それは優しい心のすれ違い
ごめんなさいと言う彼女に、僕は溢れる気持ちを抑えながら、聞く。
「僕のどこがダメなのかな?」
卑怯な問いだとは理解しているけれど、そう聞かずにはいられない。諦める理由がほしい。彼女の口から出る言葉で、僕のこの思いを消し潰してほしいんだ。ただ『好きじゃない』だけじゃ忘れられない気持ちだから、震える心を奮い立たせてやっと言えた言葉だったから、君が同じ苦しみを感じることを求めてしまうのかな。エゴだってことはわかっているけれど、そうしないとこの先、まともに生きていける自信がないから。だから聞かせてくれ、言ってくれ。さあ早く。
僕を、楽にしてほしい。
でも彼女は何も言わない。ただ、じっと僕を見つめてくる。
「言ってくれないか? 言ってくれるなら、僕もすっぱり諦められる。たった一つだけの我侭を聞いてほしい。君の気持ちが知りたいんだ」
僕は自分の自分勝手な思いを、できるだけ彼女が傷つかないように言葉を選んで伝える。
「私は……」
彼女がやっと口を開いた。少し逡巡するように視線を揺れる。そして、僕の目をしっかりと見据えてから、続けて言った。
「私も、あなたが好きだよ?」
僕は耳を疑った。彼女が今、僕に向かって、間違いなく好きと言ったのだ。それに僕は内心歓喜する。わかっている、その言葉には続きがある。でも、好きと言う言葉が聞けた、それだけでこの先続く言葉も受け入れられる気がするから、だから。
僕は彼女の次の言葉を待つ。少し言葉を切っただけのこの時間が、僕にはとても長く感じられたのは言うまでもない。
「付き合えない理由は……。あなたが……、あなたが親切だから」
そう言ったきり、彼女は黙って俯いていまった。
親切だからダメとは、どういう意味なのだろうか? 僕は、彼女の言葉の意味を理解しかねて、彼女に問いかける。
「もしかして、僕は知らないうちに何か余計なことをして、君を傷つけてしまったのかな?」
僕がそう言うと、彼女は俯いたまま首を横に振った。そして、とても苦しそうな顔をして僕を見る。
「そうじゃない。私は、あなたの言葉や行動に何回も救われてきたし、それをとても感謝しているつもり」
「だったらどうして――!」
気づけば僕は、耐えられなくなって叫ぶように声をあげていた。そんな僕を、驚いた顔をして彼女が見つめてくる。彼女に対して声を荒げるなんて初めてではないだろうか。
感情的になり過ぎてしまった自分を反省し、気持ちを落ち着かせて、続ける。
「どうして、付き合うことがっできないのか、教えてほしい。気休めとか、下手な思いやりなんていらない。それは、お互いを傷つけるだけだよ。はっきりと、言ってほしい。君とはそれができる仲だと、僕は思っているよ」
僕がそう言うと、君は小さく微笑んだ。少し眉をひそめるようにして、苦しそうに悲しそうに。彼女が、自分がつらいのを人に見せまいとするときの癖だ。
隠してるつもりなんだろうけど、いつも全然隠せてなんてないんだよ。
決心したように、彼女は話出す。
「私はね、人に気を使われるのが苦手なの。あなたはいつも細かいところに気が行き届いて、誰にでも優しい、自分より周りを優先できる、とってもいい人。だから、付き合えない」
僕は目の前が真っ暗になった。なんだ、これならまだ『友達としか思えない』とか言われてたほうが、何百倍もマシだったじゃないか。これでは、僕は彼女に何もすることができない。誰か他の人が好きだからと諦めることも、友達として接するよう気持ちを殺すことも、これから他人となるべく避けることも、すべて『彼女に気をまわす』という行為以外の何ものでもないじゃないか。
ましてや、好きになってもらうために努力することなんて!
僕の絶望に気づいているのかいないのか、彼女は僕にとっての死刑宣告を読み上げ続ける。
「私は今まで親に、一度も褒められたことがなかった。いつもいつも叱られ怒鳴られ、何か褒められるようなことをしても『それは当然のこと』みたいに流されて。そうやって生きてきた。あなた以外にまともな友達もいなかったし、誰も褒めてくれない、そんな毎日を当然みたいに思ってた」
彼女は昔を思い出し、心の痛みを包むように胸に手をやった。
いつもなら僕はここで、彼女を慰めるような言葉を言うところなのだろう。しかし、今の僕には彼女に言葉をかけることができない。かけるられる言葉が、僕にはない。
彼女は続ける。
「そんな日々に私は慣れてしまった。むしろ、慣れなければ生きてゆくことができなかったのかもしれない。今の私は、人に叱咤されながら生きていくほうが楽なの。叱られ怒鳴られ、暴力もあってもいい。私は、そういう人間なの」
彼女はそう言って、僕の頬に触れた。
「あなたは、優し過ぎるから」
彼女の手が、僕の頬をやんわりと撫でる。その手は僕の頬よりも冷たくって、僕の顔の温度を少しづつ吸収していく。
「バカなやつだって笑ってちょうだい」
そう言って彼女はまた、小さく微笑んだ。




