死闘
「〈斫断・千本骨刃鎧刀〉」
霧崎の声に応じるように、紫紺の光が〈千本骨刃鎧刀〉から放出された。化身を構成する漆黒の刃が剥がれ落ち、そこには激しく揺れ動く光の糸のみが残される。霧崎を守護する巨大な肋骨も、敵を引き裂く指先も、無数の光の糸が寄り集まって形を成している。髑髏の奥の眼は黄金の炎。
それは物理的な実体を持たない魔力の化身だ。故に触れることは叶わない。そしてその魔力が切り裂くのもまた実体ではなく、物理的には触れられない概念。概念に干渉する仕組みは十年前に作った跡切刀の時点で完成していた。今回はその応用だ。破荒墨影と世界を分断し、残った破荒墨影という概念を切り刻むために生み出した切り札。
「さあ、本番はここからだ」
閃光が走った。
化身から稲妻のように伸びた無数の光が破荒を襲う。破荒は回避するが、そこには別の光が伸びて待ち構えている。まずは直剣を持つ右腕を落とした。
「くっ……」
「まだだ!」
破荒が怯んだ一瞬を狙い、闇を裂いて光が飛ぶ。破荒もそれに気付いたが、回避するには間に合わない。かろうじて身を捻った瞬間、左腕が飛ぶ。これで両腕が失われた。
追撃の手は緩めない。
〈斫断・千本骨刃鎧刀〉の欠点は魔力の消費が激し過ぎることだ。普段は刃の形に固めることで消費を抑えている魔力が、〈斫断〉においてはすべて垂れ流しになる。当然それに伴い霧崎の心は契約魔族に捧げられていく。このまま五分もすれば霧崎はすべての心を使い尽くし、最悪の場合魂の破損した廃人になる。それがタイムリミット。彩夜の魔族化に比べても圧倒的に燃費が悪いのは、構想からまだ数時間しか経っていない故の調整不足も原因の一つだ。
自然、狙いは短期決戦ただ一つとなる。
両腕を失った破荒へ向けて、紫紺の閃光が束となって放射された。
しかしそれは阻まれた。破荒の眼前に突如生じた紫紺の閃光によって相殺されたのだ。
「な――」
驚きを隠せない霧崎の眼前で、それは形を成す。
紫紺の光の糸――魔力によって構成された人の骨格。四本の腕を備えた上半身。その巨体に比例して巨大な肋骨は、破荒を守護するように配置されている。
「〈斫断・千本骨刃鎧刀〉……だったか」
「奪われた……? いや違う、〈斫断〉はまだ私の支配下にある。……あるはずだ」
霧崎の〈斫断・千本骨刃鎧刀〉は消えていない。二体の光の化身が睨み合っている。
それはありえないことのはずだった。破荒の魔族の力は一体化。破荒が〈斫断・千本骨刃鎧刀〉を使用するなら、霧崎のそれが奪われていなければおかしい。現実はその理屈と矛盾する。
「安心したまえ、お前の魔術を奪ったわけではない。お前の言う万物との一体化。その性質を有する魔族と契約するよりずっと前から、私にはあらゆるものを複製する魔術が使えた。それだけのことだ」
なんでもないことのように破荒は言ったが、霧崎は驚きを隠せない。
「二重契約者……だというのか」
複数の魔族との契約。それを成し遂げた者は魔術師の歴史上でも数えるほどしかいないにも拘わらず、破荒は実現した。確かに霧崎の『魔術師の勘』が捉えた破荒の魔力は彩夜たちとは若干異なっていたが、まさかそれが二重契約によるものだったとは。
もし今破荒が使用しているのが霧崎とまったく同じ〈斫断・千本骨刃鎧刀〉だというのなら状況は絶望的だ。唯一の欠点である消耗の激しさを覗けば〈斫断・千本骨刃鎧刀〉は攻防一体の隙のない魔術である。使用するのが初めてであるだけに、欠点らしい欠点は使用者である霧崎にも把握できていない。それが裏目に出た。
――いや、まだ負けたわけではない。
今の破荒には両腕がない。〈斫断・千本骨刃鎧刀〉によって切り落とされたその腕はもう再生しない。だから完全同一の魔術の使い手としては霧崎に分がある。文字通り手数では勝っているのだ。そこに勝機はある。
両手を構える。生じるのは二振りの刀。その刃は明滅する魔力の光。
獣の咆哮が如き裂帛の声を上げて、霧崎は破荒へ向けて突っ込んだ。
互いの〈斫断・千本骨刃鎧刀〉がぶつかり合う。無数に放出され続ける魔力の刃が、幾度となく衝突しては掻き消える。その間に霧崎自身が破荒の懐に飛び込み、両手に構えた光の刀を振り下ろす。〈斫断・千本骨刃鎧刀〉の肋骨が駆動し阻まれる。斜めに振り上げる。また阻まれる。真横に真一文字。阻まれる。霧崎の背後の化身から無数の光が放射されて破荒を襲う。すべて相殺される。まだ終わらない。ひたすらに攻め続ける。
だんだんとわかってきた。
破荒の〈斫断・千本骨刃鎧刀〉はただそこにあるだけだ。自動で霧崎の攻撃に反応こそするものの、破荒の意思では動かせない。思えば破荒はその魔術を複製と呼んだ。そっくりそのままのものを生み出すだけで、自在に操るまでには至らない。仮にこれが普通の〈千本骨刃鎧刀〉なら、万物との一体化を可能にするもう一つの魔術で複製したものを自らの支配下に置けたかもしれないが、剥き出しの魔力である〈斫断〉の場合はそうもいかないのだろう。それなのにわざわざ〈斫断〉を複製したということは、複製の魔術は破荒の目の前にあるものしか対象にできない可能性が高い。過去に複製したほかの魔術が繰り出されることはない。
勝ち目はある。決して無謀な戦いではない。
霧崎は確信と共に刃を振るう。
――ずっと、この日のために生きてきた。
数多くの大切なものを切り捨ててきた。見て見ぬ振りをし続けてきた。そうしなければならないと自分に言い聞かせ、いつしか後戻りはできなくなった。その日々が今、ようやく終わろうとしている。
駆動する破荒の〈斫断・千本骨刃鎧刀〉の肋骨を、左手の刀で止めた。
僅かに生まれた隙間。ほんの一瞬の機能停止。
この瞬間を狙っていた。
霧崎は迷うことなく肋骨の内側に潜り込む。止まらない。そのまま右手の刃を全力で振り下ろす。肩から袈裟斬りにされた破荒から血液が噴き出す。破荒が愕然と両目を見開く。霧崎は構わずトドメの一撃を放つ。二つの刀を水平に薙いで破荒墨影を斬殺する。
崩れ落ちるようにして破荒は倒れ、彼を守っていた魔力の化身も霧散した。
霧崎も〈斫断・千本骨刃鎧刀〉を解除し、荒い呼吸を整えながらそれを見下ろす。
ふと、胸のあたりに違和感があった。視線を落とすと、霧崎の心臓に漆黒の刀が突き刺さっている。それが〈千本骨刃鎧刀〉の一振りであるのは疑いようもなかった。
「称賛しよう」
闇の中から声が響く。
「過去に挑んできたどんな刺客も、破荒墨影を殺すには至らなかった。逆恨みとはいえ、人の死を悼み執念に基づきお前はそれを成し遂げた。その行動と精神に敬意を表そう」
だが、と声は続けた。
「破荒墨影がそこに倒れた一個体のみと認識していた。それがお前の敗因だ」
そうして声の主は霧崎の前に姿を現す。
眼下に倒れた死体とそっくりそのままの姿をした男。破荒墨影。
「……そうか。私が殺したのは複製か」
霧崎の〈斫断・千本骨刃鎧刀〉を複製してみせたあの魔術。それを応用すれば、人間一人を複製することも可能かもしれない。この状況を説明するにはそれしかない。
霧崎はそう推測したが、破荒は「いや」と前置いて訂正した。
「お前が殺したのは本物の破荒墨影、残った私が複製だ。どういうわけか人の魂の複製には制約が多くてな。本体の活動中に複製を活動させることはできんのだ」
「……つまり、本体の活動停止と同時にお前の活動が開始したと」
「そうだ。お前は確かに復讐を遂げた」
そう言われても、やり遂げたことへの達成感は欠片ほどもなかった。
目の前にはまだ破荒墨影がいるのだ。それでどうして納得できるだろう。
最後の力を振り絞り、霧崎は動いた。右手に魔力の刃を出現させて破荒に放った。破荒の複製も間に合わないであろう速度での不意打ち。そのつもりだった。
しかし放った魔力は、目の前の破荒まで届かなかった。まるで見えない壁に阻まれるかのよう。概念を引き裂く魔力の刃が物理的に阻まれるなど、同種の力による相殺でもなければありえないはずなのに。
「一つ誤解を訂正しよう。私の契約魔族は二体ではない。三体だ」
霧崎の驚きは声にもならない。そんな気力は残っていない。
「三体目が有する性質は時間の凍結。凍結範囲の指定の難しさから扱いづらいが、凍結した時間の中を通過することはどんな攻撃であっても不可能となる。私が有する中で最大の防御手段だ」
ふと、この戦闘の始まりを思い出す。
破荒はいつの間にか霧崎のすぐ隣にいた。あれは時間の凍結を使ったのだ。時間を止めたまま霧崎を殺さなかったのは、止まった時間の中には破荒自身ですら干渉できないからだろう。〈斫断・千本骨刃鎧刀〉ですら時間が凍結した空間を切り裂けなかったのだから間違いない。
「さらばだ。お前は今まで私が見てきた中で、最も優れた魔術師だった」
胸を貫いた漆黒の刀が動き出し、霧崎の胴を引き裂いた。
膝から崩れ落ちながら、霧崎は破荒を睨み続けた。
そして。
「師匠――――――――――ッ!」
闇の中に声を響かせながら現れた倉沼が、銀色の薙刀――空切刃を破荒に向けて薙いだ。
その程度の攻撃を見抜けない破荒ではない。背後に身を反らせて回避する。
しかしその瞬間、破荒の眼前に異変が起きた。
倉沼の空切刃は空間を引き裂く魔術道具である。倉沼が操る連結の魔術は、そうして生み出された二つの空間を繋ぐことができる。
今、破荒の眼前には倉沼が真一文字に薙ぐことで生じた裂け目がある。
そこから飛び出した一人の少女が、手にした跡切刀を破荒に向けて突き出した。
破荒は右手を水平に掲げた。それに応じるように、霧崎の胴を裂いた漆黒の刀が動き出す。ただしそれは破荒の元に戻るのでもなく、現れた少女に牙をむくのでもなく、明後日の方向に飛んでいった。
「なっ――」
破荒が目に見えて動揺する。
おそらく破荒は突然に突き出された跡切刀を警戒し、霧崎の刀で受けようとしたのだ。だが制御を誤った。何故なら、直前に破荒に向かっていった倉沼がサングラスを外していたから。
〈深淵の魔眼〉。人の心の奥底を乱す倉沼の切り札。
思考によって操作する刀の起動は、それによって乱れた。
そして少女――紅野彩夜の突き出した跡切刀が破荒の体を裂いた。だが浅い。大量の出血に構わず破荒は距離を取った。そもそも跡切刀では一体化した世界ごと消し去りでもしなければ破荒を殺せないだろう。この程度の奇襲では決定打には成り得ない。
しかし、そんなことは二人とも承知の上だったらしい。
「悪いな師匠。一度引いて体勢を立て直す。文句は言わせねえ」
倉沼はそう言い、倒れた霧崎の傷口に手を当てた。魔術で傷を塞ぐつもりなのだ。
「雑なのは勘弁してくれ。この状況じゃ悠長にはやってられねえからな」
と、そこで彩夜が倉沼の傍らまで戻ってくる。
「倉沼くん、霧崎さんは!?」
「ここじゃこれ以上は無理だ! とにかく撤退する!」
再び空間に裂け目を作る倉沼。
だが飛び込もうとした瞬間、生み出した裂け目が消滅した。
「何!?」
「倉沼くん早く!」
「……いや、こいつは無理だ」
倉沼は破荒に目を向けて立ち上がった。
「世界と一体化することによる相互補完。なるほど、世界の方の傷も修正可能ってわけだ」
「なっ……魔術は使えないんじゃなかったの?」
「すべての魔術が使えなくなるわけじゃねえ。魔眼の効力そのものは心の奥底を乱すだけだしな。たぶん、あいつにとって空間の裂け目を修復するのは手足を動かすのと同じことなんだ」
「……そんな。それじゃあ」
ああ、と倉沼は苦笑を浮かべる。
「あいつを倒さねぇ限り、俺たちは逃げることすらできねえってわけだ」




