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吸血少女と人殺し  作者: 伝々録々
第五章 楽園創造
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喪失


 

 膝の上に置いていた肘が滑り落ちて、黒宮悠也は目を覚ました。

 自分の部屋のベッドの上だ。どうやら座ったまま寝ていたらしい。ひとまず寝起きの気怠さを振り払うべく深呼吸。徐々に意識が覚醒していく中で、ふと違和感に気付いた。


「彩夜……?」


 部屋の中を見回す。誰もいない。そんなはずはない。明かりを点けてみるが、悠也一人しかいない部屋の様子が克明に照らし出されるだけだ。机の上には彩夜のパジャマが畳んで置かれていて、机の下に隠してあったサンダルは消えていた。どうやら出かけているらしい。


 いったいどこへ行ったのだろう。


 こんなときこそと思って彩夜のスマホに電話をかける――と、着信音はすぐ近くから聞こえた。見れば、ベッドの上に彩夜のスマホが置いたままになっていた。


「……持ち歩かなきゃ意味ないだろ」

 呆れ口調で呟きながら、何気なくそれを手に取った。すると不在着信を知らせる通知と共に、設定された背景写真が目に入る。ケーキを食べている悠也の写真だった。

 なんとなくむず痒い気持ちになって、悠也は彩夜のスマホを机に伏せた。


 それからしばらくの時間が経過した。部屋の明かりをつけているせいで気が付かなかったが、いつの間にか日が昇っていた。それでも彩夜が帰ってくる気配はない。悠也の『魔術師の勘』は、付近に彩夜の魔力の気配を感じていなかった。


 胸の内に不安が募る。

 吸血衝動に襲われた彩夜が、どこかで誰かの血を吸ってしまっているんじゃないか。それだけならまだいい。昨夜の幸姫のように理性を喪失し、生き血を求めて彷徨い続けているとしたら。そのせいでずっと一緒にいるという約束すら忘れてしまっているとしたら。最悪、もう帰って来ないという可能性もありえるのだ。


 居ても立っても居られず悠也は家を飛び出した。だが手がかりは何もない。いくら『魔術師の勘』があるとはいえ闇雲に探していてはどれだけ時間がかかるかもわからない。


 居場所を知っているとすれば霧崎だろうか。

 そう思い電話をかけようとして、やめた。もしも彩夜が理性を喪失して誰かの血を吸っているなら、それを知った霧崎が彩夜を殺そうとするかもしれない。同じ理由で倉沼にも聞けない。昨夜は幸姫を助けようとしてくれたが、それにより大きな被害が出た今も同じように味方してくれるとは限らない。


 とにかく、彩夜を殺してしまいそうな人に頼るべきではない。

 彩夜が自分の中の衝動を我慢できなくなっているなら悠也のこの判断のせいでまた大勢の被害が出るかもしれないが、それで構わない。酷い身内贔屓だと冷静な自分が苦笑するが、それでも本音は変わらない。


 別に命の価値がどうこうと言いたいのではない。

 ただ、悠也には約束がある。だから今の悠也には、彩夜の命を切り捨てるという選択肢がそもそも存在していない。


 そうして次に思いついたのはカフェ・Vivreの店長熊井彰隆。

『いや、知らねえな。俺が彩夜ちゃんを見たのは昨日お前と店に来たときが最後だ』

「……そうですか」

『俺も店の周りを中心に探してみる。見つけたら連絡するよ」

「お願いします」


 その次にいのりにも電話してみたが繋がらなかった。まだ寝ているのかもしれない。


 そのまましばらく歩き回ったが彩夜を見つけることは叶わず、悠也は一度家に帰ることにした。とりあえず吸血騒ぎが起きている様子はない。案外、待っていればけろりとした顔で帰ってくるかもしれない。


 玄関のドアを開けて靴を脱ぐ。ふいに二階から足音が聞こえてまさかと思いながら階段を駆け上がったが、そこにいたのは彩夜ではなかった。


 毛先の傷んだ伸ばしっぱなしの黒髪に、寝不足を感じさせる目の下の薄い隈。それでも不健康そうな印象を受けないのは、彼女の明るく気の強い人柄の影響が大きい。


 名を黒宮遙。黒宮悠也の母親だ。


「……なんだ、母さんか」

「な、なんだって何よ。ていうかどこ行ってたのこんな朝早くから」

「別に」

 咄嗟に上手い言い訳が思い浮かばなかった。

 しかし遙はそれを追及することなく、どこか逸るような口調で言った。

「まあいいわ。正直それどころじゃないの。今すぐ出かける支度して」

「……いや、俺は」


 ここで彩夜の帰りを待っていなければならない。

 そんな悠也の思考を吹き飛ばしてしまいそうなほど、遙の次の言葉は衝撃的だった。


「悠香が目を覚ましたの」






    ◇






 遙の車で病院に向かい、現地で父親の和久とも合流した。話を聞くと職場から病院に直行してきたらしい。昏睡していた娘が目覚めたという理由で職場を離れられるなんて実は結構まともな会社なのではないかと和久は見直したらしいが、早朝まで職場にいる時点でそんなことはないだろうと悠也は思った。


 病室に着くと、予想外に元気な悠香が出迎えてくれた。遙が感涙しながら悠香を抱きしめ、悠香は照れくさそうに身を捩り、それを和久が温かい眼差しで見ている光景が、しかし悠也にはどうしてだか他人事に感じられた。医者から容体が安定していることを告げられたときも同じ。両親と同じようにベッドを囲んでいても、どうしてだか疎外感が付きまとった。


 嬉しくないわけではない。黒宮悠香は最愛の妹だ。いつかはと信じていたが、本当に目覚める根拠はどこにもなかった。だからこれは奇跡と言ってもいいくらいの幸福な出来事で、それを喜ぶ気持ちは悠也にも確かにあった。ただどうしても彩夜の行方が気がかりで、目の前の奇跡を素直に祝福できなかった。


 それに悠也はもう知ってしまっている。

 目の前の暖かな家族と自分とでは、もう住む世界が違うのだということを。


「ていうか二人とも仕事は?」

「そんなの切り上げてきたに決まってるだろう。今日ばかりは特別だ」

「そうよそうよ。娘の一大事なんだから仕事なんて二の次よ」

「いや嬉しいけどさ……それでいいの?」

「いいのよこういう時くらいしか休めないし。ねえお父さん」

「ああ。なんなら今日帰って来れたのが未だに信じられん」

「いやいやいやおかしいでしょそれ。なに、それが大人の普通なの?」

「細かいこと気にしないの。悠香のおかげで家族四人久々に団欒できてるんだからここは胸を張りなさい。滅多にないでしょこんなこと」

「滅多にないのをもう少し疑問に思うべきなんじゃないかな……」

「謙遜するな謙遜するな」

「謙遜なんてしてないよ!? ……お兄ちゃんちょっとこの二人どうにかして」

「ん……ああ、そうだな」


 唐突に話を振られ、悠也はあまり考えずに返した。

 しかしそれは見抜かれていたようで、悠香は悠也に半眼を向けた。


「今明らかに話聞いてなかったよね」

「……何か差し入れに持ってこよう。欲しいものあるか?」

「話の逸らし方が雑過ぎるよ!」


 悠香は疲れたように息を吐いた。実際話は聞いていなかったのでそこは反省する悠也だが、気持ちは別のところにあってそれどころではなかった。

「……お兄ちゃん?」

 悠也の様子を不審に思ったのか、悠香が心配そうな顔をする。

 と、そこで遙が「そういえば」と思い出したように言った。




「悠也、さっき悠也の部屋でかわいいパジャマ見つけちゃったんだけど、あれ誰の?」




 病室が凍り付くように静まり返った。

 悠香と和久が同時に遙へ顔を向ける。無論その瞳に映るのは好奇心ただ一色。

「えっ、なになにお兄ちゃん私がいない間に女の子連れ込んでたの?」

「嫌な言い方をするな。あれは違くて、だから、その、そういうのじゃないんだ」

「……え。てことは……お兄ちゃん、まさか自分用?」

「何故そうなる!?」


 思わずそう言ってからハッとした。

 ――自分のものということにした方が誤魔化すのは楽だったのに!


「そういえばこの前、悩んでる友達の力になりたいとか言ってたなー」

 和久が白々しい顔で言った。

「ちょっとそれどういうこと。私聞いてないんですけど」

 遙が前のめりに食らいついた。

「わ、私の知らない間にお兄ちゃんに何が……?」

 悠香が芝居がかった大げさな声音で呆然とした風に呟いた。


「いや何もないから。標的が俺に変わった途端に生き生きとするな」

「お兄ちゃん愛してる」

「お前俺以上に雑だろ話の逸らし方」

「まあまあ気にしない気にしない。それよりお兄ちゃんの話聞かせてよ」

 違和感がある。


「ほんと違うんだって。お前が邪推するようなことは何も」

 違和感がある。


「その割には真剣だったじゃないか。どうしたらいいかわからないって」

 違和感がある。


「父さんにはちゃんと説明しただろ。恩人なんだよ」

 違和感がある。


「わかった。とりあえずその説明を母さんにもしてみなさい。お父さんだけずるいわ」

 違和感がある。


 どうして自分は、当たり前みたいにこの場に馴染んでいるのだろう。


 自分はここにいてはいけない人間のはずだ。魔術と関わり続ける限り、悠也の存在は周囲の人を危険に晒す。だから、彩夜と一緒に一刻も早く立ち去らなければならない。そのはずだ。そう覚悟を決めたはずだ。それなのに。


「あ……」

 窓際の逃げ場のないところで遙に詰め寄られたせいで、花瓶に手を引っ掛けた。かしゃーん、と音を立てて破片が飛び散る。慌てて拾おうとする悠也を遙が止めた。

「待った悠也、怪我するわよ」

「大丈夫だって。……痛っ」

「ほら言わんこっちゃない。ちょっと見せてみなさい」

「……これくらいすぐ治るから」

「いいから見せなさい」

 遙に強く言われ、渋々片手を差し出す。和久は掃除用具を借りてくると言って部屋を出ていった。


「やっぱり結構深く切れてるじゃない……絆創膏持ってたかしら」

 バッグの中を探しながら遙は言う。

「とりあえず水で洗ってきなさい。ばい菌入るといけないし」

「了解。……ただその子ども扱いはやめてくれ。何歳だと思ってるんだよ」

「何歳だってかわいい我が子であることに変わりないわよ。ねえ悠香」

「んー、ちょっと同意しづらいかも」

「あらそう?」

「うん。でもお兄ちゃんが照れてるのは見てて面白いからオッケー」 

「誰が」


 病室を後にし、水道を求めてトイレに向かった。とはいえこの程度の傷なら強がりでもなんでもなく心配は無用だ。契約魔族の力によってたちまち塞がってしまうことだろう。怖いのは傷の治りの速さを遙から疑問に思われることの方で、そちらは何か上手い言い訳を考えておかなければならない。


 だがそれより気を付けなければならないのは、今のちょっとしたやり取りに心が和らいでしまったことかもしれない。


 もう随分と忘れていた感覚だ。悠香が〈煉霊の魔術師〉の操る蜘蛛の餌食になって以来、遙はそれまで以上に仕事に打ち込むようになり、悠也と顔を合わせる時間は短くなった。たまに同じ食卓を囲んだときにも、なんとも言えないどんよりした空気が付きまとっていた。和久とはつい先日話したが、そのときも悠香のことを引きずるような話題は出た。だから、こうして馬鹿みたいな話で盛り上がるのは本当に久しぶりだった。


 以前、彩夜から「妹の前だとキャラが違う」と言われたことがある。当時はさほど気にしなかったが、確かに家族と一緒にいる時間はそれ以外の誰かといるときとはなんとなく違う。何がと聞かれて上手く答えられる自信はないが、ただなんとなく心が落ち着くのだ。




 だがもうそれではいけない。

 あの家族はもう、黒宮悠也の居場所であってはならない。家族を大切に思えばこそ、魔術と関わりを持つ悠也がこれ以上その輪の中にいるわけにはいかないのだ。




(……で、彩夜はどこにいったんだか) 

 立ち去るなら二人一緒にだ。

 彩夜が見つかっていないのに悠也一人でここを離れるわけにはいかない。


 頭を悩ませながら通路を歩いていると、前方に見知った顔を見つけた。長めの前髪の影響もあってかおとなしそうな印象を受ける小柄な少女――水無月いのりである。

 悠也が気付いたのとほぼ同時、いのりも悠也に気付いた。


「先輩……?」

「まさかいのりがいるとはな。どうしてここに?」

「……その、私は霧崎さんにおつかいを頼まれて」

 伏し目がちに答える声はか細く、躊躇いながら話しているように聞こえる。

「先輩こそどうして」

「俺は妹の見舞いだ。ずっと入院しててさ。――ところで、彩夜がどこにいるか知らないか。あいつ、スマホ置いたまま出かけててさ。せっかく買った意味が無いというかなんというか」


 言葉の途中で、悠也はいのりの異変に気付く。

 妙に静かだ。顔を伏せたままピタリと停止し口を閉ざしてしまっている。何か引っかかることを言ってしまっただろうか。わからないが、この反応はちょっと普通じゃない。


「知らないならいいんだ。……ただ、できれば霧崎さんにはまだ黙っていてほしい」

 悠也がそう言ってからもいのりは沈黙を守ったままだった。

「……いのり?」

 不審に思いもう一度声をかけると、ぽつりと零すような呟きが返ってくる。




「……たぶん、霧崎さんは彩夜さんの行方を知っていると思います」




 予想外の言葉に、最初理解が追い付かなかった。

 そんな悠也を見もせず、いのりは悠也に背を向ける。

「ついてきてください。霧崎さんの病室まで案内します」

「……霧崎さん?」

 意外な名前に悠也は思わず聞き返した。

「霧崎さんが入院しているのか。どうして」

「……」

 いのりは悠也の言葉に答えることなく歩き続け、悠也も無言でそれを追った。


 なんとなく嫌な予感がする。家族といる時間に薄れかかっていた胸の内の不安が、加速度的に膨張していく。何故霧崎が彩夜の居場所を知っているのか。どうしていのりはそう思うのか。いのり自身は知らないのか。それとも知っているけど話せないのか。そもそも彩夜は今どこにいて、何をしているのか。


 そうこう思案している内に、二人はある病室の前に到着した。一人用の個室だ。

 スライドドアを開けたいのりに続いて中に入る。

「戻ったか。随分早かったじゃないか」

 ベッドの上の霧崎は手元のタブレット端末に目を落としたまま言い、それから二人の方を向いて僅かに驚いた顔をした。悠也がいるのが予想外だという顔だ。

「……黒宮も来たのか」

 口調は妙に静かだった。

「霧崎さん、彩夜がどこに行ったか知ってるって本当ですか」

「死んだよ」

「……………………………………………………………………………………え?」



「死んだんだ。あいつは、私と倉沼を逃がそうとして犠牲になった」





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