不和(ジブラ カナン)
ガーディナ州の州都カナンといまや神竜王国ダルフェニアの王都となったミドルンの間に位置する小さな町、ジブラ。これといった産業は林業くらいであるが、カナンとミドルンを結ぶ街道の宿場町として発展してきた。ジブラに限らずガーディナ州の町や村は黒き森を開拓して出来たものが多い。魔法文明との戦いの傷が癒えぬダークエルフたちは森の南端を人間たちに明け渡すこととなった。森の魔物やダークエルフの攻撃に備えて置かれたのがカナンであり、その戦力に守られながら発展してきたのがガーディナ州である。
「いつになったら元の生活に戻れるのかねぇ」
ジブラの町の入り口で一人のきこりがボヤいた。町の周囲は木の塀で囲まれており、町の東西にある入り口には物見やぐらが置かれている。戦時中の現在は人通りも少なく、町を出入りするのは住民がほとんどだ。
「どこが勝ってもいいから、早く平和になるといいんだがね」
きこりと話していた門番がボヤく。彼は正規の兵士ではなく町の自警団であった。しばらく前までは神竜王国ダルフェニアとの前線として兵士が駐屯していた。しかしルズレイ襲撃作戦の失敗によりガーディナ総督カークスはさらに黒き森からの襲撃を警戒し、戦線をコンパクトにするために防御線をカナンへと後退させた。
北部連合ガーディナ州は南をヴィーケン王国、北は黒き森と接しており、東は神竜王国ダルフェニアと接している。安全なのはソルトリッチ州のある西側だけと非常に防御が困難な状況にあった。そこでガーディナ総督カークスは、ガーディナ州の西半分の防備を固め、このジブラのある東側地域の防衛は捨てたのであった。
「そうは言っても、ダルフェニアにはダークエルフや魔物がいるんだろ? 支配されるにしても人間の方がいいだろう」
「まあ、それは確かにな……おや?」
木こりと会話をしていた門番が何かに気づく。それは西側から接近してくる兵士の隊列であった。
「ありゃ北部連合軍だ。やっと兵をよこしてくれたか」
門番が安堵のため息をつく。門番と木こりは手を振って北部連合の兵士を迎えた。
「出迎えご苦労でゲス」
北部連合軍の指揮官らしき男が二人に話しかけた。黒い鎧を着た小男で、頭は禿げあがり前歯が飛び出している。彼は元オリム三本槍”双牙”のネズミであった。元の主を裏切り、今はカークスに仕えている。
「これはこれは……」
異様な風体の男に木こりと門番は顔を引きつらせながら頭を下げた。
「まだダルフェニア軍はここに来てないでゲスな?」
「ええ、幸いにも……」
「確かに……幸いでゲスな」
ネズミはニヤリと笑うと背後の兵士たちに向き直った。
「野郎ども、金目の物と食料、根こそぎ奪うでゲス!」
「うぉー!」
ネズミの指示に従い、興奮した北部連合兵たちが雄たけびを上げながら町の中へ突入する。
「なっ!? それはいったい……!」
「そういう命令でゲス」
戸惑う門番の胸に、ネズミがためらいもなく腰に携えていた短槍を突き立てる。
「うぐっ……!?」
門番は驚きの表情のまま崩れ落ちた。
「邪魔する者は殺していいでゲス! 殺したい奴も殺していいでゲス!」
ネズミが残忍な笑みを浮かべ、兵士たちに声をかける。
「ひぃ!」
木こりが悲鳴をあげて逃げ出した。それからしばらく、ジブラの町は怒号と悲鳴に包まれた……
その惨劇の起こる数日前、カナン城の執務室ではガーディナ総督カークスが荒れていた。
「ふざけるな! 食料も送れないとはどういうことだ!」
大声を張り上げるカークスに、隣で副官が肩を震わせる。カークスと副官の前にはソルトリッチ州からやってきた使者が立っていた。
「大変申し訳ありませんが、我々も困っているのです。ラングール共和国が交易どころではなくなってしまったということで、こちらに入ってくる物資も少なくなってしまいましたからな。ただカザラス軍が優勢というのは我々にとっても吉報です。もうしばらく持ちこたえれば、このヴィーケンにもカザラス帝国に威光がもたらされるでしょう」
カークスの怒声を浴びた使者が涼しい顔で言った。
「誰のおかげで後方でぬくぬくしていられると思っているんだ!」
カークスがさらに声を荒げる。
ソルトリッチ州は南側にはヨダ川が流れている。黒き森から流れるリード川と合流したヨダ川は水流も多く川幅も大きい。当然それだけ水棲の魔物もおり、軍が渡るのは難しかった。なおかつ南東側はカークスの治める地域であり、ソルトリッチの北部連合軍は黒き森からの侵入だけを警戒している状態となっている。
ガーディナ州を落とさない限り、ソルトリッチ州を攻めることは出来ない。それが北部連合軍の認識であった。
「そうは申されましても、こちらもいままで無償で食料をお譲りしていたのですぞ。本来であれば金銭を要求したいところです。なにせ我々は対等の関係なはずですからな。もっとも、カークス殿が”権王”レネン様を北部連合の盟主と認め、主従関係を結ぶというのであれば話は別ですが……」
言葉遣いは丁寧だが、使者の顔には侮蔑の表情が浮かんでいた。この使者も貴族であり、平民出身であるカークスを格下に見ている。なおかつ現在は経済力も軍事力も両州の間には倍近い差があった。
「それに……いざとなればターニアの橋を落としてしまえば、敵の軍勢は簡単にはソルトリッチに入って来れぬでしょう」
「なっ!?」
使者の言葉にカークスは目を見開いた。
ターニアはソルトリッチの州境にある、リード川に面した町だ。川を渡るための橋がかかっている場所で、その防衛や宿場町としての機能を担っている。確かにその橋が落ちてしまえば通常の軍隊が行き来するのは困難になってしまう。そして橋を落とすということは、彼らがカークスたちと運命を共にするつもりなど毛頭ないという意思表示でもあった。
「馬鹿にしているのか! もうよい、貴様らの助けなど借りぬわ!」
カークスは使者を追い返す。使者は最後まで横柄な態度を崩さず部屋を出て行った。
「しかし困りましたね。ダルフェニア軍だけではなく、我々も物資不足に陥るとは……」
カークスの脇で副官がつぶやく。情報収集能力に劣る北部連合軍には、ダルフェニア軍がカザラス軍を襲い食料を手にいれていたことは伝わっていなかった。
「東部はどうなっている? ダルフェニア軍に略奪されてはいないのか?」
戦争となれば敵地を略奪するのは常とう手段だ。物資も手に入るし兵士の士気も上がる。
「いえ、そういった報告は上がっておりませんが……」
「そうか。ではネズミを呼べ。ダルフェニア軍にやるくらいなら、こっちで確保しよう」
表情を変えることなく言い放つカークスに副官はギョッとした。
こうしてジブラでの略奪は行われたのであった。
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