逆鱗(ガルツ要塞)
オークのプニャタに抱きついた、日本の女子高生のような美少女――デスドラゴンを目の前に、アデルは気圧されて狼狽えていた。
「こりゃ、デスドラゴン! なにをやっとるんじゃ!」
ピーコがデスドラゴンに近付き叱る。
「はぁ? なんであんたにそんなこと言われなきゃいけないのよ」
しかしデスドラゴンは意に介さず、プニャタの体をプニプニしている。あまりピーコとデスドラゴンは仲が良くないようだ。
「お久しぶりね、デスドラゴンさん」
レイコもデスドラゴンに歩み寄ると声をかける。
「うっそー! 金ちゃん!? 前転生ぶり?」
「金ちゃんとか呼ばないでください。私もあなたのこと黒竜王と呼びますわよ」
「やめてよ! その名前、かわいくなさすぎてゲロんティックエクストリーム!」
なにやら名前の呼び方で両者がもめていた。
「ポ、ポチ、デスドラゴンさんって、なんで黒竜王とか死竜王って名前じゃないの?」
「その名じゃかわいくないからデスドラゴンがいいんだって」
アデルの問いにポチが答える。
「あ、そうなんだ……」
アデルは引きつった笑みを浮かべた。
「あっ、白ちゃんまでいるじゃん! やっほー!」
ポチを見つけたデスドラゴンが手を振る。
「デスドラゴン、迷惑」
ポチは不満げに頬を膨らませた。
「ひっどーい! 白ちゃんまでそんなこと言うんだ! ゲシュタルト崩壊5秒前!」
デスドラゴンが甲高い声で抗議する。
そんな美少女姿の竜王たちの会話に、アデルはますます立ち入れなくなっていた。そこへヒルデガルドが近付いてくる。
「アデルさん、大量にあったはずの死体が消えています」
「え?」
ヒルデガルドに言われてアデルは気が付いた。とりあえず峡谷の崖側へ寄せて置いていたはずの死体の山がなくなっている。死後数日が経ち、普通であれば悪臭と大量のハエが周囲を埋め尽くしているはずだ。しかし幾分かの悪臭や死体に群がっていたと思われるハエは周囲を飛んでいるものの、肝心の死体は消え去っていた。
「まさか……あれを全部一晩で……!?」
アデルは冷や汗を流しながらデスドラゴンを見る。
(そんな食欲旺盛で、数千人を一晩で食べるんだったら、あっという間にうちの国なんて滅ぼされちゃうぞ……!)
背筋を凍らせながら、アデルは他の竜王たちに責められ口を尖らせているデスドラゴンを見た。
「あ、あの! デスドラゴンさんが死体を食べたんですか!?」
アデルは勇気を出し、デスドラゴンに話しかける。
「あんた前に白ちゃんたちと一緒にいたキモいやつ? 気安く話しかけないでよ!」
(この感覚……懐かしい!)
デスドラゴンに冷たく睨まれ、アデルは日本で生活していた時の感覚を思い出した。女子に話しかけたときにいつも味わっていた感覚だ。
「あの数の死体じゃ。恐らく吸収したのだろうな」
ピーコがアデルに言う。
「きゅ、吸収? それって食べるのとは違うの……?」
「よう知らぬが、デスドラゴンは闇を操る。そしてその闇に触れたものは吸収され、どこかへと消えてしまうのじゃ。行き先が異空間なのか、こやつの体の中なのかは知らぬ。その吸収したものが動物や植物であれば、こやつの栄養になるようじゃ」
ピーコが解説した。
(闇で吸収? ブラックホールみたいなもんなんだろうか……?)
アデルはピーコの話に息を飲む。
「そ、それでデスドラゴンさんは人間も襲ったりするんですか?」
「なんか文句ある?」
アデルの質問にデスドラゴンが眉を釣り上げる。
「こ、今後はやめていただきたいんですけど! それと、そのオークを放してください! 僕らの仲間なんで!」
デスドラゴンの視線に怯みつつ、アデルは勇気を奮い起こして言った。
「なんであんたの指図なんて受けなきゃいけないのよ!」
より一層、プニャタを抱く力を強めてデスドラゴンが言う。プニャタはジタバタ暴れているが、一向に抜け出せる気配は見えなかった。
「いい加減にせい! アデルたちはいまや我らの友達じゃ。手を出すなら承知せんぞ」
ピーコの言葉にデスドラゴンは呆れたような表情になった。
「はぁ? まじあり得ないんデスけど! 風ちゃんも白ちゃんも金ちゃんも、どういうシルフの吹き回し?」
「わたくしは彼らの友達ではありませんけど。しかし金ちゃんはやめてください。今はレイコという名があるのです」
レイコがデスドラゴンに言った。
「何それ? さっきからピーコとかポチとか、そのちんちくりんが言ってるのも名前?」
「そうですわ。いまやこの人間たちはわたくしたちを神と崇める下僕なのです」
レイコが上品にほほ笑む。
(はははっ……デスドラゴンさんの前だとレイコさんがまともに見えたけど……やっぱりどっこいどっこいだな)
アデルはレイコの言葉に乾いた笑いを浮かべた。
「意味わかんない! 自分たちは力で人間を従わせてるのに、なんで私はこのオークをペットにしちゃだめなのよ! ワケわからなすぎて大森林不可避!」
「力で従わせたわけではありませんわ。彼らの方から恭順してきたのです。やはりわたくしの美しさと高貴さがそうさせてしまうのでしょうね。ああ、なんて罪深い存在なのかしら、わたくしったら……」
レイコは悲しそうな表情を扇子で隠した。
「そういうわけじゃ。おぬしとて三竜王を相手にするのは厳しかろう。大人しくそのオークを放すのじゃ」
「人間と友達なのは幼体の風ちゃんと白ちゃんだけでしょ。金ちゃ……レイコが人間のために戦うわけないじゃん」
ピーコの言葉をデスドラゴンが鼻で笑う。
「残念ですが……ピーコさんとポチさんが戦うなら、わたくしも戦わざるを得ませんわね」
しかしレイコがそう言うと、デスドラゴンの表情が変わった。
「はぁ? なんでよ!? 一番、人間相手に戦うの嫌がってたでしょ!?」
「ええ、そうですわ。でもデスドラゴンさん、あなたピーコさんたちが負けると思っておりました?」
「えっ? い、いや、思ってなかったけど……」
「わたくしもですわ。人間相手に竜王が六匹。わたくしが行かなくとも当然勝てる、そう思っておりましたわ。まさか負けるなんて……」
レイコが伏し目がちで言った。いままでアデルが見たことのないレイコの表情だった。
(もしかして、一緒に戦わなかったことに罪悪感があるのか……?)
アデルはふと思った。レイコが圧倒的な力を持っているにもかかわらず、ポチやピーコに対して強気に出れないのは、そういう事情からなのかもしれないと。
「おぬしらが来ていたとしても勝てたかはわからぬな。我らも当然勝てると思っておった。しかし実際は知っての通りじゃ。圧倒的に弱い相手としか戦ってこなかった我らは、自分たちと戦う力のある相手を初めて目の前にして、どう戦ってよいかわからなかった。人間に我らは完全に敗北したのじゃ」
ピーコが遠い目をして言う。
「そ、それは数が違いすぎたからでしょ! 竜族が人間なんかに負けるわけないじゃない!」
デスドラゴンがムキになって反論する。
「いや、ピーコの言う通りだ、デスドラゴン」
そこに割って入ってきたのはイルアーナだった。
「我らも異種族で手を取り合い人間と戦ったが、勝つことはできなかった。個々の能力は遥かに勝っていたにも関わらずな。人間は弱い。しかしそれを数や知恵で補っている。あまり認めたくはないが、種として強いのは人間なのだ」
イルアーナはまっすぐデスドラゴンの目を見て語る。デスドラゴンが少し気圧されているのが目に見えて分かった。
「我らも短い間ではあるが、人間と過ごしてわかった。彼らは相手が自分たちよりも強かろうと、色々と工夫してどうにか勝利をもぎ取ろうとする。恐ろしい種族じゃ」
ピーコがしみじみと言った。
「まあ、非常に愚かな部分も多いですけれども、大変興味深い種族ですわ」
レイコが肩をすくめた。
「……わかったわよ、放せばいーんでしょ。もう! まじ心がブルーディスティニー!」
デスドラゴンはやけくそ気味に言い放つと、諦めてプニャタを放す。プニャタは脱兎のごとく逃げ出すと、アデルの背に隠れてプルプルと震えた。
「あ、ありがとうございました!」
アデルはぺこりと頭を下げる。
「……ところであんた、さっきからイイ匂いさせてるけど、何の匂い?」
「え?」
アデルはデスドラゴンに言われたが、訳が分からずポカンとする。
「あっ、もしかしてこれですかね」
アデルは懐から包み紙を取り出した。オリムの調理場でもらった丸パンだ。
「キャ~、何それ! カワイイ~!」
デスドラゴンは丸パンを見て嬌声を上げる。
「か、かわいい……?」
唖然とするアデルを尻目に、デスドラゴンは素早く丸パンをかっさらうとそれにかじりついた。
「ヤバッ! うまたにえん!」
デスドラゴンは丸パンを味わいながらウットリとした表情になっていた。
「こりゃ! まったく……どうやらオークもパンもこやつの逆鱗に触れてしまったようじゃな」
ピーコがデスドラゴンを叱った。
「逆鱗?」
「ああ。時折、竜族はなにか無性に好きになってしまうものに出会うことがあるのじゃ。レイコの唐揚げみたいなものじゃな。それを逆鱗と呼んでおる。滅多にないことじゃがな」
(「逆鱗」って、そんな心のツボ的なものだったのか……)
ピーコの言葉にアデルは考え込んだ。
「あの……デスドラゴンさん」
「何よ。返さないわよ」
アデルの呼びかけに、デスドラゴンは食べかけのパンを背中に隠した。
「いや、それは差し上げます。それより、僕たちに協力していただけませんか? オークもいっぱいいますし、パンをたくさん食べられますよ」
「えっ、ほんと!? オケ丸水産!」
こうしてアデルはデスドラゴンを自陣営に引き込むことに成功したのであった。
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