兄妹(ロスルー)
そしてロスルーの町では帰還したヒルデガルドを称える歓声が鳴りやまぬ中、アーロフやヒルデガルドたちは駐屯本部となっている城の中へと入って行った。
「どういうつもりだ! 汚い真似をしおって!」
城にアーロフの怒声が響き渡る。城にいる兵士たちにはその声が聞こえていたが、すでにアーロフの我慢は限界だった。
神竜王国ダルフェニアから帰還したヒルデガルドはハイミルト将軍を討ち取った手柄を自分の物だと主張し、さらに演説によって人々の気持ちを掴んでしまった。
「アーロフお兄様に言われる筋合いはありませんわ」
ヒルデガルドは冷たい声で言い放った。その後ろでダーヴィッデやエマ、ヴィレムも当然だと頷いている。
「ふん。いまさら多少の手柄をアピールしたところで、お前は帝位になど付けぬ。帝国で生きていくつもりなら、俺に逆らわぬ方が身のためだぞ」
アーロフが燃えるような怒りの視線をヒルデガルドに向ける。しかしヒルデガルドは少し眉をひそめただけだった。
「……私は武人としての自分に誇りを持っておりました。私を平民の子とあざける人々は多いですが、剣の腕を磨き武人として名を上げればそのうち認めてくれる。そう、お父様もきっと……そんな風に思っておりました」
ヒルデガルドは静かに語る。しかしその瞳には強い意志の炎が宿っていた。
「ですが恥ずべきことに、この国は汚い陰謀や醜い足の引っ張り合いばかり……帝国一の武人であったわが師、ルトガー様もそれに巻き込まれて亡くなってしまいました。それでも私は武人として、軍からの命令に従ってきました。そして捕らわれの身となり、いままで神竜王国ダルフェニアで過ごすこととなりました」
ヒルデガルドは振り返り、エマとヴィレムに視線をやる。
「あなた方にも迷惑をかけましたね」
ヒルデガルドの言葉にエマとヴィレムはとんでもないと首を振った。
「しかしそこで見たアデルさん――ダルフェニアの王は、いままで私が見てきた権力者たちとは全く違いました。武人としての誇りも、貴族としての名誉も、王としての権力も、何も欲していなかった……彼はただただ、国とそこに住む人々の暮らしのことだけを考えていました。それを見て、私は自分が間違っていたことに気づきました」
ヒルデガルドは再び毅然とした態度でアーロフを睨みつけた。
「……皇族に生まれた私がやるべきことは、自分が生きたいように生きることではない。私がすべきことは、民が生きたいように生きられる国を作ること。そのために私は……次期皇帝となります」
ヒルデガルドは決意を表明する。それはアーロフへの宣戦布告でもあった。
「ふっ……ようやくお前もわかってきたか。綺麗事ばかりでは国は動かせん。手を汚しても犠牲を払っても、俺たちが民を正しい方向に導いてやらねばならぬのだ」
アーロフは嘲りを含んだ笑みを浮かべた。
「兄上の言う『国』は一部の上流階級のことのようですね」
「所詮、平民の血が混ざったお前には国家のことなどわからんか」
ヒルデガルドとアーロフの視線がぶつかり合う。
しばらくしてヒルデガルドがその視線を外した。
「父上にも帰還の報告に参ります。解放された兵の一部は引き続き私が率います」
解放された中には暗殺事件以来、私兵としてヒルデガルドを守ってきた兵士も含まれている。またアーロフに仕えるのは絶対に嫌だという兵士も多数おり、ヒルデガルドがその面倒を見ることを約束していた。
「勝手な真似をするな」
「では命令不服従で除隊処分にされればよろしいのではないですか? 急ぎますので失礼いたします」
ヒルデガルドは一方的に話を打ち切るとその場を立ち去った。いままでのヒルデガルドにはない強引さであった。
「……おっと、そうだ」
去り際にダーヴィッデが振り向いた。
「アーロフ様、獣人から襲撃を受けたことで私の責任をお問いになった件ですが、獣人たちは神竜王国ダルフェニアと手を結んでいたようです」
「それがどうした」
アーロフは怒りのこもった声で言った。
「確かに獣の森は私の管轄ですが、ダルフェニア軍の相手はアーロフ殿下のご担当……ということで、私に責任を取れと言うお話は承服しかねます。今後とも力を合わせて獣人に対処してまいりましょうぞ」
「……俺に逆らうというのか?」
「これは妙なことをおっしゃる。私たちは同じカザラス軍の将軍同士ではありませんか。軍の規定に従い、互いが責任をもって行動するのが当然のこと。もちろんアーロフ殿下が帝位を継承なさるのなら話は別ですが、それはあり得ないでしょうからなぁ。はっはっはっ」
「……失せろ」
「では失礼いたします」
怒りに肩を震わせるアーロフに笑顔で言うと、ダーヴィッデもその場を後にした。
「あいつらめ……」
残されたアーロフが苦虫を噛み潰したような表情になる。
「ダルフェニアに送り込んだ諜報部隊も解放されたのだったな?」
不意にアーロフは副官のヤナスに尋ねる。
「は、はい。さすがに牢屋に入れられていて、ろくな情報は持っておりませんが……」
「全員死刑だ」
「は?」
アーロフの言葉にヤナスはぽかんとした表情になった。
「死にたくなければ帝都に向かうヒルデガルドを殺せと命じろ……あいつは邪魔になる」
ヒルデガルドが出て行った扉を睨みつけ、アーロフが非情な命令を下した。
ヒルデガルド一行はエルゾに向かう道中で野営をしていた。ロスルーからエルゾに向かう街道は獣の森の外れを通っている。ヒルデガルドの護衛はダーヴィッデの兵を加え三百人余りとなっていた。森の少し開けた場所に天幕が建てられる。ヒルデガルドらが宿泊する天幕はその天幕の群れの一番外れに建てられていた。ヒルデガルドが宿泊するということで、他の物より上等なものをダーヴィッデが用意していた。
「アーロフお兄様にあのような物言いをして大丈夫なのですか?」
その天幕の中、焚火を囲みながらヒルデガルドが言う。
「はっはっはっ。アーロフ殿下が皇帝になったらどのみち私などは商売がやりにくくてしょうがないでしょう。あの方は少数の権力者が他を支配するという考え方。アーロフ殿下が皇帝になれば、宮廷お抱えのレーヴェレンツ商会が幅を利かせて、私のような地方の商人は淘汰されてしまいます。もしヒルデガルド様が皇帝になれなければ、ダルフェニアにでも逃げますよ」
ダーヴィッデが笑いながら言った。
「見張りはヒルデガルド様のご要望の通りに配置しましたが……あれでよろしかったのですか?」
エマが眼鏡を光らせて言う。
「ええ、かまいません……暗殺には慣れていますからね」
不敵な笑みを浮かべるヒルデガルドの言葉に一同が頷いた。
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