそもなぜダルフェニア軍はヨークを攻撃できたのであろうか。
時は少し遡る。川オークの協力を得たアデルたちはミドルン城の会議室で作戦を話し合っていた。
「これでアデル君が言っていた『水運』が使えるね」
ラーゲンハルトが地図を見ながら笑う。
アデルが目を付けたのは川であった。特にヨダ川は貧者高原から西にある海まで続く長い川だ。
この世界には魔物が多く住んでおり、川に住む魔物はもちろん、周囲に住む魔物も水を飲むために川べりに出没する。水上や水中で戦うことが苦手な人間にとっては危険な場所であり、水運はあまり発達してこなかった。多くのファンタジー世界で水運が描かれないのも似たような事情なのであろう。
「『水運』は軍事だけではなく、経済にも大きな力となる……アデル様のお考えには驚かされるばかりです」
経済担当官のヨーゼフが感心する。少ない労力で多くの荷物が運べる水運が利用できれば、物流に大きな寄与が期待できた。
「でもまだ問題があります。川に住む魔物は川オークだけではありませんからね」
アデルは地図を指し示しながら話す。
「ヨダ川周囲には泥オークの生息地が点在しています。まあこれは僕らにとっては喜ばしいことですけどね。問題はヨダ川中流を縄張りにしているというニンフです」
「ニンフ? 川に住む美女の魔物の? アデル君、そういうの好きじゃないの?」
アデルにラーゲンハルトが不思議そうに尋ねた。ニンフとは水辺に住む人間の美女の姿をした魔物であった。
「はい、大好き……じゃなくて、以前にシャスティアさんに仲間になってくれそうな異種族を探してもらってたじゃないですか。その時にニンフは危険だからやめたほうがいいと言われたんです。ニンフの歌は人間の男を誘い、溺れさせてしまうと……」
アデルが話す。それを聞いていたラーゲンハルトの目が吊り上がった。
「見損なったよ、アデル君。危険だからと言って美女を諦めるなんて君らしくないじゃないか! いいかい、アデル君。女性はいつも美しいけど、特に美しくなる時がある。それは笑っている時、泣いている時、そして濡れている時だ。会ったことはないけど、ニンフなんて川に住んでるんだから、いつもビショビショだよ!」
ラーゲンハルトの言葉にアデルははっとした表情になった。
「いつもビショビショ……そうですよね、危険だからと言ってビショビショの美女を諦めるわけにはいきませんよね……僕、味方になってくれるように説得してみます!」
「その意気だ。頼んだよ、アデル君。国中の男たちの希望が君にかかってるんだ!」
ラーゲンハルトは力強くアデルの肩を叩いた。アデルもそれに応え大きく頷く。
「……今の会話はどういう意味なのだ?」
「知るか!」
メルディナの問いかけにイルアーナが不機嫌そうに答えた。
ミドルンの川岸にはボートが用意されていた。他にも多数のボートが急ピッチで作られている。ボートの近くには川オークが数匹、アデルを待っていた。ボートで川を下る際は護衛、さらに帰りはボートを引っ張ってくれることになっている。地上では動きの鈍い川オークだが、水中では素早く動けるうえに泳ぐ力も強い。粗末な槍しか持っていなかった彼らには鉄の穂先を持った槍をプレゼントしていた。
余談だが、川オークのそれぞれの部族には釘と金槌も渡していた。これは川オークの話を聞いたヴィクトリアからの提案だ。金属は変形する際に熱を持つため、釘を金槌で何度か叩くと赤熱する。それを干し草などにくっつけると発火させることができるのだ。ケンタウルス族のように鍛冶をする者からすれば常識らしい。簡単に火を起こす方法を手に入れた川オークたちは大層喜んだ。
今回護衛してくれるのは先日アデルが会った川オークの部族である。
「ふぐふぐ!」
川オークの族長がアデルに挨拶をする。族長はツグルという名前であった。
「お待ちしておりました、だって」
ポチが通訳をした。今回同行するのはポチとピーコ、イルアーナにメルディナ、そして五匹の川オークだ。さらに空からヴィクトリアとシャスティア率いる飛行部隊が十人ほど周囲の警戒をする。人間の男はニンフの歌に惑わされてしまう危険があると判断し、アデルだけとなっていた。
「よろしくお願いしますね」
アデルはツグルと握手をした。
(……ん?)
握手をしたとき、アデルはツグルの手に違和感を感じた。ツグルの手は傷だらけであったのだ。火を起こすため、いびつな形の木の棒をずっと回し続けてきたことによるものだろう。一族を背負って痛みを我慢してきたツグルの気持ちを思い、アデルは少し感動した。
そしてアデルたちはボートに乗り込むと、ミドルンを出発する。豊富な水量を誇るヨダ川は岸から離れれば漕がずとも船が進む。途中にある川オークの集落に立ち寄り挨拶をしたりしながら、アデルたちは川を下っていった。
「しかしニンフが危険という認識はなかったな」
船に揺られながらイルアーナが言った。
「確かにな。ニンフと言えばむしろ人間と共存する魔物だと思っていたが」
メルディナがイルアーナに賛同する。
「もし戦いになったら危険な相手なんですか?」
「戦い方次第じゃな」
アデルの疑問にピーコが答える。
「姿が人間と同じということは水中での機動性は川オークに遠く及ばぬ。しかし川オークよりも水魔法は得意で、さらに風魔法も操る。風魔法には電撃を操る魔法も含まれ、これがニンフがヨダ川の中流を支配している要因じゃろう。水中では電撃の威力は落ちるものの、かわすことが難しいからの」
「水中で雷撃なんか使ったら、自分たちも感電しちゃうんじゃないの?」
「ニンフには雷耐性がある。だからワイバーンたちも襲わないのじゃ」
「へぇー。戦いになっちゃったら厄介そう……」
ピーコの話を聞き、アデルは不安そうに言った。
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