カザラス帝国
「まいったなぁ、父上に怒られちゃったよ」
カザラス帝国第一征伐軍、通称黒蹄騎士団長ラーゲンハルト・カザラス・ローゼンシュティールは自身の執務室で愚痴っていた。父親譲りの金髪に青い瞳と白い肌。端正な顔立ちは大陸一の美姫と称された母親譲りだ。年のころは二十代後半、気の抜けた表情でだらしなく椅子に座っている姿はとても帝国最強部隊を率いる人間とは思えない。兄ジークムントの跡を継ぎ団長の任に就いて約一年。その武人らしからぬ態度に”放蕩息子”と陰で呼ばれていた。
「そうでしたか」
ラーゲンハルトの副官、フォスター・ユナシュバイツは素っ気なく相槌を打った。ラーゲンハルトと同年代のようだが、ピンと背筋が伸びた姿勢は彼とは正反対の几帳面さを感じた。ラーゲンハルトの兄、ジークムントの頃から副官を務めており、指揮においても個人の武力に置いても帝国屈指と噂されていた。
「ひどいよね、あの戦いはトンネル作戦が成功してこそ意味があったのに。それが失敗した以上、いつもの、兵の損耗度外視、頭使わず突撃大作戦~!ってやるしかないわけじゃん? うちの精鋭をそんなことで消費したくないでしょ」
「そうですね」
「いや、わかるよ。父上ももう年だし、自分が生きてる間に大陸統一って偉業を成し遂げたいって気持ちはさ。でもちょっと無理しすぎでしょ。中央平原を統一出来ちゃったから欲が出ちゃったのかね」
「そうかもしれませんね」
「エルフも自分たちの役目終わったらさっさと帰っちゃうしさ。もうちょっと手を貸してくれてもいいと思わない? カワイイ子もいたのに、口説く暇がなかったよ。ねぇ、フォスターはどんな子がタイプなの?」
「プライベートな質問には答えません」
「つれないなぁ。僕たち友達なんだから、それくらい教えてくれてもいいじゃん」
「友達ではありません、上官とその部下です」
「じゃあ命令! どんな子がタイプか答えて」
「強いて言うなら無駄口をたたかない方ですかね」
そこからさらに数分、ラーゲンハルトの無駄話をいなし続けたフォスターは、やっと重要な報告をする隙を見つけた。
「ところでヴィーケン軍の”首狩り”アデルの件ですが、1週間後に葬儀が行われるそうです」
「へぇ」
ラーゲンハルトは興味津々といった感じでフォスターの話に身を乗り出した。多くのカザラス指揮官を狙撃したアデルはカザラス軍内では「首狩り」という異名で恐れられていた。
「葬儀は大々的に行われるとのことで、国民にも彼が亡くなったことは大々的に知るところとなります。いま我々が攻め込むのであれば、敵の士気は低くなるでしょう」
「う~ん、どうだろうねぇ」
ラーゲンハルトは自分の髪を指でいじりながら考えを巡らせる。
「ちょっと整理しようか。アデルとやらが本当に死んでいて、それが普通に戦争中に死んだのであれば素直にそう言えばいいわけだ。だが彼は『暗殺』された。それは戦闘が終わった後に彼が生きていては困る者がいたから。ただし残念ながら僕らの間者が暗殺できたわけではない……」
「そうですね」
「となると彼が本当に暗殺されたのであれば、ヴィーケンの手によるものだ」
「他の勢力による暗殺である可能性もゼロではありませんが、両軍の間者監視網があったことを考えると難しいでしょうね」
「彼が本当に死んでいてくれるなら、ヴィーケンの意図なんてどうでもいい。褒賞を惜しんだのかもしれないし、英雄として扱うには素行が悪すぎたのかもしれない」
「素行が悪かったという情報はありません」
「例えばの話だよ。ただ正直、彼を手放すのはあり得ない。重要な戦力だからね。となるとやはり『暗殺』はウソで、彼は生きていると考えるのが妥当でしょ」
ラーゲンハルトの考えは両国の価値観や事情の違いなどから微妙に真実からズレてしまっていた。
「我々がヴィーケンの狂言に踊らされて攻め込めば、死んだはずの英雄が再び我々を撃退すると」
「そうそう、派手に葬儀を行うのもうちらに彼が死んだと思わせるためじゃないかな」
「これまでヴィーケンがそのような情報戦を仕掛けてきたことはありませんが……」
「いままで無かったから、これからも無いって考えるのは危険じゃない? 実際、こっちだってエルフの魔法の力を借りてトンネル掘るっていう新しい戦法使ったんだしさ」
カザラス帝国が今回の戦いで使ったトンネルは、主にエルフの土の精霊魔法によって掘られたものだった。さらに本来であれば空気穴なども作り内部の換気をしなければいけないところを、エルフの風の精霊魔法を使うことによって不要とした。危険なバーランド山脈に空気穴など開ければどんな魔物が侵入してくるかわからない。こうして前代未聞の作戦は為されたのだった。
「確かにおっしゃる通りです」
「とにかく投石機の改良を急いでくれ。もっと飛距離が伸びないと、城壁の上から撃ってくる相手の投石機に勝てない」
「材料を厳選することで射程距離は伸ばせそうです。ただ調整と数をそろえるのにもう少し時間がかかります」
「いいよ、無理せず急いでね」
「かしこまりました」
敬礼をしてフォスターが部屋を出ようとする。だがその前に部屋に新たな人物が入ってきた。
「兄上、父上はなんと?」
その人物は部屋に入るなり棘のある言い方でラーゲンハルトに詰め寄る。鎧で身を固めているが、まだ少女であった。ラーゲンハルトと同じく美しい容姿をしている。二人の父親はロデリック・カザラス・ローゼンシュティール。カザラス帝国の皇帝である。
「やあ、ただいまヒルデガルド。ダメだよ、ノックぐらいしないと」
ヒルデガルドと呼ばれた少女はロデリックの第七子の第三皇女である。ラーゲンハルトは第三子の第二皇子だ。しかし母親が違い、ヒルデガルドは側室である大商人の娘の子、ラーゲンハルトは正室の子であった。
「兄上に礼儀作法と説かれる筋合いはありません。それより父上はなんと?」
「口が悪いなぁ、妹ちゃんは」
「兄上!」
おどけた態度のラーゼンハルトにヒルデガルドが声を荒げた。
「はいはい、父上ね。ガルツ要塞の攻略を急げってさ」
ラーゼンハルトの言葉にヒルデガルドの表情が緩む。
「当然です。圧倒的な兵力を預かっておきながら、敵の一兵卒に怖気づいて撤退することなど、本来あり得ないのですから」
ヒルデガルドは勝ち誇って言った。
「いやいや、かわいい妹を危険な目に合わせられないでしょ。僕も死にたくないし」
「兄上! 誇り高き帝国騎士がそんな軟弱なことでどうするのですか!」
相変わらずやる気のないラーゼンハルトにヒルデガルドが食ってかかる。
「ヒルデガルド、僕は無駄に兵を死なせるつもりはない。皇帝陛下よりお預かりしている大事な兵だからね」
「しかし父上からも攻略を急げと……」
「ヒルデガルド、その父上から指揮を任されているのは僕だ。文句があるのなら父上に直接言ってくれ」
「くっ……!」
ヒルデガルドは悔し気にラーゼハルトを睨むと、無言のまま部屋を出て行った。
「やれやれ……反抗期の妹を持つと大変だ。ねぇ、フォス……あれ?」
フォスターはいつの間にか退室していた。兄弟ゲンカに巻き込まれぬうちに撤退したようだ。
「……優秀な副官だな、まったく」
ラーゼハルトは肩をすくめると、たまっていた書類の山を片付け始めた。
面倒なだけの事務仕事としばらく悪戦苦闘していると、執務室の扉がノックされた。
「どーぞー」
「失礼いたします」
扉を開けて若い伝令兵が入ってきた。緊張した面持ちなのは、相手が帝国屈指の権力者であるからか。
「大本営より指令書をお持ちしました」
「大本営から?」
大本営は帝国において、各騎士団を統括して帝国全体の戦略を練る皇帝直属の機関である。
指令書は蝋で封をされていた。蝋には大本営からのものである証の印があった。封を開け、中の手紙を読んだラーゼハルトは眉をひそめた。
「これは誰から?」
「わ、私は上官から持っていくようにと渡されただけですので、どなたからの指令かは……」
「わかった。下がっていいよ、お疲れ様」
緊張してあまり口が回っていない伝令兵を下がらせると、ラーゼハルトはため息をついた。
「やだやだ……やっぱり軍人なんかやめて酒場でも経営しようかな……」
ラーゼハルトは持っていた羽ペンを放り出し、現実逃避の妄想を始めた。
カザラス帝国は大陸中央平原北部にあったローゼス王国がその始まりである。かつて四大国のひとつであったローゼス王国は王家が力を失い、内紛で分裂していた。下級貴族であったロデリック・カザラスはその軍才により若くして軍を率いるようになると、大陸一の美姫と評判であった王家ローゼンシュティール家の娘の婿となり、やがて王位を継ぐほどの活躍をする。四十歳で旧ローゼス領を統一すると旧姓のカザラスの名を復活させカザラス皇帝を名乗りカザラス帝国を設立、軍拡を進め中央平原統一を成し遂げた。
カザラス帝国には「三本の剣、四つの盾、そして百万の兵」がいるという。剣は征伐軍、盾は平定軍、兵はそのまま兵のことだ。
征伐軍は他国に侵攻する部隊、平定軍は征服した国に駐留し残存敵対勢力の討伐や治安維持にあたる部隊だ。「百万の兵」と謳われているが、大量の兵士がいるという意味で、実際は二十数万である。その強大な軍事力から、「カザラス軍が侵攻するだけで大地が揺れ、城が崩れる」と恐れられていた。
三つの征伐軍はそれぞれ別の国と、四つの平定軍はそれぞれ別の地域に展開している。軍略的には多方面に戦力を分散して戦うことは間違っているが、カザラス帝国はその内部事情によりこのような戦略をとっている。
皇帝のロデリックは現在六十歳を超えた。この世界では平民は六十歳、貴族は七十歳ほどが寿命と言われている。大国カザラスを取り巻く群雄たちの様々な思惑は複雑怪奇に絡み合い、歴史を思わぬ方向へと導いていく。その中心となる人物は、まだ己がその大役を担うことに微塵も気付いてはいなかった。
お読みいただきありがとうございました。