黒き森
さらに二日間ほど歩き、アデルたちはついに黒き森へ到達した。いま彼らがいるのは黒き森の北東部だ。
アデルの家は南部、州都カナン側にある。まずはイルアーナの案内で黒き森へ向かい、イルアーナの父親である族長に面会することになっていた。
イルアーナの話によると、彼らはいま人間との友好派と敵対派に分かれているそうだ。一族としてどうするかが決まるまで、人間に大きな影響を与える行為は禁じられている。
イルアーナは今回、ダークエルフとの友好を望む人間の代表として、アデルを族長と引き合わせようとしていた。もちろんアデルとしてはそんな大役は務まらないと断りたいところなのだが、長らく敵対派が優勢で、友好派がそろそろ進展を見せなければ人間との敵対が決まってしまう瀬戸際にあるらしい。
「うう、緊張する……」
ダークエルフの里に向かうと聞いてアデルは震えた。しかも人間とダークエルフとの関係を決める大役を負ってだ。
「いい加減、覚悟を決めろ。さもないと、人間を我らの里に案内することなどできん」
ここはもう人間が来る場所ではない。イルアーナは顔の包帯を解いていた。
「わかってますよ。大丈夫です。もう決めましたから」
「……本当にいいのか? お前に国を造って欲しいというのはあくまでもこちらの希望だ。引き返すのなら今だぞ」
少し心配げにイルアーナが念押しする。
「……やります。人間のためでもありますから」
「すまんな、巻き込んでしまって……」
「イルアーナさんも協力してくれるんですよね?」
「もちろんだ」
「それならきっと出来ますよ。一緒に頑張りましょう」
「……ありがとう」
イルアーナは微笑んだ。その笑顔は本当に美しかった。
(……イルアーナさんともっと一緒に居たいしなぁ……)
黒き森の中は意外と明るい。豊富な森の生き物たちが適度に苗木を食べるため、よく日光が差し込み状態の良い森が作られる。そうして暗き森はその巨大な版図をさらに広げているのだ。広さだけでなく、森の奥へ行けば行くほど、木も大きくなっていった。
「こんな大きい木、見たことない……」
アデルは自分が今まで進んだこともないほど奥まで来ていることを実感した。
「ダークエルフの里はあとどれくらいなんですか?」
「何を言っている? まだ二日ほどかかるぞ」
「そ、そんなに!?」
アデルは改めて森の広さを実感した。その時……
「ちょっと待って」
「どうした?」
アデルに制止されイルアーナは立ち止まる。アデルは黙って辺りを見回していた。
「何か……来ます」
イルアーナも静かに辺りの気配を窺う。
「あそこ……赤い模様……キラービーかも」
アデルが指し示す方向をイルアーナも見るが、何も見つからない。イルアーナも視力は並の人間の数倍あるはずだが、アデルはそれよりも優れているようだ。
(盗賊を察知した時と言い、アデルの索敵能力はすごいな……)
イルアーナはアデルの能力に舌を巻いた。
「迂回しましょう」
「いや、時間の無駄だ。突っ切るぞ」
「えっ!? 僕、ダガーしか持ってないんですけど……」
「蜂如き、私が簡単に蹴散らせる」
「そ、そうですか……」
進みだすイルアーナの後をついていくアデル。しばらくすると仲間が仲間を呼び、辺りはキラービーの耳障りな羽音で包まれた。
「ち、ちょっと多すぎないですか!?」
アデルは辺りがうるさいので大声でイルアーナに言った。
「大丈夫、好都合だ。そこの大きい木の裏に隠れていろ」
言われたとおりにアデルが木の裏に隠れると、イルアーナは右手を持ち上げ、顔の前で印を結ぶ。
「風よ、巻き踊れ! シルフィーロンド!」
イルアーナが呪文を唱えると、突風が辺りを吹き荒れた。あまりの風の強さに、舞い上がる木の葉に触れるだけで体が切り裂かれそうだ。キラービーは風で木の幹に叩きつけられたり、茂みや木の枝に突っ込んでその体をバラバラに引き裂かれた。
(これは……昔見たダークエルフの少女が使ってたのと同じ魔法か?)
威力は段違いだが、アデルが昔見た魔法とよく似ていた。
「終わったぞ」
暴力的な風を叩きつけられたキラービーは全滅していた。
「イルアーナさん……」
「どうした。我が魔法に驚いたか?」
不敵な笑みを浮かべるイルアーナに、神妙な面持ちでアデルは言葉をつづけた。
「その魔法、実は昔見たことがあるんです」
「何?」
イルアーナは驚いたようだった。
「子供の頃、僕は森でダークエルフの少女と出会いました。彼女が同じようにキラービーに襲われていた時、その魔法を使ったんです」
「そうか……覚えていたか……」
「はい。つまり……」
アデルは確信を持って言った。
「その魔法、ダークエルフ族の中で流行ってるんですね?」
「このたわけが!」
アデルは理由もわからずイルアーナに頭をはたかれた。
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