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epilogue.1 -Salvation-


「これを使って私は、この世界を救済するわ」


 さらりと、なんでもないことのように。

 だけれど、はっきりとした意思を感じさせる声でホワイトは言った。

「おかしいと思ったことはない? 世界中の情報がリアルタイムで得られるこの時代に、未だ隠蔽されている魔術の異様なまでの秘匿性を。それを成り立たせるためだけに、これだけ成熟した現代社会の裏で、尚も殺人を許容して成り立っている魔術師社会の歪さを」


 沈黙を守る悠也の指先が微かに動くのを彩夜は見た。


「当たり前のように人を殺して、殺されて、それで守られている平穏に何の意味があるというの。そんなのは圧政と変わらない。淘汰されるべきなの、本来は」

 でも、とホワイトは言う。

「現実はそうならない。だって多くの魔術師にとって、機関は自分たちの平穏を守ってくれる存在だから。不満を抱くのは善からぬ企てをする下種ばかりで、悲劇に見舞われるのは遠いどこかにいる他人。機関を打倒する理由なんてあるわけがないのよ。でもそれはおかしなことじゃなくて、とても普通で、当たり前な考え。なら、おかしかったのは何なのか。何がいけなかったのか。……答えは単純明快だった」

 ホワイトが何を言おうとしているか、もう聞くまでもなく予想できた。




「魔術なんかがあるから、世界はこんなにも歪んでしまっているのよ」




 淡々と、けれど隠しきれない感情の滲んだ声が続く。

「そもそも異世界の力を用いる技術がこの世界に存在しているのがおかしい。この世界のどんな最新技術を使っても異世界を観測することすらできはしないのに、その力を使うことができるなんて。歪みの根本はそこにある。私はそれを正さなくてはならない」

「この世界から……魔術を消し去るつもりなのか」

「それだけではないわ。私が消し去るのは、この世界に魔術が生まれたという事実そのもの。魔術の歴史のすべてをなかったことにする」


 彩夜は息を呑む。おそらくは悠也も。

 歴史のすべてをなかったことにする。そのことの壮大さに。


「あなたも経験はあるでしょう。魔術のせいで不幸に陥った人、人生を滅茶苦茶に歪められた人、尊い命を無残に散らせた人を、その目で見てきたはずでしょう。なら、私の考えは理解できるはず」

「……」

「私はそのすべてを救うわ。この世界に魔術が生まれたことで起きたありとあらゆる悲劇をなかったことにする。そのために、世界そのものと繋がれるあなたが必要なの。この世界を変えるための端末として」

「……本当にそんなことが可能なのか」

「証拠を見せましょうか」


 ホワイトが言った瞬間だった。彼女を中心に淡い光が広がったかと思うと、室内の様子が一変していた。無残に破壊されていたいくつもの端末がすべて綺麗に修復され、無機質な起動音を鳴らし、ランプを点灯させていく。

 何が起きたのかわからずにいる彩夜の傍で、悠也が驚愕を隠さずに言う。




「まさかお前の魔術は、時間の遡行か……?」




 ホワイトは微笑を以って肯定した。

「残念ながらこの力だけでは歴史をやり直すなんて大掛かりなことはできない。でも世界そのものであるあなたを介することで、私の力はこの世界そのものに作用する。間違った歴史をやり直すことができるかもしれないの」

「……過去に生じた魔術の芽を摘んでしまえば魔術師の社会が発展することもない、か」

「そう。魔術なんかのために起きてしまったあらゆる悲劇が、なかったことになるの」


 ほんの一瞬、考えるような間を置いて、

「机上の空論だな」

 悠也は冷たく言い放つ。

「それだけ時を戻すのにどれだけの魔力がいる? 現実的じゃない」

「だとしても成し遂げる価値はある。それにこれはあなた自身にもメリットのある取引よ」

「俺自身に?」

 不信そうに尋ねる悠也にホワイトはさらりと返す。




「もう長くないあなたの命、私なら救えるわ」




 その内容があまりに唐突すぎて、彩夜は動揺せずにはいられなかった。

 悠也の命が長くないとはどういうことか。そういえば昨夜霧崎が悠也の身を案じるようなことを言っていたが、それと関わりがあるのだろうか。

 理解が追いつく前に二人の会話は進んでいく。

「……時間を戻すつもりか。だがそれでは」

「この交渉の記憶も消えると言いたいのでしょう。わかってるわ。わざわざカードを一枚無駄に切るような真似はしない。そのためにここへ来たのだもの」

 ホワイトは魔術によって修復された端末のキーボードを操作しながら言う。

「この神代家の遺産と術式を使うのよ。あなたは今、自分の魔術のせいで世界に溶けて消えようとしている自分自身を、その魔術を使って繋ぎ止めることで存在を維持している。いわば自分自身との一体化ね。でもそれも長くは持たない。いずれ崩壊の速度が一体化の速度を上回り、存在を保てなくなる」

「ああ。だがこの遺産で手を加えられるのは魂だけだ。肉体の崩壊は止められない」

「これがただの神代家の遺産ならね」

「どういう意味だ」




「ここにあるのは『遺産』だけじゃない。『遺産』を組み込んで特別に用意された魔術式なの。黒宮悠也と世界を完全に切り離し、同時に世界に繋ぎ止めるためにね」




「切り離し、繋ぎ止める……だと。それでは」

「ええ、元々は〈切断の魔術師〉があなたを救うために用意していた魔術式よ。魔術を行使する前に道具の形に落とし込む彼女のやり方のおかげで、私にも流用は難しくなかった」

 呆然とする悠也をちらりと一瞥し、ホワイトは端末の操作に戻る。

「知らなかったのね。まあ自分を救うための術式と知ればあなたは動かなかったかもしれないから、〈切断の魔術師〉の考えは理解するけど」


 その言い回しは昨夜の霧崎に似ていて、彩夜にも納得できるところがあった。黒宮悠也は自分がより辛い選択をする自罰的な人間である。それはなんとなくわかってきていた。


「切断と連結を組み合わせた術式なら、遺産が担う役割はなんだ」

「魂を加工してあなたと世界を繋ぐ鎖にするのよ。切り離したあなたと世界をそのまま繋げただけでは元に戻ってしまうから、二つを切り離したまま繋ぐための鎖を用意しなければならないというわけ。当然物理的に繋ぐのでは駄目よ。あなたと世界、二つの概念を繋ぐ『形のない鎖』が必要になる。だから、魂を加工してそれを作るの」


 そのための『神代家の遺産』。

 人の魂を加工する技術。


「誰の魂を使うつもりだ」

「そんな怖い顔しないの。あなたの大事な子に手を出したりはしないわ。それでは意味がないもの」

「……どういうことだ」

「私の魂を加工するのよ。私があなたと世界を繋ぐ鎖になるの」

 平然と、何を恐れるでもなくホワイトは言う。

「魂を加工されたからって人格が消えるわけじゃない。そんな極悪非道なやり方であなたを救おうだなんて、あの二人が考えるはずがないでしょう? 加工された魂は、ただあなたが生きるのに必要になるだけ。それって、とても便利だと思わない?」

「俺に首輪をつけるつもりか」

「そういうことになるのかしら」

「見通しが甘いな。俺が我が身大事で敵を見逃すとでも?」

「敵ならね。でも、あなたに私の目的を否定する理由はないでしょう?」


 その通りかもしれない、と彩夜は思った。

 悠也は魔術師の世界を快く思っていない。魔術師としての道を選んだ自分の決断を後悔していないとは言ったけれど、彩夜が魔術の世界に関わるのには反対した。もしも魔術をこの世界から消せるのなら、そうして起きるすべての悲劇をなかったことにできるなら、悠也はそうするような気がした。

 だが。


「それは勘違いだ」

 悠也は静かにそう言った。

「その提案には乗れない。俺の命に、救われるほどの価値はない」

「……本気で言っているのかしら」

 流石のホワイトもこれには動揺を見せた。端末の操作をやめて悠也に向き直る。

「あなたを救うのはあくまでついでよ。魔術のせいで不幸になった大勢の人を救うために必要だから、道具として生かしてあげるだけ。それでも駄目なの?」

「ああ。お前の方法じゃ、今ある魔術師の社会で頑張っている人が報われない」

「そんなの、しなくていい苦労をしているだけじゃない」

「でも、楽しいこともあったはずだ。結末が悲劇だったとしても、それまでなかったことにする権利は俺にはない。幸せだった過去を大切に抱きながら生きている人だっているはずなんだ。悲劇なんてない方がいい。でも、歴史の改変はやりすぎだ」

「その悲劇が自分のせいだとしても? あなたのせいで死んだ人に、あなたによって殺された人に、同じことを言える?」

「ああ。言える」

「そう。……残念だわ。あまりこの手は使いたくなかったけれど」


 その言葉が合図だった。

 突如として暗闇の中に現れた人影が彩夜を拘束し、そのこめかみに拳銃の銃口を突きつける。流石の悠也も反応できないほどの早業。明らかに手慣れた動きだった。


 ホワイトは悠也に冷たく言い放つ。

「断るとは言わせないわ」

「……そういう使い方もあるのか。本当に厄介な魔術だ」

 悠也の言葉で、彩夜は自分を拘束する人物の正体に気がついた。さっきまで足元で死んでいた女だ。頭蓋を貫かれてたしかに死んでいたはずの女が時間回帰の魔術で生き返りホワイトに味方した。おそらく、すべて事前に打ち合わせてあったのだ。


「……私を連れてきた本当の理由はこれですか」

 彩夜はホワイトを睨みつけた。

「私、あなたはいい人だと思ったんです。友達思いで、真剣で、身勝手なようでそうでもなくて、それなのに……」

「騙そうとしたわけではないのよ。あなたは黒宮悠也と一緒にいたけど、魔術を知っているかどうかまではわからなかった。そんな段階で魔術の話をするわけにはいかなかった」

「でも、人質にするために連れてきたんですよね」

「……そうね。それは否定しないわ」

「っ……どうして!」

「質問の意図を明確にしてくれるかしら。『どうして』だけではわからないわ」

 そんなことを言われても、彩夜自身何が聞きたいのかわからなかった。ただ騙されていたことへのどうしようもない感情だけがこみ上げてきて止まらなかった。


 そんなときだった。

 突然入り口のドアが開いたかと思うと、彩夜は何者かに押し倒され、次の瞬間圧迫感のある重い破裂音が怒涛の勢いで室内に響いた。「――ッ!」誰かが叫んだけれどそれも破裂音にかき消されて聞こえない。怖くて目を瞑った。音は絶え間なく続く。何が起きているかもわからない彩夜の全身を叩き続ける。


 音が止んだのは耳が麻痺してしばらくが経過した頃。

 ゆっくりと目を開けた彩夜は自分に覆い被さった肉塊に気づく。


「え……?」

 長い髪。さっきまで彩夜を拘束していたあの女に似ている。ただしその身体はぐったりと脱力していて、内側から吹き出した大量の血液で汚れていて、その血液は彩夜の身体にも流れてきている。

 困惑する。これではまるで、人質を取るような卑劣な女が彩夜を庇って死んだみたいだ。

「作戦目標を発見。拘束します」

 男の声に顔を上げると、ぞろぞろと室内に入ってくるスーツの男たち。


 ――悠也はどうなった?

 彩夜がそれに思い至ったと同時、スーツの男たちがばたばたと倒れる。


 その中心に立つのは一人の青年。

 髪は銀色、瞳は紅。


「悠也……?」

「彩夜……無事だったか」

 抑揚の小さい口調は言い知れぬ不気味さを感じさせる。

 その姿は何か。そう尋ねようとしたときだった。


「退きなさい!」


 そう叫びながら、ホワイトが悠也の脇を通って彩夜の方に駆けてきた。いや正確には彩夜ではなく、彩夜に覆い被さって死んだ女の元へと。そのあまりの迫力に彩夜は考える間もなく飛び退き、ホワイトは残された女の死体に触れる。

「どうしてこんな馬鹿なことを……っ」

 ホワイトの目には涙が浮かんでいた。さっきまでの冷めた態度が嘘みたいに感情がダダ漏れになっていて、彩夜はその様子を息を呑んで見守った。

 しばらくして女の様子に変化が訪れる。すべての傷が消え去り、息を吹き返す。

「……ホワイトさん?」

「ええそうよ。……よかった。ほんと、馬鹿なことをして。私の魔術だって万能じゃないのよ」

「すみません。でも私たちのせいで罪のない子供が死んでしまうなんて、駄目じゃないですか」

「……ばか」

 涙を隠さないホワイトとそれを見て微笑む女。


 そしてそこへ、感情のない声がかけられる。

「お前の魔術は万能じゃない、か。確かにそのようだな」

「……黒宮悠也」

 ホワイトが警戒心を顕に悠也を睨む。

「お前にとってもイレギュラーだったんだろうが、一度は平気な顔でこの部屋ごと生き返らせたその女の死で取り乱したのは明確なミスだ。時間回帰に限界があるのが丸わかり。その上、まさか自分の口からそれを白状するとはな」

「……だから何」

「お前の魔術は消耗が極端に激しいタイプだ。それを派手に使いすぎた。既に一人を救うことすら困難な状態なんだろう?」

「……」

 黙り込むホワイト。代わりに口を挟んだのは彩夜だった。


「ま、待ってください黒宮さん。使いすぎたって言いますけど、時間が戻ったのはこの部屋に入ってからの一度目と今を合わせて二回だけでしょう。それでもう使えなくなるなんて……」

「それだけじゃない。そいつはこの二日間で少なくとも丸一日近くの時間を戻している」

 悠也は冷静な口調で言う。

「考えてもみろ。昨日君に話しかけたときのそいつはこの場所を知らなかった。知ったのはついさっき、君が入り口をこじ開けたときだ。ならそこの女はどうして一言の示し合わせもなく君を人質に取ることができたんだ」

「あ……そっか。事前に打ち合わせなんてできるわけないんだ」

「そうだ。つまりこいつは今日ここを訪れたあとで昨日の夕方に戻りここへ来て、まだ生きていたその女と作戦を共有し、その後その女を殺した。そして同じような流れで何も知らないフリをしながらお前が入り口を開くのを待った。人質としてお前を連れて来る必要があったからだ。あの交通量で君をすぐに見つけられたのは最初から声をかけるつもりで見張っていたからだろう」


 そういえばホワイトはここに来る前、嘆きの騎士団はもういないと言っていた。

 違和感はあった。あれは一度この場所を知らなければ出てこない言葉だ。


「バレていないつもりだったんだろうが、演技が杜撰すぎたな」

「……」

「どうした。どこか間違っていたか。なら時間を戻してもいいんだぞ」

「……勝ち誇ったつもり、なのかしら」

 悔しさを隠そうともしない顔でホワイトが言った。

「単なる客観的事実だ。安心しろ殺しはしない。そこの男たちと同じように意識を奪うだけだ」

「知ってるわ。相手の魂と一瞬だけ一体化することで、魂と肉体の接続を強制的に遮断し意識を奪う……あなたの十八番よね。でも、それは相手に直接触れて初めて機能するのではなくて?」

「まだ抵抗するつもりか」

「諦めるくらいなら初めからこんなこと企てないわ」


 ホワイトは近くに落ちていた拳銃を拾って立つ。さっき女が彩夜のこめかみに突きつけていたものだ。

「脳天に一発ぶち込めば流石のあなたも一時的に動けなくはなるでしょう。その隙に契約すれば私の勝ちよ」

 背後の女をチラリと見やり、

「辛い役回りを押し付けて悪かったわね」

「いえ……私も世界を変えたいと思いますから」

「そう」

 それだけ話して、ホワイトは悠也に向き直り構えた。


 この一発で勝負は決まる。

 避けることができれば悠也の勝ち。それは普通なら決して簡単なことではないだろうに、彩夜には悠也が負けるとは思えなかった。


 引き金にかけられた指が動く。

 悠也が僅かに首を逸らすと、弾はその頬を掠めて鮮血の軌跡を描く。その間に悠也はホワイトに肉薄すべく動いている。


 だがその動きに吸い付くように、拳銃を手にしたホワイトの左手も動いていた。まるで悠也の行動を事前に知っていたかのよう。否、事実知っていたのだろう。最後の魔力を使ってこの数秒を繰り返し、悠也に照準を合わせたのだ。


 引き金が引かれる。

 撃ち出された弾丸が悠也の肩に孔を開ける。


 だが悠也は止まらなかった。一切動きを鈍らせることなくホワイトに迫り、その首を掴んで床に押し倒した。それだけではない。肩につけられた傷は徐々に塞がる。驚異的な速度で再生して元通りになる。傷など始めからなかったかのように。


「お前の負けだ」

「……そのようね」

 ホワイトの声音は弱々しい。それは悠也に首を掴まれているからというだけではなくて、もう言葉を発するだけの気力も残っていないのだろう。ほとんど限界を迎えていたにも関わらず魔術を使って悠也を倒そうとしたせいで酷く憔悴しているのだ。彩夜は魔術にはまだ詳しくないが、それくらいのことは一連のやりとりを見ていたから想像がついた。


「後悔しても知らないわよ。あなたの大切な人だって、今ならまだ救えるのに」

「言っただろう。結末がどんなに悲しくても、あの時間には意味があったんだ」

「……そう」

 ホワイトはゆっくりと目を伏せた。次の瞬間その身が一瞬だけ痙攣する。さっきホワイトが口にしていた悠也の魔術で意識を奪われたのだろう。


 悠也はホワイトの仲間の女の方を向いて言う。

「いつ騎士団の連中が来るかわからない。こいつを抱えて逃げられるか」

「……ええ。ホワイトさんは軽いですから」

 返事をした女は意識を失ったホワイトを担いで部屋を出ていった。


 彩夜はそれを無言で見送った。どういう感情を抱けばいいのかわからなかった。ホワイトたちの行動はそのやり方はともかく善意から生じたものだろうし、その提案は部外者の彩夜から見ても悠也にとって魅力的なものであったように思うし、ホワイトも仲間の女もいい人っぽくて、だけど彩夜を人質に取るような人たちでもあって、逃したらまた何かを企みそうな感じもして、それは悠也や彩夜を危険に晒すかもしれなくて。もうとにかく頭の中がグチャグチャだった。


「殺した方が良かったか」

 彩夜無言で考えにふけっていたのをどう受け取ったのか、悠也がそう聞いてきた。

「そうじゃないです。でも、これで良かったのかなって」

「俺たちの目的はこの部屋の『遺産』を発見した時点で達成されている。問題はない」

 悠也は淡々と言いながらポケットのスマホを取り出す。

「とりあえず霧崎さんに報告するぞ。この術式についても聞いておきたいし」


 言葉の途中で、カタッと何かが床に落ちる音がした。

 悠也のスマホだった。

 悠也は僅かに目を見開いて、驚いた様子で、スマホを持っていた自分の右手を見つめている。

 その右手には指がない。

 陽炎のように揺らめく粒子は、たった今までそこにあったはずの指。

 悠也の右手が、闇に溶けて消えていく。


「……ここまでか」

 悠也はあくまで落ち着いた声音で言った。

「黒宮さん……?」

「さっきの話は聞いていただろう。魔術を使い過ぎた」

 悠也の命は長くない。悠也自身の魔術のせいで。

 今の戦闘で悠也は魔術を使った。ホワイトの意識を奪ったのもそうだし、肉体を再生させたのもそうだろう。そのせいで崩壊が加速したのだ。

「安心しろ。元々この右腕は一度完全に失われている。魔術で再現していただけだ。この消失が全身に及ぶまでにはまだいくらか時間があるから、お前を連れて帰るくらいはできるはずだ」

「連れて帰るくらいって……そんなの」

 短すぎる。


 彩夜は気づく。悠也がホワイトたちを逃した最大の理由は、ただ単に拘束して連れて帰る余裕がなかったからだ。あのまま二人がこの場にいれば形勢は逆転していた。そうなる前に二人を立ち去らせる必要があったのだ。


「そんな顔をするな。悪人が報いを受けて死ぬだけだ」

「でも」

「いいんだ。その方がいい」

 悠也は食い気味に言い切った。

「……悔いはないんですか」

「ない、ことはないな。責任を果たせなかった。俺は俺のせいで死ぬことになる君たちが少しでも幸せな人生を送れるようにしないとけなかったのに、その責務を放棄してここで死ぬんだ」

「黒宮さんのせい……?」

「君の時間を止めていた魔術師を殺したのは俺なんだ。それがなければ君は将来不死身の体を手に入れて、誰も死なない楽園で生きていくはずだった。その未来を俺が殺した」

 冗談ではないのだろう。そんなことを言っていられる局面ではない。

 今の話は真実で、悠也のどうしようもない本音なのだ。


「できることなら、ちゃんと君たちへの償いを済ませてから死にたかった」

「……私は、そんなこと気にしません」

「君が気にしなくても殺人は殺人だ。誰かが許したからそれでいいってことにはならない。でも、だからこそ俺はここで終わるんだろう。人殺しの望みなんて叶わないものだ」


 だから、これで正しいのだ。

 そんな風に思っているであろう悠也に、彩夜は何故だか苛立ちを覚えた。


「……そうやって、自己満足して死ぬんですか?」

「……」

「人を殺すのは悪いことです。責められて当たり前。罪の意識を感じて当たり前。死んでしまいたいと思うのも普通です。でもそれと同じくらい、死なせたくないと思うのだって当たり前なんじゃないですか?」


 刹那、紅の瞳に感情が映るのを見た気がした。だが悠也はそれを隠すように目を伏せる。

 きっと、悠也にもわかっているのだ。

 わかっているのに、都合の悪い事実から目を逸らそうとしている。


「黒宮さんは最低です。そうやって私を悲しませて、霧崎さんを悲しませて、倉沼さんを悲しませて、その方がいいなんて。そんなの、私は納得できません」

 苛立ちは激しさを増す一方だ。理屈ではない心の奥の何かが、悠也を許すなと叫んでいる。

 だが悠也も強情だ。彩夜の言葉に何か感じるものはあったようだが、ただ無言を貫いている。


 だから彩夜は決めた。


「ここにある魔術式を使えば黒宮さんを救えるんですよね?」

「らしいな。だが今は無理だ。鎖を作るには加工の元になる魂がいる」

「私がなります」

「なっ……」

 悠也の相貌が一際大きく見開かれた。

 自分の耳で聞いた言葉が信じられない。そんな顔だった。

「ホワイトさんがなれるなら、私でも大丈夫なはずでしょう」

「……それは駄目だ、魔術師の社会から逃れられなくなる」

「それでいいです。後悔はしません」

 彩夜は毅然とした態度で返した。

 悠也は辛そうに顔を歪める。

「……どうしてそうなる。今日ここであったことを忘れたのか。俺なんかのために君がこんな世界に身を置く必要はない」

「必要がなければ駄目ですか?」

「昨日出会ったばかりの他人のために人生を棒に振るなんて、馬鹿のすることだ。それが俺みたいな人殺しなら尚更」

 それは確かにそうかもしれない。家族でも友人でも恋人でもない他人のために自分の人生を捧げるなんて、まともな考えとは思えない。


 だがそれとこれとは別の問題だ。

 彩夜はわざとらしく大きなため息を吐いた。

 そして一言。




「めんどくさ」




「なっ……」

 絶句する悠也である。

 彩夜は苛立ちを隠さずに言う。

「俺なんか俺なんかっていい加減鬱陶しい。もっと単純でいいでしょ。死んだら悲しいから助けたいって感情がそんなにおかしなものなわけ?」

「いや、そんなことは……だが」

「だがじゃない」

「はい」

「私がいいって言ってるんだからそれでいいの。負い目があるなら協力しなさい」

「ちょっと待てそれは横暴だろう。俺にだって納得いく説明を求める権利くらいあるはずだ」

「さっきので納得できないわけ?」

「それで君が不幸になるのなら」

 言い切る悠也は真剣そのものだった。


 それで彩夜も考える。どうして自分がこんなにムキになっているのかを。


 どうして悠也の死を受け入れられないのか。

 どうして何かをしたいと思ってしまうのか。

 何をしても満たされなかった自分の心が、いったい今何を求めているのか。


「私の命なんてどうでもいいって言ったら、怒るよね?」

「わからないが、否定はさせてもらうだろうな」

「だよね。でも、やっぱり私の命なんてどうでもいいの。それこそ魔術師の実験台にされる人生でも別にいいかなって程度には、どうでもいって思ってた。そしたら突然こんなことになって、でもそれで思った」

「……何を」

「こんな私の命でも誰かのためになれるのなら、素敵だなって」

 悠也を見ていて、ホワイトたちを見ていて、そう思った。

「私は世界を救う方法なんて知らないし、あなたみたいに何か責任を背負い込んでるわけでもない。でもそんな私が生きることであなたが生きられるなら、それは素敵なことだと思う」

「君は俺を知らないだろう。君の思う以上に生きる価値のない人間だ」

「それでも、死ぬのはヤだ。そんなの当たり前でしょう?」

「それが人殺しでもか」

「人殺しでもだよ。黒宮さんは違うの?」

 尋ねると、悠也はゆっくりと目を瞑った。

 そしてしばらくしてから静かに口を開いた。



「いや。俺もそうだったよ」





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