誘惑(ミドルン)
オリムでの一通りの会議を終えたアデルは翌日、数人のお供を連れてミドルンの視察に向かった。ミドルンはオリムからも近く、馬などを使えば一日で行って帰って来れる距離だ。メンバーはイルアーナ、ラーゲンハルト、ポチ、ピーコ、コルト、リオとなっている。
「よし、親衛隊長の俺の出番だな」
アデルが同行を頼んだ時、”黒槍”リオはそんなことを言っていた。
「いや、そんなものに任命した覚えはないんですけど……」
アデルは顔を引きつらせる。リオは腕が立つうえに、他に任せられる仕事がないのでよく護衛に任命されていた。
レイコの攻撃でできたボコボコの道で少し手間取ったが、一行は無事にミドルンへと辿り着く。町は石壁に囲まれているが、町の外からでも大きな橋が川にかかっているのが見えた。
「うわぁ、でっかい橋ですね!」
ミドルンに近付いたアデルはその大きさに感心した。川辺に作られた町からは石造りの立派な橋が突き出している。ガルツ要塞、カイバリー城とともに、ヴィーケン三大建造物と言われるミドルン橋だ。
ミドルンの西側にはヨダ川が流れている。この辺りの川幅は30mほどで水量はなかなか豊富だ。ミドルンはもともとここで橋渡しをしていた人々の集落から発展した町だ。ヴィーケン王国の西側からガルツ要塞に物資や兵員を送るにはそれまで大きく川を迂回していたのだが、ここに橋を作ることでそれが迅速にできるようになり、また北部の経済活動も活発化した。
ちなみに当時、町を川の西側に作るか東側に作るかは議論になった。町自体の安全を考えるのであれば川の西側に作るべきだが、国としては東から侵入してくる外敵を足止めして欲しかったため、結局は川の東側に町が作られた。
「ふ~ん、まあまあだね」
交通の要衝であるミドルンはヴィーケン国内屈指の交易都市だが、色んな町を見てきたラーゲンハルトにとってはさほど珍しくはなかったようだ。
もともと援軍や物資の輸送を想定されて町がつくられているため、主要な通りは広めに作られている。通りには多くの店が並んでいるが、戦時のためか閉まっている店も多く、それほどの活気はなかった。
元領主であるコルトから町の説明を聞きながら、アデル一行は町を進み続け南側へと抜けた。
「うわぁ、広いなぁ……」
南側の門を抜けたアデルは呟く。ここから南はダルム州だ。ソリッド州と同じく東側にバーランド山脈があり、貧者高原と同様に農耕に適さない貧しい高原が広がっている。しかし貧者高原とは違い、こちらは牧畜が盛んで経済レベルもまったく違った。
「ダルム州もこっちと同じような土地なんですよね? なんでそんなに差があるんですか?」
「似たような土地ではあるが、決定的な違いが二つある」
アデルの疑問にイルアーナが答えた。
「ひとつは王都が近い事。ガルツ要塞への補給路でもあるし、何かあれば多くの兵がすぐに駆け付けられる。ダルム州の牧畜で得られる肉や乳製品、毛皮は王都でも需要が高い。国の端で、しかも住民は犯罪者や浮浪者の貧者高原とは全く違うのだ」
「ひどいなぁ。場所だけでそんなに変わっちゃうんですね……」
「それだけではない。もうひとつ重要なのは南側のバーランド山脈には飛行系の魔物が少ないのだ。ワイバーンやグリフォンがいる貧者高原では牧畜などやってもすぐに喰われてしまう」
「へぇ、そうなんですね……なんでなんだろう?」
イルアーナの説明を聞き、アデルは首をひねった。
「それは人間のせいじゃぞ」
「え?」
ピーコの言葉にアデルは驚いた。
「この前も言ったであろう。この山脈の向こう側は人間の魔法文明のせいでマナが欠乏状態になっておる。当然、バーランド山脈にも影響はある。空を飛べるような魔物や知性の高い魔物はさっさと住みやすい場所に移住したのじゃ」
「はー、なるほど……」
ピーコの説明にアデルは感心した。今までに得た知識が合わさって、これまでわからなかった謎が解明される瞬間にはある種の知的な興奮がある。
「危険な魔物とかはいるの?」
「危険? 普通の人間より強い魔物などいくらでもいるが、我らにとって脅威となる存在はベヒモスくらいかの」
「ベヒモス!?」
よくゲームで聞いた名前にアデルは驚く。その姿はまちまちだが、どのゲームでも強敵として設定されていた。
「うむ。四本足の巨大な魔獣じゃ。その昔は竜族と並び称されるほどの種であったが、強く大きくなる過程で知性が失われ凶暴性が増した。今ではただの厄介な獣じゃな」
ピーコが眉をひそめた。
(ピーコが脅威って言うくらいだから相当強いんだろうな……山から出て来なきゃいいけど……)
バーランド山脈の山々を見ながらアデルは身震いした。
「南からは大軍による攻撃が可能だね。幸い、ヴィーケンにそんな戦力はないはずだからいいんだけど」
ミドルンの南の平坦な地形を見ながらラーゲンハルトが将としての意見を述べる。
「この先、防御に適した地形はしばらくない。ダルム州を落とすつもりであれば難しくはないだろうが、守るのも難しいだろう」
イルアーナがさらに先を見据えた話をした。
「そうだね。実際、ヴィーケン軍の姿も見えないし。防御線を築いているとしたら州都ジベルか……いや、守りにくいダルム州の防衛はあきらめているかもしれない。こっちが安易にダルム州を占領すれば、ダルム州の防衛には苦労するだろう。この先の地形はちょっと厄介かもしれないね」
「へぇー、そうなんですね」
イルアーナとラーゲンハルトの話が難しくなってきたため、アデルは適当に相槌を打ってわかってる風を装った。
「では中に戻りましょう」
コルトに一声で、一行は町へと戻る。葬儀の会場となる予定の城へ向かうつもりであった。
「ん?」
その途中、通りにいた一人の長身の女性にアデルの視線は釘付けになる。それは妖艶な美女であった。年は二十代後半くらい、紫色の長い髪に金のサークレットがキラキラと光っている。長いまつ毛の奥から黒い瞳が品定めするようにアデルを見つめている。胸元の大きく開いた赤いドレスを身にまとっており、大きなふたつのプルプルが深い谷間を作っていた。
(あれがアデル王ね……ふふっ、いかにも世間知らずな坊やって感じね)
周囲の人間からは浮いている雰囲気のその美女はしばらくアデルを見つめていた。そしてアデルたちの方に早歩きで向かってくる。いったんアデルの数歩手前で立ち止まると大きく深呼吸をした。周囲から視線を集めているが気にしている様子はない。そしてその美女は意を決した表情になると、急にヨロヨロとした歩き方でアデルに近付いてきた。
「あぁ……っ!」
美女はそのまま倒れ込むようにアデルに身を預ける。周囲の人間は茫然とその様子を見送っていた。
「はふぅっ!」
でかっぱいの感触にアデルは謎の奇声を上げる。
「あぁ、すいません! 歩いていたら急に気分が悪くなって……お怪我はありませんか?」
美女は妙に芝居がかった口調で言うと、アデルを上目遣いで見上げた。
(なんだ、この嘘くさい女は……?)
あまりの大根演技にイルアーナは止める気も起きず、冷ややかに女を見つめる。全員がその美女の行動が演技だと見抜いていた。
(でも……羨ましい)
しかし男性陣は皆、美女に抱きつかれたアデルを憎らしげに見つめていた。
「ぜ、全然大丈夫ですよ、あははっ」
恥ずかしさと興奮で顔を真っ赤にしながら、アデルはなぜか沸き起こる笑みを止められなかった。
「またジャミナさん、何かやってるな」
「どうせしょうもないことだろ」
周囲の人々から話し声が聞こえる。その美女は近所では有名人のようだ。
「私は近所で娼館を営んでいるジャミナと申します。大変、申し上げにくいのですが、気分が悪いので店まで送っていただけますか?」
ジャミナは色っぽい視線でアデルを見つめた。
「しょ、娼館ですって!? も、もちろんいいですよ!」
魅惑の単語にアデルは了承せざるを得なかった。
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