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吸血少女と人殺し  作者: 伝々録々
第一章 贖罪は哀切を伴い
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少女、あるいは怪物02


「ふぅ。お待たせ二人とも」

 シャワーで血の痕を流し終えた彩夜が、肌を仄かに蒸気させたまま縁側に戻ってきた。

 その身を包むのは無地のTシャツとショートパンツ。上下ともに黒。それが白い肌の美しさを際立たせていた。


「確認したいんだが、君は俺を助けてくれたのと同一人物か?」

「別人に見える?」

「じゃなくて君は……」

「死んだはずだって?」

 クセの付いたブラウンの長髪をタオルで乾かしながら、彩夜は悠也を一瞥した。


「正真正銘あなたを助けた紅野彩夜(こうのあや)だよ。ああさっきは彩夜としか名乗らなかったっけ」


 何でもないことのように言う。悠也の目の前で彩夜が死んだことも、下の名前しか名乗らなかったことも、あの場にいたあの彩夜にしか知り得ないことだというのに。否、だからこそというべきか。


「……何でもありだな、魔術ってのは」

 悠也は乾いた笑いを浮かべずにはいられない。

 彩夜は悠也の目の前で死んだはずだった。それは事実で、彩夜も認めた。


 だから要するに、死んでから生き返ったのだ。

 この世の法則では不可能なことも魔術でなら起こり得る。頭蓋を貫かれた状態から無傷で生還することさえ。


「私も一つ聞きたいんだけど、二人ってどういう関係? 悠也は魔術師じゃないんだよね?」

「ただのクラスメイトだ。魔術なんて今日まで知りもしなかった」

 事実だけを簡潔に述べた。

「ふーん。……ただの、ねえ」


 何故だろうか。

 彩夜は髪を乾かす手を止め、いたずらっ子のような表情を浮かべた。

 そして妙に芝居がかった声で言った。


「『雑用だって使いっ走りだって、なんだってやってやる! お前の頼みなら!』だっけ」


「……っ!?」


「さっきの悠也の言葉、私感動しちゃったなぁ」

 彩夜は絶句する悠也の傍にしゃがむと、にやけ顔で覗き込んできた。

「あれでただのクラスメイトなんだぁ。へぇ」

「……うるさいな。お前には関係ないだろう」

「ありゃ、怒っちゃった?」

「怒るか。呆れただけだ」

 悠也は大きく嘆息した。


「……もう一度聞くが、お前、俺を助けてくれた彩夜と同一人物なんだな?」

「もう一度言うけど、別人に見える?」

「……できれば別人だと思いたいよ」


 人柄が初対面の印象と違いすぎた。助けられたときはもっと真面目そうに見えたのに、その印象は儚い幻想と消えた。あの瞬間に抱いた畏敬の念を返して欲しい。


「あはは。いいね、正直な人は好きだよ」

 立ち上がった彩夜は屋敷の柱に背中を預けた。

「それで潤、悠也にはどこまで話したの?」

 潤は片脚だけを縁側から垂らした脱力した姿勢で、

「だいたいのことは話したよ。全部話せって注文だからな」


 彩夜を待つ間、悠也は潤から追加の状況説明を受けていた。


 まず、この町に人工の『蜘蛛』に入ったゴーストが出没するようになったのは五月に入ってからだということ。放っておけば魔術の存在が明るみになるのは時間の問題。それは魔術師にとって良くない状況だった。


 そこで魔術師社会維持機関――魔術師における警察のような組織が、事態を収めるための使者を送り込んできた。それが彩夜だ。


「ま、私が魔術師かどうかってのは微妙なとこなんだけどね」

「どういう意味だ?」

「私にその自覚はないってこと。些細なことだから気にしないで。続き続き」

 発言の真意は気になったが、そう言われては悠也にはどうすることもできない。

 他に潤が語ったのは、ゴースト大量発生には黒幕がいるという話だった。


「〈煉霊(れんれい)の魔術師〉。その名前を聞いたところで、お前が戻ってきたんだ」


 彩夜にそう言って、悠也は潤に視線を送り続きを促した。

 潤は軽く頷いてから口を開く。

「霊を煉ると書いて、煉霊。〈煉霊の魔術師〉ってのは、そいつがゴーストを生成、使役する魔術を使うことから付いた名だ。本名は不明。魔族の性質にもいろいろあるが、ゴーストの使役なんて魔術の使い手は珍しい。黒幕が多数のゴーストを操っているという事実から、一番に連想される魔術師がそいつだ」


「ゴーストが黒幕に操られてるって根拠は……ああ、あの器か」


 蜘蛛を模したゴーストの入れ物。

 あれは明らかに人の手によって作られたものだった。


「その通りだ。そしてあの器こそ黒幕が〈煉霊の魔術師〉であることの裏付けでもある」


 一泊置いて潤は続ける。

「少し前までこの辺りにあった神代(かみしろ)って家があってな。それなりに歴史のある魔術師の家で、魂に手を加える研究をしていたんだ」


「魂に手を加える……?」


「魔術師としての素質の大部分は、優秀な魔族と契約を結べるかどうかで決まる。魔族は魔術師の心を目当てに契約に応じるから、重視するのはそいつの魂が生成する心が好みに合うか否か。つまり、魔術師の側から望んだ性質の魔族を引き当てるには、魂の質が重要になる」


「だから手を加える研究をしていた、か」


「最終的には魂の創造を目指していたらしい。ま、実験中の事故で一族全員死んじまったんだけどな」


「――――」

 不意打ちで、悠也は胸の中に重たいものが満ちるような沈鬱さを覚えた。

 実験中の事故なんて魔術に限ったことではないかもしれない。だが悠也にはそれが魔術の世界と死の密接な結びつきを象徴しているように思われた。


「ともかく神代家は魂に手を加える研究をしていた。そしてここで出てくるのが〈煉霊の魔術師〉だ。やつは神代家の人間ではなかったんだが、交流はそれなりにあったらしい。記録にある限りじゃ、件の実験に関わっていた中で唯一外部の魔術師でもある。魔術の実験に必要な大量の心を、神代家は〈煉霊の魔術師〉が生成するゴーストで賄っていたと推測される」


「ゴーストは心と魔力が混ざり合って生じるって言ったでしょ。つまり大量のゴーストを用意できるのは大量の心を用意できるのと等しいってわけ。今回の黒幕がゴーストに人を襲わせているのも同じ理由だと思う」


 悠也が理解できていないことを察したのか、彩夜がそう補足した。


「……なら、今回の黒幕の目的も何らかの魔術実験ってことになるのか」

「実験じゃなくて、何か大規模な魔術を使うつもりなのかも。この辺は根拠のない想像だけど」

「憶測で話すのは後だ。話を戻すぞ」

 脱線ぎみの悠也と彩夜を潤が諫めた。


「重要なのは神代家の遺産――魂の加工に関する技術を〈煉霊の魔術師〉なら所持し得るってことだ。魂は心の器。なら、心と魔力でできたゴーストの器の製作に応用できても不思議はない」

「そうか。神代家の人はみんな亡くなっているから、その技術を使えるのは実験に関わっていた〈煉霊の魔術師〉だけになるのか」

 悠也は魔術については素人だが、筋の通った推測に思えた。


「お前、やっぱり頭いいんだな。織原が悔しそうに褒めるわけだ」

「俺が天才なのはその通りだが神代家について知ってたのは別の理由だ。その実験、敷根家と神代家の共同研究でさ、俺の家族も同じ事故に巻き込まれて死んだんだよ」

 またなんでもないことみたいに潤は言った。

「……ごめん」

「気にすんな、済んだ話だ。家族にいい思い出なんてねえし、死んでも何も思わなかった。……まあ、当時の俺がもうちょい家のことに関わってりゃあ〈煉霊の魔術師〉の顔くらい拝めてたかもしれねえ、ってのだけは残念だな。もっともそのおかげで生き残ったわけだが」

 軽い声音で言う潤に、悠也は何も言えない。


 潤は話を戻す。

「〈煉霊の魔術師〉あるいはそれに近い力を持った魔術師が裏で意図を引いてるのは明白だ。そこで悠也に確認したいんだが……さっきの言葉、二言はないか?」

「さっきの……?」

 突然の問いに、悠也は何のことかわからずぼんやりと返した。

 潤は呆れた口調で言う。




「俺たちはこの事件を解決する。そのための協力を求めていいか聞いてるわけだが」




「ちょっと待って潤」

 彩夜が焦ったように口を挟んだ。

「悠也は魔術師とは関係ないんだよ。ただでさえ色々知ってしまったっていうのに、これ以上関わらせたら」


「そういう話ならもう手遅れだ。今後、悠也は十中八九ゴースト――あの『蜘蛛』の標的になる」


「……どうしてそう言い切れるの?」


「黒幕としても事態を明るみに出したくはないだろうって話だ。大事になって機関から追加の人員が送られてきたんじゃたまらねえからな。自分の操る『蜘蛛』の存在が口外されないよう口封じを目論むはずだし、事実これまではそうやって行動していた」


「それはこれまでの話でしょ。私たちが無事に保護できたのは悠也が初めて。助けられなかったこれまでの被害者とは違う。だいたい、悠也一人が真実を語ったところで、どれだけの人が信じるの。そんなことでたかが目撃者一人、しつこく狙うほどの理由には」


「なるさ。魔術師にとって機関は絶対だ。問題を起こしている以上は何らかの処分を受けることになる。自分にとって不利な証言をする可能性のあるやつは消しておきたいと思うはずだし、目撃者の殺害はポイント稼ぎにもなる。『私はバレないようにやっていました』って言い訳ができるかどうかの差は大きい」


「……っ、確かに、機関の目的は魔術の秘匿。言い方は好きじゃないけど、それがポイント稼ぎになるって理屈はわかる。でもそのために悠也を関わらせたら、機関による悠也の処分はどうなるの」


「どうって、別に何も変わりはしねえだろ。魔術に関わったことを隠し通せれば問題なし。できなきゃアウト。それだけだ」


「その隠し通せる可能性が低くなるって話をしてる」


「だが放って置けば悠也は殺される。どっちがマシかって話をしているつもりだが」


「……それは」


「悠也が黒幕に見逃される僅かな可能性に賭けたいってんなら、その意見も尊重する。所詮は十中八九だ。絶対じゃない」


 その言葉に彩夜はもう何も言い返せず、拳を震わせたまま俯いた。


 潤は右手で二本の指を立てて、

「悠也を守るなら方針は二パターン。悠也を保護するか、悠也を仲間に引き入れるかだ。悠也にとってより安全なのは前者、俺たちにとって都合がいいのは後者。選択権は悠也にある」


 試すような視線が悠也を射抜く。


「俺が決めるのか……?」

「当たり前だろ。誰の命だと思ってんだ」


 無論自分のものだ、とは考えられない悠也がいた。

 この命は彩夜と潤に救われたものだ。協力を求めてくれている潤はいい。だが彩夜はどう思うだろうか。せっかく救った命を救われた本人が蔑ろにするのを、あるいは呆気なく散るのを見て、どんな感情を抱くだろうか。


 懸命な努力やひたむきな思いは軽んじられてはいけない。それらは報われるべきものだ。そう考えている悠也には、この命を大切にする義務がある。

 それなのに。




「俺は……」




 一度だけ踏み止まる。

 冷静な自分が――臆病な自分が、他人任せの言い訳を探す。

 だが今回ばかりは、いくら考えても結論は変わらなかった。




「協力する。俺もお前たちと一緒にやらせてくれ」




「……後悔はしないか?」

「しない」

 いつになく真剣な目をした潤に向けて、はっきりと告げた。


 それから悠也は彩夜の方を向いて、

「ごめん。でも、こんな俺でも誰かを救う手伝いができるならそうしたいんだ。お前が俺を救ってくれたみたいに」

「……」

「この命を捨てるつもりはない。お前たちが助けてくれたことを、徒労にはしない。ただ力になりたいだけなんだ。だから……」


 彩夜は片手で体を抱くように腕を組んでいた。その姿はどこか儚げで、その表情には諦観が滲んで見える。悠也と視線を合わせることなく、小さく息を吐いた。


「そういう言い訳、いらない。別に気にしてるわけじゃないから」

 静かな口調で彩夜は言う。

「こっちこそごめんなさい、気にさせちゃったみたいで」

「いや、別にそんなことは」

 悠也が言いかけたときだった。

 彩夜はにやりと笑い、唐突に茶化した口調で言ったのだ。


「『雑用だって使いっ走りだって、なんだってやってやる!』だもんね」


「……は?」


 突然のことに、悠也は表情を歪めるしかない。

 そして彩夜はからかうように続ける。

「うんうん、そりゃ答えなんて一つに決まってるよね。わかってたわかってた」

「………………、本気で申し訳なく思っていた俺の気持ちを返せ」

「あれ、そんなことはないって言いかけなかった?」

「言いかけなかった! お前に気を使おうとした俺が馬鹿だった! というかお前はたぶんあのまま死んでるべきだった! 俺の中での評価がだだ下がりだ!」

「あ、酷い! へー、悠也ってそういうこと言っちゃうんだー。へー」

「言わせてるのはどっちだ! 最初は本気で凄いやつだと思ったのに!」

「あらありがとう。もっと褒めてくれてもよくってよ?」

「もう褒めるところなくなったんだよお前のせいで!」

「……茶番はその辺で勘弁してくれ」

 潤が本気でうんざりした様子で言った。


「……悠也、お前そういう喋り方もするんだな。結構衝撃的だぞ」

「……今のはイレギュラーだ。そいつが悪い」

「あらまあ、そいつだなんて酷いわ。私、こんなにかわいいのに」

「自分で言うな」

「ふーん、かわいいのは認めてくれるんだ。あ、もしかして照れてるとか」

「なわけあるか!」

「……だからコントを始めるなコントを」

「……すまん。いや今のは俺悪くないと思うんだが」

 思わず大きく嘆息した。なんだかどっと疲れたような気がした。


 だが潤の言う通りだ。

 今はこんな不毛な言い争いをしている場合ではない。


 気を取り直して悠也は尋ねる。

「潤、教えてくれ。俺は何をすればいい」

 少しの間があった。

 潤はふいに口端を釣り上げて、はっきりと言った。

「簡単だ。お前は餌になればいい」


「……………………………………餌?」



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