離反
(ん……?)
翌日の昼、ムラビットが作ってくれた地下部屋にいたアデルは何者かが近付いてくる気配を感じた。地下部屋は5m四方ほどの殺風景な部屋で、雨風をしのげる以外は何の機能もない。
「誰か来るみたいです……お二人は顔を出さないでください」
アデルはイルアーナとモーリスに声をかけると、アデルは外に出て気配の元を探る。ズールの村の方から数人の男たちがアデルのいるほうに歩いてくるのが見えた。
「あれ? ズールの村の村長……」
男たちの先頭に立っているのは以前にアデルがハーピー退治の依頼を受けたズールという村の村長であった。
「おや? 君は確か……」
ズールの村の村長はイラスという名前であった。イラスたちの表情は一様に暗く沈んでいた。
「どうされたんですか、みなさんで」
ズールの村の人口は少なく、ここにいる男たちは男手ほぼ全員といっていいだろう。
「ああ……実はオリムから徴兵令が来てね……」
「徴兵令?」
「いままで貧者高原にある村々はたいした税収にもならないし、保護の対象にならない代わりに徴税等もされてこなかったのだが、今はわざわざ騎兵を使って村を探し回っては兵役を課しているんだ。よっぽど兵士が足りないらしい」
「へぇ……そんなに戦況が悪いんですかね……」
アデルは首をひねる。
「冒険者は自由でいいな……私も若かったら、君みたいになりたかったよ」
「ははは……」
イラスの羨む言葉にアデルは苦笑いを返すしかなかった。
「私なんてもう若くもないし、戦いの経験もない……きっと戦争が始まったら生きて帰れないだろうな……」
「まあ、いざとなったら降伏しちゃえばいいんじゃないですか。カザラス軍を率いている将軍はいい人ですよ」
悲観的なイラスを慰めるようにアデルは言った。
「そ、そんな事大っぴらに言ったら反逆罪になってしまうよ! でもいざとなれば、確かに選択肢になるかな……ありがとう、少し気が楽になったよ」
イラスは少し笑い、他の男たちとともに去っていった。
「行ったか」
地下部屋からイルアーナが顔を出す。
「はい。ズールの村からも徴兵されてるみたいで……やっぱりカザラスが攻めてくるんですかね」
「だろうな。そうなると難しいのは我々がどう動くかだが……」
イルアーナは形の良い眉をひそめた。しかし現実の状況はイルアーナが思っているよりもさらに複雑であった……
黒き森のあるガーディナ州の州都カナン。カナン城の領主執務室にはガーディナ軍の主だった面々と一人の商人風の男が集まっていた。領主の椅子に座っているのはカナン領主マイズ侯爵……ではない。副官であったはずのカークスがマイズの椅子に座り、狼狽える他の騎士たちを見据えていた。
「つ、つまり……離反ということですか?」
騎士の一人が他の騎士としきりに目配せしながら口を開いた。
「そうだ。我々の立場はカザラス皇帝陛下のご子息、ラーゲンハルト様が保証してくださる。戦場での働き如何ではそれ以上の地位もくださるそうだ」
カークスはその騎士の目を見据えて言う。
「はい。カザラス帝国の目的は大陸を統一し平和な世界を築くこと。無用な殺しや略奪は望んでおりません。皆様もお国を愛されているのであれば、無用な血が流れるようなことは望まれないでしょう?」
商人風の男が流れるようにしゃべる。その正体はもちろんラーゲンハルトから送り込まれたカザラス帝国の間者である。
「この国の貴族たちは自分たちの地位を維持することしか頭にない。先の戦で武功を上げた英雄アデルを暗殺したのもそのため。実際にマイズとともにアデルたちを殺害したお前たちもよくわかっているだろう?」
からかうようにカークスが言うと騎士たちは目をそらした。マイズとともにアデルの隊を殺害したのは彼らだ。カークスはカナンの留守を預かっていたためその場にはいなかった。
「皆さまは命令され、致し方なく手を貸されたのでしょう。ですが、アデルのようにこの国のために命を尽くそうとも報われぬことは良くお分かりになられたはず。果たしてそのような国が皆さまが忠誠を尽くすに値する国なのでしょうか」
騎士たちの中に反論できるものはいなかった。
「兵の命を顧みず、私利私欲と保身にまみれたこの国の貴族たちには名誉も未来もない。これからは栄光あるカザラス帝国の一員として、己の尊厳と民の命を守ろうではないか」
「……承知しました」
カークスの言葉に騎士の一人が頷くと、他の騎士たちも同意の意を示した。カークスはその光景にほくそ笑む。
「ところで英雄アデルが死んだというのは間違いないのですか?」
間者が騎士たちに尋ねた。
「ああ。死体こそ見つかっていないが、あれだけ深く斬られて生きているわけがない。恐らく生き延びたアデルの部下が死体だけでもと運び出したのだ」
騎士の一人が答える。他の騎士たちもうなずいていた。
「なるほど……それを聞いて安心いたしました。アデルは我が国にとって脅威でしたからな」
間者が安堵のため息をつく。
「そう、マイズは相手にとって一番の脅威であるアデルを殺しておきながら、国は裏切れぬとそちらの申し出を断り続けた。本当にそう思っているなら話も聞かずに間者殿の首を斬ればいいものを。あいつは優柔不断と保身の塊だ」
カークスの言葉に何名かの騎士が笑う。マイズはあまり部下の忠誠は得られていなかったようだ。
「カークス様がご決断くださったおかげで、他の皆様との話し合いもスムーズに進んでおります。我らが勝利は間違いないでしょう」
「カザラス帝国は実力主義と聞く。ヴィーケンでは平民出身の我々は騎士爵止まりだ。勝利の暁にはぜひ我々の功績を評価して欲しい」
「かしこまりました」
カークスと間者の話に他の騎士たちが目を輝かせる。下級貴族や貴族の子弟は主に王都で騎士として詰めており、カークスやここにいる騎士たちは平民から取り立てられた者たちだ。そのことに恩もあったが、それ以上に危険な任務や雑用を押し付けられ不満が溜まっていた。
こうしてヴィーケン国内を激震させる知らせが各所に届くことになるのであった。
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