三度目の殺人
「だから俺は、彩夜を想ってやまない俺のためにお前を殺すんだ」
我ながらぶっ飛んだ発想だ。陳腐で安っぽくてきっと誰の同意も得られない。
でもそうしたいと思う。
殺意はいつか薄れるだろう。哀しみも怒りもそうだ。破荒の言う通り時間が感情を摩耗させる。それはその通りかもしれないと思う。
だがそれは今はではない。今の悠也には確かな想いがある。彩夜を失ったことへの嘆きと、彩夜を奪った破荒への憎しみと、彩夜と歩みたかった未来への哀愁で溢れている。
それをまだ手放したくない。それだけのために自分は、これから人を殺すのだ。
「結構な理由だ。しかし君では私に勝てない。そして私がその気になれば、君を殺すことは容易い。その力量差ははっきりと見せつけたはずだ」
「確かにそうだ。お前は彩夜を殺した。俺も殺せるはずだ。でも、なら何故そうしない」
破荒は刺客に容赦しない。霧崎と倉沼を殺すため、彩夜を手に掛けたように。
それなら何故悠也はすぐに殺さないのか。
「怖いんだろ、手の内を晒すのが。お前にできるってことは、同じ契約魔族を持つ俺にもできるし、彩夜にもできたってことだ。彩夜はそうやってその右腕を奪った。だから同じことを繰り返さないよう警戒している。お前は万が一の自分の死を恐れているんだ」
「安い挑発だ。仮にそうだったとしても、私には君を殺さず無力化する手段がある。この場所を見れば一目瞭然ではないか」
無数に並ぶ柱。凍結した時間の中には人々が閉じ込められている。
同じように悠也を凍結した時間に閉じ込めれば、確かにそこで戦いは終わる。
だが。
「それはできないはずだ」
「……」
「できるなら最初からそうしてただろ。そうすれば戦う必要もない。霧崎さんに倉沼さん、彩夜だってそうだ。襲撃者なんて皆まとめて凍結した時間の中に幽閉してしまえばいい。でもお前はそうしなかった。できないからだ」
おそらく半永久的な凍結には下準備が必要なのだろう。だからそれができない戦闘中は一時的にしか時間を凍結できず、凍結した時間に破荒が干渉できない以上それは瞬間移動や攻撃を防ぐ盾程度にしか使えない。
「つまりお前は俺に自分を殺す方法を教える以外、俺を殺す手段がないんだ」
悠也がそれに気づけたのは、事前に霧崎から聞いた情報のおかげだった。
霧崎の考察によれば、破荒の時間凍結は空間上の座標を指定して使用する魔術だ。そしてその座標指定は見かけほど自由度が高くない。その証拠に、霧崎の使用した〈斫断・千本骨刃鎧刀〉はその効力を発揮し、一度は破荒を殺すことに成功した。時間を止める対象を自由に選べるのなら〈斫断・千本骨刃鎧刀〉の時間を止めれば良かったのに、そうしなかった。それはつまり使用に制限があるということだ。
「存外鋭いな。だが根本的な状況に変化はない。私の優位は変わらない」
「それはどうかな」
切り札はある。重要なのはそれを使用するタイミングだ。仕留め損なって警戒されれば二度目は通用しないだろう。これは互いに必殺の一撃を決める隙を探り合う戦いなのだ。
今度も悠也が先に仕掛けた。
まっすぐに突っ込む。そこまではさっきまでと同じ。
だがそこからが違った。悠也は駆けながらバランスを崩すようにして一瞬だけ右の手のひらを地面についた。その瞬間魔術が発動する。右手が地面の一部と一体化する。五本の指先から細く黒い硬質の槍が伸び、空中で何度も折れ曲がりながら破荒へ向かう。
これも幸姫がやったことの応用だ。あの触手の群れと同じように、悠也の指は縦横無尽に軌道を変える槍へと変貌したのだ。
しかし槍が破荒を捉える寸前、破荒の姿が消失した。
時間の凍結。それにより悠也からは破荒が瞬間移動したかのように見える。
だがそれは予想していた。
右手の指を槍に変えたのには理由がある。それは悠也から見て右前方を指から伸びる槍で埋めるため。空中を縦横無尽に折れ曲がりながら破荒に迫った五本の槍は、悠也の右横から前にかけてを埋め尽くし、破荒が立つ隙間を消失させた。つまりこの時間凍結後に破荒が攻撃を仕掛けてくるなら、破荒は悠也の左から背後にかけてのどこかに移動しているということだ。さらに時間が凍結した空間には破荒自身も干渉できないため、破荒が悠也に攻撃を当てるまでには時間凍結の解除後ほんの少しだけラグがある。
破荒の移動先を把握する必要がないのなら、そのラグで対処には充分だ。
破荒の姿が目の前から消えた瞬間、悠也は全力で左腕を背後に向けて振るった。破荒がどこに移動したか確認しようとはしなかった。その左腕の軌道上のどこかに破荒は移動しているはずだからだ。
悠也の左腕が破荒の左腕と衝突する。突き出された腕を横へと弾く。
「っ!」
至近距離、破荒が驚愕に目を見開く。そこに決定的な隙が生まれた。
すかさず悠也は唱える。この戦いを終わらせる切り札の名を。
「〈斫断・千本骨刃鎧刀〉」
プラズマの如き光を放ち、魔力の化身が顕現する。
それは霧崎は創り出した破荒を殺すための魔術道具だ。世界と一体化することで不滅の存在と化した破荒を世界から切り離し、その身に死を与える必殺の化身。そして魔術道具である以上、それは霧崎本人でなくとも使用できる。
これが悠也が霧崎から借り受けた切り札。
至近距離の悠也と破荒は今、両者とも〈斫断・千本骨刃鎧刀〉の肋骨の内側にいる。
霧崎が使用した〈斫断・千本骨刃鎧刀〉を破荒は複製して応戦したというが、この状況ではそれも無意味だ。〈斫断・千本骨刃鎧刀〉はその肋骨が外部の攻撃の一切を切り落とす鎧だが、一度内側への侵入を許してしまってからの攻撃には耐性がない。
破荒には時間凍結の魔術もあるが、そうしたところで凍結した時間に干渉できない破荒はこの肋骨の内側から逃げ出す術を持たない。
「終わりだ」
魔力の刃が肋骨の隙間を埋め尽くす勢いで生じ、三六〇度全方位から悠也諸共破荒を襲う。閃光が二人を包む。破荒を確実に殺すための捨て身の一撃。
だがその瞬間、悠也の目に映る景色は唐突に切り替わった。
悠也を守護する肋骨の中に破荒はいない。いつの間にかその向こうに脱出していて、しかしその黒衣は無数の切り傷と鮮血で無残な有様。息も上がっている。今の一撃は確かに破荒に届いていた。だが殺すには至らなかった。
「……しぶといな」
何が起きたかは把握していた。ヒントは悠也の体にほとんど損傷がないことだ。
つまり破荒は〈斫断・千本骨刃鎧刀〉の肋骨の内側の時間を凍結させたのだ。ただしその際、内側すべてを凍結させるのではなく、肋骨の内側からの脱出経路だけは凍結させなかった。結果、非凍結部分を埋め尽くした魔力の刃は破荒を襲ったものの、刃のほとんどは時間の凍結した空間という壁に阻まれて届かず、破荒は無数の傷を負いながらも生きて肋骨の内側を脱出した。
悠也がほとんど無傷なのは破荒の凍結させた時間の中にいたためだ。若干の切り傷はあるが、それは破荒の時間凍結が間に合わなかった分だろう。破荒が悠也を守ったのではなく、悠也の意識が正常に働いていては〈斫断・千本骨刃鎧刀〉を操作して逃れようとする破荒に追い打ちをかけられるため、そうせざるを得なかったのだ。
〈斫断・千本骨刃鎧刀〉が霧散する。維持するには心の残量が足りないのだ。創った霧崎ですら数分でガス欠するそれを最初からフルパワーで使用したのだから当然だった。
これでもう〈斫断・千本骨刃鎧刀〉は使えない。あと残っているのは悠也の契約魔族の力だが、これも心の残量が少ない状態でどこまで使えるか。魔術の源である魔力は心を対価にして魔族から引き出すものだ。心を使い切れば使えなくなる。
「……今のが君の切り札か。惜しかったな。あと一歩、私を殺すには至らなかった」
「まだだ。まだやれる」
右手を真横に伸ばす。指先から伸びる細い槍がしなやかに可動。
――した瞬間、悠也の右手首から先が砕け散った。
「な――」
何が起きたのか。理解の追いつかない悠也に破荒が言う。
「慣れない魔術を使いすぎたな。……いや、直感だけでよくぞそこまでと言うべきか。魔術式を構築する間もなかったろうに」
悠也は霧崎の話を思い出す。一体化の失敗。霧崎は幸姫の死をそう説明した。自分の一部として物質を取り込んだはずなのに、逆に自分がその物質の一部になってしまった。
同じだ。幸姫が泥と消えたように、悠也の右手もまた一体化した地面の一部となって崩れたのだ。
右手が再生する気配はない。黒宮悠也の右手という概念がこの世界から失われてしまっているから、戻らないのだろう。
いや、右手だけではないかもしれない。
直感的にわかる。
黒宮悠也の存在。人としてのカタチが、世界に溶けて失われようとしている。
「……でも、これでお前を殺す方法もわかった。俺がこうやって消滅するなら、お前だって同じように消せるだろう。俺がお前と混ざり合って、お前を俺の一部にして、そのまま消してしまえばいい。彩夜もそうやってお前の腕を落としたんだ」
だからまだ戦える。まだ殺せる。まだこの想いに従える。
「あくまでも私を殺すというわけか。楽園の創造を否定してまで。一時の感情に任せて人類の未来をも奪おうとするとは」
「論点をすり替えるなよ。これは俺とお前の問題だ。俺がお前を殺したいだけだ」
「開き直りか。お前がその殺人によって得られるものなど何もないというのに」
「わかってる。でもどうでもいいんだ」
確かに得られるものはない。
そもそも殺人は悠也には不要なものだ。世の中には生きるために殺人を余儀なくされる人もいるだろうが、悠也は違う。悠也は人を殺さずとも生きていける。
最初からずっとそうだった。
魔族化した潤は彩夜が殺せばそれでよかった。衝動に任せて心童葵を殺したのだって後悔と喪失感から目を背けたいがための八つ当たりだ。この場で破荒を殺すのだって、本当は少し我慢すれば済む話なのだ。そこに正当性など欠片もない。
間違っている。
殺人はいけないことで、糾弾されるべきで、誰にも理解など得られないとわかっている。
ただ、それをわかった上で尚、この想いを否定したくないだけ。
「要するに俺は、そうしたいというだけで人を殺せてしまう生粋の人殺しなんだ」
だからきっとここへも殺し来た。彩夜を迎えに来るという目的もあったけれど、もしも殺されているならそのときは破荒を殺すべきと思っていた。戦い方を知ろうとした理由も結局はそれで、だから倉沼の指摘は半分当たっていた。生き延びるためなんかじゃなかった。
それ以外、この想いを捨てずに済む方法を知らなかった。
悠也の彩夜に対する感情は最後まで曖昧だった。たぶん、好きだったんだと思う。愛してもいたのだと思う。だがわざわざそれを明確にしようとはしなかった。そんなことに意味はないと思っていた。恋愛なんて浮かれた望みは、人殺しの自分には不相応だと思っていた。
それで結局、伝えることも確かめることもできないままに、想いは行き場を失った。
だから悠也はそれを抱えたままの自分のために、目の前の男を殺すのだ。
これが最後。悠也は破荒に向けて突撃する。
満身創痍の破荒は、しかしそれに冷静な対処で応じた。今までと同じように周囲の空間の時間を凍結し、悠也の動きを止めた。
――つもりだったのだろう。
刹那の停止の後、悠也はそのまま凍結した時間の中を駆け抜ける。
「ばかな」
驚く破荒に悠也は告げる。
「万物は俺だ。時間さえも、俺自身だ」
破荒と悠也が共通して有する契約魔族の力。一体化の魔術。それは世界そのものとの一体化によりその存在を不滅にすることまでをも可能にする。概念との一体化すらもその範疇。破荒は気付いていなかったようだが、時間もその例外ではなかった。
あるいは、黒宮悠也という個が世界に溶けて消えようとしているからこそ、今まではできなかった時の流れへの干渉が可能になったのか。
もっとも、時間を戻せるわけではない。人が自分の体を流れる血液を逆流させられないのと同じだ。ただ刃物で血管を切るのと同じように、凍結した時間を突き破っただけ。
それで充分だった。
悠也の腕が破荒に届く。するりと溶けるようにその身に沈んで心臓に触れる。そこに破荒墨影という存在の核があると、人のカタチを捨てつつある悠也は直感的に理解する。
そうして決着がついた。
黒宮悠也は私情以外の何でもない理由で、三度目の殺人を完遂した。




