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吸血少女と人殺し  作者: 伝々録々
第五章 楽園創造
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夢の終わり



「あいつを倒さねぇ限り、俺たちは逃げることすらできねえってわけだ」




 倉沼がそう言って、彩夜は息を呑んだ。

「……できると思う?」

「やるしかねえだろ。ただ残念なことに……魔眼の方は打ち止めだ」


 彩夜はハッとして倉沼を見る。

 その双眸から蒼い光は消え失せ、ただ黒瞳のみが残っていた。


 倉沼の魔眼は元々倉沼のものではない。死んだ友人から連結の魔術によって受け継いだものだ。故に、その効力は友人が遺した魔力を使い切った時点で失われる。それが今だった。


「一応、しばらくは効果が残存するはずだ。その間になんとかしねえとな」

 倉沼は隣で強がるように口角を上げたが、状況はかなり厳しい。

 相手はあの霧崎楓ですら敵わなかった魔術師だ。その上倉沼は満身創痍でまともに戦えず、こちらには今にも息絶えそうな霧崎を庇いながら戦わなければならないというハンデがある。破荒も〈深淵の魔眼〉の効力が切れるまでは満足に魔術を扱えないが、それでも空間の裂け目を塞ぐくらいのことはできてしまう。勝てない、倒せない、だけではない。ただ逃げることすら雲を掴むように難しい。

 だから、彩夜は自然とその結論に行き着いた。


「倉沼くんは霧崎さんを逃がすことに集中して」


「は? お前」

「今この場でまともに戦えるの、私しかいないでしょ。それにこのままじゃ霧崎さんはそう長くない。一刻も早くここから連れ出さなきゃいけない」

「……だがそれじゃお前が」

 倉沼の悲痛な表情が、その先に続く言葉をこれでもかと語っていた。

 そう。彩夜が一人で戦って破荒に勝てる可能性など万に一つもありえない。

 だから倉沼は彩夜の決断を自己犠牲と受け取った。

 実際、彩夜はずっとそういう生き方をしてきた。

 誰よりも自分が傷つく選択のみが、何よりも彩夜を救ってくれた。

 だが、

「心配しないで」

 今の彩夜に、そんなつもりは毛頭なかった。


「私は死なない。絶対に譲れない約束があるの。だから信じて」


 彩夜は変わった。変わることができたし、変わってしまった。

 だからこれはつまらない自己犠牲などではなく、全員が生き残るための最善の選択。

 倉沼にもそれはわかっていたのだろう。だから倉沼は眉間の皺を一層深くし、歯を食いしばり、絞り出すようにただ一言を返してきた。

「わかった」


 そうして作戦は決まった。

 彩夜の手元に紫紺の光が生じ、魔力の刀に形を変える。霧崎が残る力を振り絞って授けてくれた刀だと理解するのに時間はかからなかった。

「ありがと」

 跡切刀を折りたたんでポケットに入れ、代わりに刀を握る。数歩前に出る。

「ごめんなさい、待たせちゃった?」

「……構わん。こちらも自分の状態を確認していた。厄介な魔眼を使われたものだ」

「そっか。時間稼ぎしたかったのはむしろそっちってわけね」

 このまま時間が経てば〈深淵の魔眼〉の効果が失われ、破荒は魔術を取り戻す。こちらの唯一のアドバンテージが失われる。


 故に彩夜は動いた。


 持ち前の身体能力を最大限利用し、速度で破荒を翻弄。背後から斬りかかるが、破荒はそれを見ていたかのように回避する。身を捻り、今度は正面、下から一気に振り上げるが、これも避けられる。その間に倉沼は逃走のための空間の裂け目を次々と生み出すが、破荒はそのすべてを確実に閉ざしていく。


 埒が明かない。突破口が見つからない。

 時間は刻一刻と経過していく。魔眼の効果が切れる前になんとか隙を作らなければ――。

 と、そんな彩夜の思考が突如途切れた。




 刀を持った右の手首が、破荒に掴まれてしまったからだった。




「――――ッ!?」

 視界がぐるんと回転する。一瞬の無重力。掴まれた手首に破荒の指が沈む。溶けるように手首の肉が消える。切断される。手首から先の感覚はもうない。困惑する間もなく体は地面に叩きつけられ、肺の空気が一気に抜けた。

 刹那の空白から意識が戻ると、こちらを見下ろす破荒が見える。

 彩夜は仰向けに倒れていた。

 咄嗟に倉沼が動こうとするが、それを破荒は片手で制止する。

「動くな。そのときがこの少女の最期だ」

「っ……」

 倉沼はその場で歯を食いしばった。そもそもが満身創痍。この状況で彩夜を助けることなどできるはずもなかった。


 破荒は彩夜を見下ろして告げる。

「愚かなことをしたな。私には達成すべき目的がある。故に、邪魔をするものは例外なく排除すると決めている」

「……目的って?」

 尋ねると、破荒は勿体ぶりもせずに答えた。


「全人類を不死身とすること。誰もが死の恐怖と絶望から解放された楽園の創造だ」


 意外だとは思わなかった。むしろ納得した。

「それで私に人の血を吸わせてたわけだ」

「まだ研究課程に過ぎんがな。吸血鬼の物語に着想を得、血液を媒介して間接的な契約を行う方法を模索した。魂への負荷を軽減する汎用契約術式をあえて組み込まず、代わりに吸血を繰り返すことによる契約共有者の増加により個々への負荷が軽くなるよう契約術式を構築し、お前に吸血を促した」

「……にしては私、同じ人の血でも吸血衝動は抑えられてたけど」

「それは私の想定にはない。おそらくは吸血に伴う負荷の軽減が脳の報酬系を刺激し、一種の依存症になっていたのだろう。快楽物質の過剰分泌で魂への負荷が覆い隠された結果、一時的に吸血衝動が静まっているように感じられたのだ。……しかし、苦痛の軽減により理性の放棄を防げるとは。これはまだ考証の余地があるか。――感謝しよう。君のおかげで、私はまた一歩理想に近づいた」

「そりゃどうも。でも、元々は私に幸福を約束してくれるって触れこみじゃなかった?」




「お前は実験のために生み出した観鳥彩夜の複製体だ。私が約束したのはお前ではない」




 彩夜は驚き目を見開いた。だがすぐに腑に落ちた。

「……そういうこと」

 この男の行動は基本的には善意なのだろう。でなければ人類全員を不死にしようなどとは考えない。きっと観鳥彩夜のことも本気で幸福にしようとしていて、そのために生み出されたのがここにいる彩夜。初めから、そのためだけに与えられた命だった。


「私を恨むか」

「別に。あなたのおかげで体験できたこともたくさんあるから」

 心からの言葉だった。

 なんといっても悠也と出逢えた。その点では感謝していると言ってもいい。

「恨むべきだ。今この場において、私はお前の命を奪わんとする悪魔なのだから」

 その言葉で、目前に迫った死を改めて自覚させられた。

 ほかならぬこの男の言葉だ。実は殺せないなんてオチにはならないだろう。実際、失われた彩夜の右手首から先は再生していない。破荒に彩夜を殺す手段があるのは間違いない。


 だから、紅野彩夜はここで死ぬ。


 ……失敗したなぁ。

 心の中でぼやいた。

 散々死ぬための大義名分を探していたのに、いざ死を前にしてみると頭の中が後悔でいっぱいだった。


 だって、やり残したことが多すぎる。


 まずせっかく買ったスマホをほとんど使えていない。

 一回くらい悠也と電話してみたかった。夜が更けるまで長話をして、他愛の無いことで笑い合って、その流れで一緒に出かける約束とかがしてみたかった。一緒に暮らすのにわざわざ電話をする意味はないかもしれないけれど、意味が無くてもしてみたかった。

 いざ出かけるときもわざわざ外で待ち合わせして、普段と少し違う格好をして、悠也はきっと呆れ顔で「それで外で待ち合わせしたのか」なんて言いながら納得して、でもどうせ悠也のことだから平静を装っても内心驚いてるのは態度に出るのだ。そしたらそれを軽くからかって、それから出発だ。あるいはまったく驚いてくれなくて落胆するかもしれないけれど、それはそれでいい。こうして妄想の中で一喜一憂するのですら心躍るのだから、現実ならどう転んだって幸せいっぱいに決まっている。


 というか、そもそも悠也は彩夜をどう思っているのだろうか。


 大切に思われている実感はある。でもそれがどういう気持ちなのか確認したことはないし、なんなら彩夜から伝えたこともない。

 思い切って愛してほしいと言ってみれば良かっただろうか。

 そうしたら悠也はなんと答えただろうか。

 つい数時間前に幸姫が特別だったとか宣ったことを考えると不安があるが、しかし言葉を選んでのあれなら意外と可能性があるような気もする。それともそう思いたいだけだろうか。わからないが、そうだったらいい。そうだったら、まずは吸血なんかじゃない普通のキスをしてみたい。今思い返すとあの強引なのも悪くなかったけれど、やっぱり少しムードに欠けていたと思う。だからできればもう少しらしい感じでやり直しをお願いしたい。


 ……なんて、そんなことばかり、延々と頭の中を駆け巡って。

 

 ああ、やっぱり自分は欲張りだ。

 そんな、とうの昔に気づいていたことを改めて自覚する。

 本当に酷くて、救いがない。大勢の人生を狂わせた自分にそんな資格はないとわかっているのに、欲望は尽きることがない。それも悠也のことばかり。


 あまりの馬鹿馬鹿しさに、思わず笑みが溢れた。

 そんな彩夜を奇妙に思ったのか、破荒は不審そうに眉根を寄せた。

「何がおかしい」

「自分の馬鹿さに呆れてただけ。なんか面白くなっちゃってさ」

 妙な話だと思う。今やずっと魔族化状態で大量の心を魔族に差し出し続けているというのに、まだ面白いと感じる余裕があるだなんて。愛情が溢れて止まらないとかそういうのだろうか。きっとそうだ。破荒が言うように快楽物質が魂への負荷を和らげてくれるなら、この胸を満たす気持ちで幸せいっぱいな脳が負荷を和らげてくれているのかもしれない。


 と、また思考が馬鹿っぽくなってきたのに気付く。

 ほんと、どうして自分はこうなのか。呆れると同時、今更な本音が口を出た。




「私、やっぱり死にたくないや」




 直後、彩夜は跳ねるように身を捻りながら体を起こした。

 そのままの勢いで破荒に回し蹴りを繰り出す。

 だが破荒はそれを片手で捕んで受け止めた。




「誰もがそうだ。故にこそ私は人類を死から解放する」




 掴まれた足首を中心に、彩夜の右脚が一気に膝まで消滅する。

 支えを失った体はその場でバランスを崩してへたり込み、彩夜は立ち上がることすらできなくなった。失われた右脚は再生する気配がない。右手もそうだ。破荒の使ったなんらかの手段が再生を阻害している。これではもう一人で逃げることすら叶わない。


 そんな彩夜の前で破荒は片膝をつき、右手の指先で彩夜の喉に触れる。

「これで終わりだ。君の命を奪い、そこの二人の命を奪い、私は生き永らえる。そしていつか人が死ぬことのない楽園を創造する。観鳥彩夜にも約束した幸福を実現すると、君にも誓おう」


 破荒が言う間、彩夜は残された左手で自分の首に伸ばされた破荒の腕を掴んでいた。

 無駄な抵抗だと破荒は思っただろう。




 だが次の瞬間、破荒の腕が空間に溶けるように消滅した。




「――ッ!?」

 慌てて距離を取る破荒。同時に彩夜は手首から先がない右腕とまだ残っている左足で地面を蹴って体を前に進めた。破荒に向けて左手を伸ばす。狙うは心臓。始めからそこを狙わなかったのは、露骨にやれば悟られると思ったから。方法は少し考えれば破荒にも予想できるものだ。だからどうにかして油断を誘い、確実に決められる隙を作る必要があった。


 予想外の反撃に動揺している今こそが最大の好機。


 届けば勝てる。


 そう信じて伸ばした左手は、しかし刹那の差で破荒の体に触れられず虚空を掴んだ。


 破荒は失った右腕の切断面を押さえながら、彩夜に驚愕の目を向ける。

「どういう……ことだ」

 目に見えて動揺しているのが面白くて、彩夜の口角が釣り上がる。

「驚くことないでしょ。あなたが私の手足を世界に溶かすことで消したように、私もあなたの右腕を消しただけ。実は私の契約魔族って、あなたと同じなの」

「……馬鹿な。その術式をお前に授けた覚えは……いや、そうか。体が世界に溶けて消える感覚を自らの身で体験して覚えたのか、今この場で」

「大正解」


 自分の契約魔族の性質が万物との一体化であるという仮説は、霧崎からメールで報告を受けていた。幸姫が消えた理由が一体化の弊害であることも、それを破荒が戦闘に利用できる可能性があることも。霧崎にとっては自分の仮説を不老不死の当事者である彩夜の目で確認してもらう意図だったのだろうが、それが役立った。


 触れた部位と一瞬だけ一体化し、それを世界に溶かすことで消失させる魔術。

 まだ完璧に使いこなせるとは言えないが、どうにか感覚は掴んだ。


「私に通じる攻撃なんだから、当然あなたにも通じるでしょ。それとも、またもう一人あなたが出てくるって話になるのかな」

「……いや。我が複製の魔術において、一つの対象を元にした複製は同時に一体までしか存在できず、複製を元にした複製も行えない。現存する複製の破荒墨影から新たな複製が生まれることはない」

 しかし、と破荒は続けた。




「まさかこの私が、襲撃者をみすみす逃がすことになるとはな」




 彩夜は視線を横に向ける。そこにいたはずの倉沼と霧崎の姿は既になかった。作戦通り、彩夜が作った一瞬の隙をついて逃げることに成功したのだ。

「しかもこの状況を招いたのが、自ら生み出した複製体とは」

「……もし私が観鳥彩夜の複製体でしかなかったら、こうはならなかったかもね」

 彩夜が言うと、破荒は訝るように眉根を寄せた。言葉の意味がわからなかったのだろう。

 だから彩夜は得意げな気持ちになって、笑顔で続けた。




「私は紅野彩夜。複製だろうとバケモノだろうと、私の大好きな人は絶対にそう言ってくれる。だから私は戦える。あなたを倒して彼との約束を守るために」




「まだ戦う気でいるのか」

「当然」

「……今の一撃はお前にとっても最大の好機だった。次はない」

「なくても諦めらんないよ。もう約束しちゃったんだから」


 どこにも行かない。世界が終わるまで一緒にいる。


 そう約束したからには諦めるなんてありえない。

 それは悠也を裏切るのと同じだから。

 それだけは許せない。ほかならぬ彩夜自身が、悠也を裏切る自分を許せない。

 だからそれがもう果たされない約束だとわかっていても、悪足掻きはやめられない。


 熱く心臓が脈打つ。

 片足で立ち上がる。

 バランスを崩して倒れる。もう一度。

 また倒れる。もう一度。

 心は折れない。何度でも立ち上がる。それは苦でも何でもない。


 そしてようやく片足で立つことに成功したとき、目の前から破荒の姿が消えた。

 胸の中心に違和感。

 視線を落とすと、背後から突き刺さった破荒の腕がそこにあった。


「その不屈の精神には敬意を表そう。しかし、それもここまでだ」


 心臓。命を象徴する臓器が破荒の手に握られている。

 かつて跡切刀で胸を貫かれた潤は、そこを中心に全身が紅の粒子となって消えた。

 同じように、紅野彩夜の中心もきっとそこにある。


 破荒に握られた心臓が消えた。闇に溶けるように消えてなくなった。

 消失は徐々に広がる。肉体が形を失っていく。

 紅野彩夜という存在が、世界に溶けてなくなっていく。




 それでも、まだ。




 右腕を持ち上げる。胸元へ。心臓を掴んでいた破荒の左手に触れるために。

 破荒の右腕は彩夜が消した。同じように左手も消せるはずだ。

 触れることさえできれば。


「無駄な足掻きだ」

 破荒の手が彩夜から抜ける。支えを失った彩夜の体が放り出される。

 彩夜は振り向きながら右手を伸ばす。しかし破荒には届かない。


 と、そこで破荒は怪訝な顔をし――ハッと目を見開いた。

 気付いたのだ。彩夜が何故、わざわざ手首から先の失われた右腕で破荒に触れようとしていたのか。その理由が、まだ残っている左手で別のことをするためだったのだと。




 そこには跡切刀が握られている。




 跡切刀で破荒を殺せるかどうかはわからない。殺せないかもしれない。

 だが跡切刀が最初に破荒につけた傷はまだ残っている。いくら破荒墨影が不滅といえど、肉体はもうここにある一つしかない。それなら殺せなくたって、多少の時間を稼ぐことはできるかもしれない。そうすれば逃げられるかもしれない。


 彩夜は気づいてた。

 霧崎と倉沼が立ち去った場所に、倉沼の空切刃が残されていることに。

 倉沼は信じたのだ。

 彩夜が破荒を打倒し、残された空切刃でこちら側の空間に裂け目を作ると。

 破荒が裂け目を閉ざす力を使う以上、それだけが唯一全員で生き残る方法だと。


 だから諦める必要はなかった。諦める理由がなかった。

 どんなに細い糸だろうと、望みを託すことに躊躇いはなかった。

 ただ約束を守るために、彩夜は破荒に向けて跡切刀を突き出した。


 だが、破荒は無慈悲な現実だけを静かに告げた。

「惜しかったな」

 既に始まった肉体の消失は止まらない。

 彩夜の体はもう形を残していない。

 最後の最後まで跡切刀を握っていた左手も、破荒に届くことなく消え失せた。


 カラリと軽い音を立て、跡切刀が地に落ちる。

 それが、紅野彩夜の最期だった。




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