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epilogue.1 -White-



 翌朝。

 目が覚めた彩夜が屋敷の中を彷徨っていると、リビングらしき部屋で話している三人を見つけた。彩夜に気付いた悠也が振り向いて声をかけてくる。


「おはよう。今日も調子は良さそうだな」

「おはようございます黒宮さん。それにえっと、霧崎さんと、倉沼さんも」

 緊張気味に彩夜が言うと、気だるげな霧崎と朗々快活な倉沼の「おはよう」がハモる。

「つーかよく名前覚えてたな。まだちゃんと自己紹介してなかったろ」

「黒宮さんが何度か話題に出してくれていたので」

「そうか。――改めて、倉沼翔太郎だ。よろしくな」

「はい。……ところで、皆さんなんの話をしていたんですか?」


 尋ねると悠也と倉沼が目を見合わせ、答えたのはパソコンから目を離さない霧崎だ。

「『嘆きの騎士団』の動向について少しな。昨日の会話を盗み聞いていたお前なら聞き覚えはあるだろう」

「確か、黒宮さんが回収してきた封筒に名簿が入っていたっていう……」

「それだ」

 肯定した霧崎がそのまま話を続けようとしたところで、

「霧崎さん、この子にその話をするのは……」

 悠也がそう口を挟んだ。

「なんだ、まだ過保護のままなのか」

「別にいいでしょう」

「開き直ったか。まあそれならそれで構わんが、この子は当分の間ここで暮らすんだ。私が何をしているかくらい教えたっていいだろう」

「……ですね。すみません」


 悠也が渋々と引き下がり、霧崎が説明を再開する。

「『嘆きの騎士団』は魔術師による被害者を自称する連中が中心になって結成された反魔術師組織の一つだ。中でも連中は活動が過激な方で、魔術師の社会秩序を保っている魔術師社会維持機関の打倒を掲げている点に特徴がある。要は暴力で社会を変えようとしているわけだ」

「つまり、テロリストみたいな……?」

「その解釈で構わない。だがただのテロリストと違って厄介なのは、連中の中には魔術師もいるということだ」

「えっ、でも、魔術師を憎んでいる人たちの組織なんですよね?」

「大半はな。だが連中が掲げている魔術師社会維持機関の打倒という目的で恩恵を受ける魔術師は少なくない。利害が一致すれば手を組むこともあるだろう」

「恩恵……? でも、魔術師の社会を維持しているのはその機関なんじゃ」

「機関の目的は秩序の維持だ。例えるなら警察に近い。すると、それがいないほうが都合のいい連中も出てくる。要は犯罪者と思ってくれればいい。魔術を使って好き放題したい連中にとって機関は目の上の瘤というわけだ」

「……おかしくないですか。『嘆きの騎士団』の人たちが魔術師の被害者だっていうなら、そういう悪いことをしようとしている魔術師こそ憎むべきなのに。……それなのに、むしろ仲間にしているなんて」

「まったくその通りだが、魔術師を討つために魔術師を利用すること事態は真っ当なやり方だ。悪を為して巨悪を討つという考え方はそう珍しいものでもないし、当人たちはそういうつもりなんだろう。あるいは単に身内に甘いだけか。何にせよ現実がそうなのだからそうだとし言いようがない」

 霧崎の言うこともわかるが、胸の内に気持ち悪さは残る。


 矛盾。

 昨夜悠也も言っていたその言葉が脳裏をよぎる。


「とまあそんな具合に『嘆きの騎士団』は我々にとっていつかは相手をしなければならない敵だったわけだが、最近少し事情が変わって早急に相手をしなければならなくなった。少し前に盗まれたあるものを連中が持っている可能性が出てきたんだ」

「あるもの?」




「『神代家の遺産』……人の魂に手を加える技術を記した研究資料だよ」




 彩夜は息を飲む。魂に手を加えるという言葉はどこか冒涜的な響きに感じられた。

「詳細は省くが、こいつは魔術師の世界にパラダイムシフトを起こし得る危険な代物だ。故に機関にすら感付かれずに回収、破棄するというのが現在我々三人の行動目的となっている。今していたのはそういう話で、昨日お前と黒宮が渋谷に行ったのもそういう事情があってのことだ」

「なるほど……でも、『遺産』を『嘆きの騎士団』が持っているというのはまだ可能性の話なんですよね?」

「残念ながらな。ここ数日は倉沼に裏付けを取るため動いてもらっていたがまだ確定とは言えない。だが蓋然性が高いと判断できるだけの材料は集まった。特にタレコミしてきたやつをほぼ特定できたのが大きい」

「タレコミなんてあったんですか」

「一切素性の知れない匿名希望様から、脅迫まがいの要求付きでな」

「え、それ怪しくないですか……?」

「怪しいさ。そもそもこっちが『遺産』の行方を追っていることを知っている時点で只者じゃない。おかげでこちらとしても動かざるを得なかった。どこまでの情報を握られてるかわからんからな」


 脅迫まがいとはそういう意味か、と彩夜は納得する。タレコミそのものがその人がこちらの情報を握っていると証明するから、迂闊に逆らえば何をバラされるかわかったものではない。魔術師が自分の素性を隠すというのは昨日悠也から聞いたことだが、それでなくとも個人情報を流されるのが好ましくないのは彩夜にもわかる。


「要求というのは?」

「『嘆きの騎士団』についての情報提供。こっちの調査の過程で得た情報をよこせと言ってきた。だからこそ奇妙ではあるんだが……まあそれはいい。朝食がまだだろう。三人で食ってこい」

「師匠はどうすんだ?」

 倉沼が言った。

「これだけ終わらせてすぐに行く」

「了解。メニューはどうする?」

「なんでもいいよ。お前に任せる」

「オーケー。じゃ行くぞ二人とも」


 倉沼に続いて部屋を出る悠也と彩夜。

 彩夜は倉沼の意外な一面に驚きつつ尋ねる。

「倉沼さんって料理できるんですか?」

「まあな。猫の手にも包丁だ」

「へ?」

「……間違ってますよ倉沼さん」

 指摘をしたのは悠也。倉沼は特に気にした風でもなくキッチンの方へと向かう。

 そのままついていこうとした彩夜を悠也が引き止める。

「俺たちはこっちだ」


 そうして二人先にダイニングの食卓についた。

 そこで彩夜はふと思い出す。 

「そういえば黒宮さん、パンダのマスってわかりますか?」

「いや。なんのことだ?」

「昨日聞かれたんです。渋谷のパンダのマスの中心を探してるって。結局なんのことだかわからなかったんですけど、思い出したら気になってしまって」

「パンダのマス……パンダカラーならパトカーだが、マスでも中心でもないな」

「色ですか……白黒って言うと、あとはペンギンとかいますよね」

「シャチなんかもそうだが、生き物ならわざわざパンダって表現は使わないんじゃないか」

「それもそうですね。そうするとあとは……」

「横断歩道とか。ほら、渋谷で横断歩道っていったらスクランブル交差点がある」

「でもその中心が待ち合わせ場所っておかしくありませんか?」

「それはそうだ。何かの暗号ではあるんだろうが……」


 と、そこで霧崎がダイニングに入ってきて悠也が声をかける。


「霧崎さん、パンダのマスの中心ってわかりますか?」

「は? なんだそれは」

「それを探してるって人に私が昨日会ったんです。渋谷で。でも結局どこのことだかわからなくて。パンダは色を表してるのかもって話してたんですけど、白黒のマスの中心なんて言われてもどこのことだかわかりませんし」

「昨日というと、渋谷でのことか?」

「はい。ちょうど黒宮さんを待っている間に声をかけられたんです」

「ならおそらくスクランブル交差点だ。マスというのは枡記号のことだろう」

「マス記号?」

 彩夜が聞き返すと霧崎は指でテーブルに記号を書きながら言う。

「四角形の対角に斜線を一本入れた記号で、ちょうど渋谷スクランブル交差点の横断歩道がそれに近い形で配置されてる」


 〼。

 霧崎の指先が描いた図形に彩夜は納得する。


「あ……でもですね、その人、そこが待ち合わせ場所だと言っていたんです。交差点の中心が待ち合わせ場所っていうのは……」

 彩夜がそう言いかけたところで霧崎の顔色が変わった。眉間に皺を寄せた真剣な面持ちで詰め寄るように聞いてくる。

「おい、そいつはどんなやつだった?」

「どんなと言われても……」

 言いかけて彩夜は思い出す。

 そういえば、彼女は目を引く特徴的な容姿をしていた。

「白かったです。髪も肌も。たぶん、日本人じゃなかったと思います」

 その答えを聞くなり霧崎はすぐにダイニングを出ていった。そして一枚のコピー用紙を持って戻ってくる。それを彩夜に見せながら霧崎は言う。


「それはこいつか?」


 彩夜は驚くしかない。

 霧崎が持ってきたのは『嘆きの騎士団』の構成員リストの一枚だ。さっきの部屋のテーブルに似たような紙が積んであるのが見えたから間違いない。そしてそこに印刷された顔写真は明らかに……


「間違いなくその人だと思います」


 あの特徴的な容姿だ。まず間違えるわけがない。名前はホワイトとあるが、いくらなんでもそのまま過ぎるので偽名かも知れない。素性を隠そうとする魔術師ならありえるだろう。

「でもどうしてわかったんですか?」

「こいつは匿名のタレコミをしてきた本人と目されている人物だ。あくまでも暫定という形ではあるが……これで繋がった。こいつは騎士団を探って何かをしようとしていて、そのために組織内部に潜入し、なにやら待ち合わせ場所らしきものを示す暗号を入手した。しかしその場所がわからなかった。だからお前に暗号の解読を手伝わせようとしたんだ」


 霧崎の推理は筋が通っているように聞こえた。

 だがその一方で、彩夜には引っかかることがあった。彼女は彩夜に友達との待ち合わせだと言ったのだ。あのときの彼女の言動がすべて演技だったとは考えられない。思いたくない。


「……あの、話が戻って申し訳ないんですけど、ほんとに交差点の中心が待ち合わせ場所なんですか? だって、そんなの立ち止まるだけで不自然ですし、あの通行人の数では……」

「魔術師同士の待ち合わせならこの不自然な場所指定にも説明がつくんだ。魔術で入り口のみをそこに作っておき、実際に落ち合う場所は空間の向こう側。倉沼が似たような魔術を使えるから、後で見せてもらうといい」

「でもそれだと、色んな人が気づかずそこに入ってしまうこともあるんじゃないですか。あの人の数ですよ。交差点の中心を通る人はきっと何人もいるはずです」

「扉の開放に何かしらの条件があるんだろう。仲間内でしか通じないなんらかのパスワードとかな。わかりやすく言うなら、魔術を起動させるための呪文だ」

 開けゴマ、とかそういうのだろうか。

 真剣に考えてしまう彩夜だったが、

「もっとも、パスワードなんてなくとも扉があるなら強引にこじ開けることは可能なわけだが」

 霧崎がそんな風に付け足したので台無しだった。

「黒宮、朝食を取ったら行ってもらえるか」

「了解です」

 悠也が返すと、次に霧崎は彩夜の方を向いた。


「それと観鳥彩夜。できれば君も黒宮に同行してほしい」


「えっ、私ですか……?」

 予想外の展開に困惑する彩夜の隣で悠也が口を開く。

「どういうつもりですか霧崎さん」

「まあ待て黒宮、そう睨むな。『魔術師の勘』で捕捉されないのはこの中だとこの子だけだ。閉ざされた扉をこじ開けるのにこれ以上の適任を用意するのは難しい。わかるだろ」

「……魔術道具でも使わせるつもりですか」

「ご明察。私の魔術を起動できる手榴弾のようなものを持たせる。交差点の中心まで行ってピンを引き抜けばそれで役目は終わりだ。人の波に乗って立ち去ってしまえば離脱も容易い。危険がゼロとは言わないが、そこまで危ない役回りじゃない。勿論本人の意思が最優先だが」

 霧崎は彩夜の目を見て言う。

「どうだ、やってくれるか」


 彩夜はちらりと隣の悠也の顔を窺った。

 目を伏せたその顔から感情は読み取れない。きっと意図してそうしているのだ。彩夜の選択に自分の感情が影響してしまわないように。昨日出会ったばかりだが、黒宮悠也はそういう人間のような気がする。

 では彩夜はどうしたいか。

 そんなのは考えるまでもなく決まっている。


「わかりました。やります」


 別に魔術師の世界で暮らしたいわけじゃない。でも、今ここで彩夜の世話を焼いてくれる悠也たちの力になりたい。ただしてもらうだけは嫌だ。だから、その決断に迷いはなかった。

「だそうだ。異論はないか黒宮」

 悠也大きくため息を吐き、

「何かが起きても君の自己責任だ。これは君が決めたことだから。それでもいいんだな」

 決意を問うようにそう聞いてきた。

 彩夜は膝の上で拳を握り自分の胸の内を確かめてから「はい」とだけ返事した。

「わかった。なら、一緒に行こう」




    ◇




 ごった返す人の波に流されるように駅を抜けると、すぐそこが目的地の渋谷スクランブル交差点。ちょうど歩行者信号が赤になったところで、徐々に横断歩道前に溜まっていく人々の中に彩夜も紛れた。


 いよいよだ。


 彩夜はゆっくりと深呼吸し、バッグに隠した魔術道具の感覚を確かめる。

 霧崎は手榴弾と言っていたが、外観は手のひら大のポーチにしか見えない。せいぜい端の方に細いピンが通してあるくらいで、周囲の人から怪しまれることはまずありえない。そしてその炸裂と共に飛び散るのは魔力でできた不可視の刃で、周囲の人間に危害を加えることなく魔力でできた異物のみを切り裂くらしく、彩夜には詳しい理屈はわからないがそれで隠された入り口を見つけられるそうだ。また魔術が起動する前の段階では魔力を有さないため『魔術師の勘』でその存在を知覚されることもなく、おかげで彩夜の安全も保証されている。


 あとはただこのスクランブル交差点の中心でピンを抜くだけでいい。そうすれば少し離れたところにいる悠也が傷のついた入り口から侵入する手筈になっている。この「少し離れた」というのがミソで、『嘆きの騎士団』が『魔術師の勘』を使えたとしても、悠也の存在が揺動となり彩夜に注意が向くことはないというわけだ。

 そう人々が一斉にスクランブル交差点へと侵入する。彩夜もその流れに乗る。中心が近づいてきてバッグの中から手榴弾を取り出すがまだ落とさずにバッグの影に隠して持っておく。


(――今だ!)


 ピンを引き抜いてその場に落とす。傍を歩いていた人が彩夜の落とし物に気付いたようだったが何食わぬ顔で立ち去る。そして交差点の向こう側に到着したその時。


 カシャン、と。かすかに、ガラスの割れるような音が後方から聞こえた。


 振り向く。だがそこには交差点を渡る人の群れがあるだけで異常は見られない。何人かは彩夜と同じく音に気づいたようだったが、さほど気にした素振りもなく立ち去っていく。


(どうなったの……? 成功……?)

 

 霧崎からは起動すればガラスの割れるような音がすると聞いていた。彩夜が音に気付いたのもそれを聞くため常に耳に意識を集中させていたからだ。だから起動は成功したに違いない。問題はそれで不可視の入り口に傷をつけるという目的が達成できたかどうか。

 彩夜がそう緊張しているときだった。


「あなた、いったい何をしたのかしら」


 突然の背後からの声に振り返ると、そこにいたのは白い少女。

「あなたは……っ!」

 彩夜は目を見開く。

 間違いない。昨日もこの渋谷で会ったあの少女。『嘆きの騎士団』構成員ホワイトだ。

「どうなの。答えなさいな」

 その声音の鋭さに、視線の冷たさに、彩夜は息を呑む。

 そしてホワイトが重ねて聞いてくる。


「あそこに見えるあれは何。あなたがやったんでしょう?」


 視線で示されたのは交差点の中央。だがそこは今自動車が盛んに通行しているだけでほかには何もない。何もないように見える。だがこの少女にとっては違うのだ。

 何かが見えている。

 彩夜には見えない――おそらくはある特定の人たちにしかわからない何かが。

「……魔術師、だったんですね。黒宮さんたちを利用していたんですか?」

「さあどうかしら」

 少女は淡白に返した。

 だがそれは彼女が黒宮という人物を知っていることの肯定だ。そんな人は知らないというのではなく、敵か味方かという問いをそのまま受け取り答えたのだから。


 霧崎の推測は正しかった。この少女こそが『嘆きの騎士団』の情報を集めるよう悠也たちに脅迫まがいの要求してきた張本人。であれば、おそらく昨日彩夜に接触してきたのも偶然ではなかったのだ。悠也と一緒にいるのをどこかから見ていて、暗号を悠也に伝えさせる目的で近づいてきたのだ。


「騙してたんですか。私のこと」

「質問しているのはこっちよ。答えなさい」


 彩夜が悔しさに歯を噛み締めたその時、ホワイトがハッとして上を見た。彩夜もつられて見上げると悠也が迫ってくる。身を捻りながら落ちてきて右手でホワイトに掴みかかり、ホワイトが間一髪で回避すると悠也は彩夜の前に着地する。


「黒宮さん! いったいどこから!?」

「見ての通り上からだ」

 無論そんなことはわかっているのだが悠也の声音は大真面目。

 そんな悠也を不機嫌顔のホワイトが睨む。

「やめろ。こちらに敵意はない。少なくとも今は戦わない」

「……どういう意味かしら」

 悠也は交差点の中心を視線で示し、

「そこに空いている穴は『嘆きの騎士団』が利用するどこかしらに繋がっている。昨日お前がこの子に探させていた待ち合わせ場所だ。そしてそこに入りたいという一点において、俺とお前の利害は一致している」

「だから協力しろと?」

「ああ。中に『嘆きの騎士団』の構成員がいるなら隠蔽魔術の破壊は既に気づかれているはずだ。ここで無駄な時間を過ごすわけにはいかない」

「……いいわ。その代わり、その子も一緒に連れていきましょう」

 ホワイトが彩夜をちらりと見て微笑を浮かべる。

「あなたと二人ではいつ不意を突いて殺されるかわかったものじゃないでしょう。足枷が必要だわ」

「駄目だ。『騎士団』と戦う上でも不利になる。それは君にとっても不都合だろう」

「いいえ。だって、もうあの中に連中はいないもの」

「……なんだと」

 驚愕する悠也にホワイトは淡々と言う。

「ほら、時間がないのでしょう。早く決断しなさいな」

「……」

「黒宮さん、私なら平気です」

 彩夜が言うと悠也が悲痛な表情で振り向く。

「自己責任だって黒宮さんも言っていたじゃないですか。覚悟はしてました」


 半分は嘘だった。確かにこうなる可能性があるのは理解していたが、霧崎が言ったように安全な役回りだと思っていたし、事実そうだったはずなのだ。だがホワイトが渋谷にいてしかも彩夜を魔術師の仲間と認識して見張っていた上、騎士団の現状に対する知識と悠也への警戒が霧崎たちの想定を上回ってきたからこうなった。本来なら先に悠也が提案した通り騎士団と戦うのに不利になる彩夜の存在は騎士団と敵対しているであろうホワイトにとっても不都合なはずだったのだ。それがまさかあの入り口の向こうに誰もいないなんて誰が予想できただろう。


 こうなってしまったものは仕方がない。足手まといにはなりたくないが、ならざるを得ないならその中で最良の選択をするしかない。ここで彩夜がホワイトの要求を受け入れなければ、すなわち彩夜がついていかなければ、話は硬直したまま進まないだろう。そうなってはせっかく見つけた手がかりが無駄になってしまう。悠也には『神代家の遺産』を回収するという目的がある。そしておそらくそのくらいのことは悠也にもわかっている。


「話はついたかしら。もうじき信号も変わるわ」

 あくまでも淡白にホワイトは言った。

「いいだろう。要求を飲もう」

 悠也は毅然とした口調で返した。

 信号が変わる。周囲の人々が一斉に動き始めて、三人もその流れに乗って交差点の中心に向かい、悠也が右手をすっと前に差し出すとその指先の空間が歪む。


 そして景色がガラリと変わった。


 窓一つない暗くて細い通路だ。埃っぽい感じはまったくしない。空気に匂いがない。

「では行きましょうか」

 言ったのはホワイトだ。

「あなたたちが先に行きなさい。背後を取られては人質を連れてきた意味がないわ」

「……いいだろう」

 悠也はスマホを取り出しそのライトで通路を照らしてから歩き始める。彩夜がそのすぐ後に続き最後にホワイトがついてくる。いくら歩いても代わり映えしない通路は闇の向こうにどこまでも続いているように思える。

 だがそんなときホワイトが言った。

「そこは右よ」

 言われた悠也が立ち止まり右にライトを向けると通路の壁に擬態していてわかりづらいがスライド式のドアがある。

「来たことがあるのか」

「以前の入り口が使えなくなっていて苦労したけど、あなたのおかげで助かったわ」

「……」

「何を警戒しているのかしら。罠なんて仕掛けてないわよ」

 悠也が動かなかったからだろう。ホワイトはそう言ってドアを開けて中に入る。

 悠也と彩夜も続いてドアの向こうへ。その瞬間、彩夜は妙な臭いに顔をしかめる。

「なんの臭いですか。これ」

「気にするな」

 悠也がすぐに言ったが既に遅く、彩夜は足元のそれに気づく。


 死体。

 頭蓋の中身をぶちまけた女の亡骸。


「ああ、こんなところに死んでいたのね。生きているとは思っていなかったけれど」

 つまらなそうに言い捨てると、ホワイトは死体を無視して部屋の奥に向かう。

 彩夜はその物言いに違和感を覚え、尋ねた。

「知り合い、なんですか……?」

「あなたたちのことを探ってくれていた情報屋よ。同時にあなたたちが雇った情報屋でもあり、『嘆きの騎士団』の構成員でもある。二つの意味で三重スパイというわけ」


 淡々と言うホワイトが彩夜には理解できない。

 知り合いが死んで、どうしてこんなにも平然としていられるのだろう。死んだ女とは顔を合わせたことすらない彩夜ですら動揺しているのに、何故ショックを受ける素振りすらないのだろう。それとも案外、予期してさえいれば落ち着いていられるものだのだろうか。


 そんなことを考えている彩夜の前で、悠也はやはり落ち着いた声で言う。

「迂闊にそんなことをバラしていいのか?」

 彩夜とは違う。悠也もまた、死体があったことに動じていない。

 そういうものなのだろうか。それが魔術師の社会で生きるということなのだろうか。


「問いかけにぎこちなさがあるわね。慣れない挑発なんてするものではなくてよ」

「純粋な疑問だ。お前にメリットがない」

「そうかしら。これから取引をしようという相手に嘘を重ねて信頼を損なうのは悪手だわ」

「取引?」

「ええ。だから少し話を聞いてもらえるかしら。この場所に残された『神代家の遺産』を使った、私の計画についての説明を」


 直後、室内に光が灯った。ただしその様は照明の点いた部屋というより劇場に近い。まだ暗い室内を青い光がぼんやりと照らし、座席の代わりに部屋いっぱいに敷き詰められているのは何かの装置だ。

「この光は……」

「破荒墨影の隠れ家に似ていたかしら」

 ホワイトの言葉に悠也が驚く。

「どうしてそれを」

「行ったことがあるもの。方向性は違えど、彼もまた誰も悲しまない世界を夢見た一人。手を取り合うことこそなかったけれど、その精神と行動力には見習うべきものがあったわ」

 それだけ言うと、ホワイトは「さて」と話を戻す。

「この中心にある魔術陣があなたたちの探していたもの――正確にはその一部よ。人の魂に手を加えるための大型術式。この部屋全体がその制御術式になっているの」

 ホワイトは続けた。

「これを使って私は、この世界を救済するわ」





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