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吸血少女と人殺し  作者: 伝々録々
第一章 贖罪は哀切を伴い
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少女、あるいは怪物03


 両脇にずらりと古びた倉庫が並んだ狭い路地を、悠也は駆ける。肺が悲鳴を上げ、口の中は粘つき、全身には滴るほどの汗を掻いていたが、立ち止まることはない。


 当然だ。ゴーストの入った『蜘蛛』が背後から追いかけてくるのだから。

 しかもその数、六体。細い道を縦に並んで進行してくる。


 ――魔術で統率されているからか、『蜘蛛』の動きには一定のパターンがある。


 潤は悠也にそう説明した。

 まず、一度狙った標的をひたすらに追い続けること。これは目撃者を逃がさないためだろう。移動速度は人の走る速さと同程度。全力疾走なら逃げられないほどではないが、生の肉体でないが故に疲れを知らないのが恐ろしい。

 加えて、『蜘蛛』同士で情報が共有されているのか、一体が同じ対象を追い続ける場合は近隣の他の『蜘蛛』がそれに加勢する。つまり逃げれば逃げるほど数が増えていく。

 この二つの性質から、ただ逃げるだけではやがて捕まるのは避けられない。


 だが、攻略法はある。


「――ッ、こっちだ!」


 疲弊した自分を鼓舞する意味も込めて挑発的に叫び、倉庫によって区切られた十字路を右に曲がった。さらに少し走ってまた右折し、倉庫の周囲をぐるりと回るように進行方向を変える。

 追いかけてくる『蜘蛛』も当然悠也を追ってくるが、ここで悠也との距離が少し開いた。


『蜘蛛』の構造は巨大な樽に八つの脚と頭が付いたようなものだ。中身は空洞だが総重量は約一〇〇キログラム。加えて路上との設置面積は僅か。急な方向転換は慣性が邪魔をする。


 よって、追い付かれる寸前に別の道に入れば距離を稼ぐことができる。


 あとの問題はタイミング。曲がるのが速すぎるとこの方法は機能しなくなる。

 悠也は一瞬だけ後方に目をやり、背後の『蜘蛛』たちとの距離を確認する。


 ――鉄杭のリーチは十五メートル程度。つまりそれが保つべき最低限の距離だ。


 潤はそう言っていた。

『蜘蛛』は原則として鉄杭を使用しない。人が死ねば心と魂は自然消滅してしまうため、心の収集を目的とする『蜘蛛』は対象を殺さず、その巨体でのしかかることで捕らえ、心を吸い出してから殺すのだ。


 しかし相手が優先して殺すべき対象である場合、事情が変わる。それは黒幕の動きを妨害しようとする潤と彩夜、そして捕まることなく逃げ続ける目撃者――つまり今の悠也である。


 タイミングを慎重に見極め、並んだ倉庫の切れ間へほぼ直角の軌道で飛び込む。

 ほぼ同時、背後で鎖の音がした。


「よし……っ!」


 鉄杭の射出ギリギリのタイミングで曲がることができたようだ。

 一度鉄杭を射出した『蜘蛛』は動きを止め、鎖を引いて鉄杭を頭部に収納する。しかもその一体が邪魔になって、後続の『蜘蛛』も停止せざるを得ない。『蜘蛛』が機械的にしか動かないため、回り道される心配もない。六体もいながら縦列して悠也を追い回していたのがその証拠だ。


 悠也はほんの少しだけ走る速度を落とし、呼吸を整えながら角を曲がる。

 瞬間、曲がった先に七体目の『蜘蛛』がいた。


「……っ、!」

 慌てて方向を変える。疲弊しきってふらつく体を必死に動かし、逃げる。

 

 その一連の様子を、やや離れた鉄塔の頂上に立つ少女――紅野彩夜が見ていた。


 流れる風がクセの付いたブラウンの長髪を揺らす。

 口元の微笑は、必死に頑張る悠也を見ていて自然と浮かんだものだ。


 そう。すべては作戦。悠也は餌としての役割を存分に果たしてくれた。


 潤は黒幕が悠也を狙うと予測した。なら悠也をあえて単独で行動させ、かつ『蜘蛛』の行動パターンを把握した状態で逃げ回らせることで、周辺の『蜘蛛』を悠也の元に集められる。


 あとはまとめて撃破するだけだ。


 彩夜は膝を屈め、同時に体を前に倒した。レディースサンダルを履いた両足で、鉄塔を垂直に蹴る。明らかに人間離れした脚力が、さながら弾丸の如く一直線の軌道で彩夜を運ぶ。その勢いのまま、悠也を襲う七体目の『蜘蛛』へ左の掌底を叩きつけた。


『蜘蛛』が砕ける。辺りに破片を撒き散らし、中から剥き出しのゴーストが飛び出す。


 彩夜は右手首のスナップで折り畳みナイフの刃を出現させる。瞬時に一閃。飛び出したゴーストは裂かれ、赤い粒子となって虚空に溶ける。


 まだ終わらない。


 その頃には悠也を追っていた六体の縦列した『蜘蛛』が迫ってきていた。

 彩夜が駆ける。次々跳び来る鉄杭を避け、鎖の間をかいくぐり、あっという間に『蜘蛛』へと到達。踊るように鮮やかかつ力強い動きで、六体の『蜘蛛』を頭から腹まで、その手首を樽上の腹部にめり込ませるようにしながら、内部のゴーストごと豪快に切り伏せた。


 すべての『蜘蛛』は赤い粒子となって消える。その中心に立つ彩夜の姿が、悠也にはどこか幻想的に見えた。


 振り返ると同時笑顔を向けて、

「お疲れ様。ここまで粘るとは思わなかった」

「……遅い。……へとへとだ、こっちは」


 その場にへたり込み、ぜえぜえと息をしながら、悠也はそう返した。元々悠也は特別長距離走が得意というわけではなく、持久力は人並み。ここまでの無理をしたのは久しぶりだ。


 それでも、悪い気分ではなかった。


「おかげで一気に七体も処理できた。ありがとね」

 彩夜は悠也に手を差し出す。

「立てる? 止まってるより歩いた方がいいよ」

「……なんとか」

 悠也は彩夜の手を取って立ち上がる。

「飲み物でも買いに行こっか」

「……そうだな。スポーツドリンクが飲みたいところだ」

 歩き出す。軌道を確保するため顔を上に向けると、薄雲の向こうに滲んだ月が見えた。形ははっきりしないが、薄雲が月光を反射するこんな夜空も悪くないと悠也は思った。


    ◇


「それでは改めて……はっぴーばーすでー!」

 幸姫の掛け声に合わせて、カフェ・Vivre店内の一角にクラッカーの音が響いた。

 普通なら営業妨害もいいところだが、今回ばかりは特別だ。


 何せ、ほかならぬ店長がクラッカーを鳴らしたうちの一人なのである。


「残念だったな、あの二人が来なくて。だがまあ今日は貸し切りだ。存分に楽しんでいってくれや」

 強面にして屈強な肉体の大男――店長の熊井彰隆(くまいあきたか)はざらついた声でそう言った。


 実はこのカフェ・Vivreにおいて、幸姫は数少ない常連客である。初めて訪れたのは潤に連れてこられた小学生のときで、以後も潤と一緒に通い続けている。最近ではそこに悠也も加わった。最初は怖かったこの店長とも、今ではすっかり顔なじみだ。

 具体的には、月乃の誕生会をしたいという幸姫の希望を二つ返事で承諾した上、一緒にお祝いしてくれるくらいの仲である。


 そしてもう一人。


「今日も、の間違いじゃないですか店長。私がここのバイト初めてから二週間以上になりますけど、お客さんたぶん一〇人も来ていませんよ」

 そう指摘したのは名守幹恵(なもりみきえ)。店の制服替わりの黒いエプロンと艶やかな黒の長髪が印象的なとびきりの美人である。年は二十と少し。彼女もまた月乃の誕生日を祝ってくれることになった一人だ。


「細けえこと気にすんじゃねえ。時給減らすぞ」

「ふふ、すみません」

「ったく……」

 熊井は小さく舌打ちしてから、

「待ってろ、今ケーキ持ってくる」

 そう言って席を離れた。続けて名守も「手伝います」と言って熊井に着いていく。


「ごめんね月乃、なんだかぐだぐだになっちゃって。あいつらは後でちゃんと叱っておくから」

「気にしてませんよ。何か事情があったんでしょう」

「……まったく、何が『約束は守るやつだから』よ。思いっきり破ってるじゃない、しかも悠也まで」

 むくれる幸姫を見て、月乃はくすりと笑った。

「なるほど、気にしてるのは私じゃなくて幸姫でしたか」

「なっ……」

「いつも一緒の二人が来てくれなくて寂しいんですよね、わかります。……逆ハーレム?」

「悪意ある言い方やめてくれる!? 私は遊びに誘ってるのに月乃が来てくれないだけじゃない、それ」

「私は何かと忙しいので」

 澄ました顔でコーヒーを啜る月乃。

 だが幸姫は知っている。この生真面目風クラス委員の予定がほぼ毎日ゲームセンター通いで埋まっていることを。


 と、そこへ店長の手伝いに行っていた名守が戻ってきた。

「ふふ。楽しそうですね、二人とも。――これ、店長からのサービスだそうです」

 言いながら、名守は二つのスイーツタルトをテーブルに置いた。

「うわ、美味しそう……」

 感嘆の声を漏らしたのは月乃だ。

 幸姫も初めて見たときは同じような感想を漏らしていたかもしれない。ここの強面店長が作るスイーツはどれもこれも絶品な上、見た目も非常に良くできているのだ。人は見かけによらないものである。


「それで、二人は何の話で盛り上がっていたんですか?」

 名守は月乃の隣に腰かけてから言った。

「幸姫の逆ハーレムについて」

「まだ言うか……! 今日来なかった二人への不満を言っていただけです」

「二人……気になっていたんですけど、もしかしてそれって幸姫ちゃんたちの気になる男の子だったり」

「違います!」

 すぐ否定したのは幸姫だけだった。今の聞き方だと月乃も含まれていたはずなのだが、まるで動じていない。それどころか、

「その聞き方、名守さんはあの二人とは面識がないんですか?」

 と、逆に質問しているくらいである。

 否定すると返って本当っぽいという月乃の言葉を思い出し、幸姫はますます頬を赤くした。

「……悠也とは会ってるはず。この前私と来たから」

 聞かれたのは名守だというのに、そう答えてしまう幸姫であった。恥ずかしくてじっと黙っていられなかったのである。


 そんな幸姫を微笑ましげに見ながら名守は言う。

「ついこの前一人でも来ましたよ。さほど近しい距離でないクラスメイトへの誕生日プレゼントには何が最適かと神妙な顔で相談されて驚きましたが、納得しました。こういうことだったんですね」


 月乃は渋面を作った。

「び、微妙な表現すぎる……これ、私は傷ついて良いところなのでは?」

「いやいやいや、そんなことないって。悪気はないの、悠也はそういうとこデリケートだから。私だって最初は壁を感じてたくらいだし」

「ええ。真剣にプレゼントを考えるくらいですから、むしろ好感度は高い方かと」

「……そうでしょうか。黒宮くんって真面目そうですし、誰に対してもそうするのでは?」

「……まあ、それはその通りな気がするけど」


 まずい。思わぬところで誕生会の主役にダメージが入っている。

 幸姫は慌てて話題を変えることにした。


「そ、そうだ。名守さんって確か結婚してるんですよね?」

「ええ。それがどうかしましたか?」

「憧れちゃうなぁ、なんて。良かったら旦那さんのお話……聞かせてもらえませんか?」


 幸姫自身どうかと思うほど露骨な話題転換だったが、名守は快諾してくれた。

 そこからが嬉しい誤算。名守の語り方が上手かったのか、会話が大盛り上がりしたのである。以前から名守の話を聞いてみたいと思っていた幸姫だけでなく、月乃も名守の話に大いに興味を持ったのだ。女三人寄れば姦しいとはよく言ったものである。


 そのまま話し続けることしばらく。

 ただ一人、強面の独身中年男性熊井彰隆店長が店の奥で気まずい思いをしていたことに気づく者は、誰もいなかった。



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