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吸血少女と人殺し  作者: 伝々録々
第五章 楽園創造
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吸血少女の見た夢



 夢を見た。なんてことのない夢だ。


 朝起きると隣に悠也がいて、朝食はその妹の悠香ちゃんも一緒に三人で食べて、悠香ちゃんに見送られながら家を出ると通学路の途中で潤に会う。潤が私と悠也の関係をからかってきて悠也がブーメランだと言い返すと潤は平然としているが、いつの間にかその隣にいた幸姫さんが顔を真っ赤にして潤の背中を叩く。なんで俺が叩かれるんだと潤が言う。けどそれも本気で不満を言っているわけじゃなくて、幸姫さんもただ照れ隠ししてるだけだとわかっているから潤は全然嫌そうじゃない。


 で、学校に向かっていたはずなのに気づくと皆でカフェ・Vivreにいる。夢の中だからなんでもありで私は違和感を抱かない。たぶん何かしらのスイーツを注文したはずだけどそれは正直どうでもよくて、くだらない都市伝説を長々と語る潤とそれを呆れ顔で聞いている幸姫さんを見ている悠也の横顔を眺めている。悠也は時折潤の話に口を挟んだりするけれど、私の視線には気づかない。


 そして私はこれが夢だと唐突に気づく。


 視界に白く靄がかかる。

 こんな状況はありえない。悠也が二人と過ごした時間の中に私はいない。それは悠也だけの大切な思い出で、だから私はその会話に混ざれない。きっと悠也が二人といた時間をあまりにも愛おしそうに語ったものだから、影響されてこんな夢を見てしまったのだ。


 これが本当ならどんなに良かっただろう。こんな脳内お花畑な夢が現実だったとしたら。悠也は大切な人を誰一人として失わずに平穏な日々を送り、そこに私も加われたのだとしたら。そんな楽園がこの世界の本当だったとしたら。


 そこまで考えて、やめた。


 だってそれは私たちに相応しくない。

 私も悠也も罪を犯した。決して善人ではなかったのだ。

 だからこそ抱けた想いがあったし、だからこそこんな夢を見た。


 これで良かったなんて、口が裂けても言えないけれど。


 間違え続きの私たちにだって、きっと意味はあったのだ。





    ◇







 暗い夜道を彩夜は行く。


 見知った住宅街の細い道を抜けて大通りに出たところで、ふいに悠也と出会ったばかりの頃を思い出す。潤が起こした事件をきっかけに悠也と出会い、〈煉霊の魔術師〉の手がかりを求めて様々な場所を探し回った。もう随分と昔のことに感じるが、実のところまだあれから三ヶ月程度しか経っていない。


 たった三ヶ月。だがその間に色々なことがあった。

 それは必ずしも良い思い出ではなくて、むしろ哀しいことばかりで、失われてしまったものがいくつもあった。


 ふいに日の光を幻視する。そこには悠也がいて、潤がいて、幸姫もいる。こちらに笑いかけてくる。絶対にあるはずのない夢の残滓が、まだ瞼に焼き付いている。


 悠也にとってはそれが当たり前だったのだ。

 それが奪われてしまって今があるのだ。

 だとすれば今を幸福に思う自分は薄情だろうか。

 積み重ねた悲劇さえ愛おしく思うのはおかしいだろうか。


 そんなことを考えているうちに待ち合わせ場所に到着した。

 まち外れの高台の公園。

 先に到着していた二人の魔術師が彩夜に気付いて視線を寄こす。


「お待たせ、霧崎さん。倉沼くんも」

「悪いな、こんな時間に。……黒宮の様子はどうだ?」

「もう大丈夫だと思う。疲れてたみたいで、今は寝ちゃってる」

 彩夜がそう答えると、霧崎は「そうか」とだけ返した。

 きっと悠也を案じていたのだろう。幸姫を殺したことへの負い目もあるだろうし、そうでなくとも表面的な印象ほど非情になりきれていないのが霧崎だ。


 しかし一方で、感傷に浸り過ぎないのもまた霧崎楓という魔術師である。

「早速だが本題に入らせてもらう」

 そう前置いてから、霧崎は憂いのない表情ではっきりと告げた。




「私は今からあの男を、破荒墨影を殺しに行く」




 彩夜は緊張に喉を鳴らした。

 その目的は既にメールで知らされていたが、言葉にされると重みが違った。


 いよいよこの時が来たのだ。

 霧崎の悲願たる復讐の成就。

 それは同時に、彩夜と悠也の明日を決定づけるものでもある。霧崎が復讐を遂げたとき、彩夜と悠也は契約魔族との間接契約から開放されるはずなのだ。おそらくは、吸血衝動からも。


 そのために。

「私が必要なんだよね。私は契約魔族を介して破荒墨影と繋がってるから」

「そうだ。その繋がりを利用してあの男の隠れ家まで直通の道を作る。倉沼の魔術を応用してな」


 それこそが霧崎が彩夜を殺さず傍に置き続けた表向きの理由だった。

 破荒墨影は神出鬼没の魔術師だ。どこからともなく現れていつの間にか姿を消している。それ自体は魔術の存在を前提とすれば不思議でもなんでもないが、破荒を殺そうと画策する霧崎にとっては都合が悪かった。居場所がわからないのでは殺せない。


 そこで鍵となるのが彩夜だ。

 彩夜と破荒の繋がりは空間上では観測できない魔術的なものだが、それ故に魔術的に辿ることができる可能性を秘めていた。そこに離れた二箇所を空間的に繋げる倉沼の魔術を組み合わせて道を作るのが霧崎の計画だ。


「でもどうして今日なの。霧崎さんも疲れてるだろうし、倉沼くんなんて……」

「オレの心配なら無用だぜ。今やらなきゃオレがここにいる意味がなくなっちまう」


 白い歯を見せて笑う倉沼が強がっているのは明らかだった。


 幸姫が暴走し大規模な戦闘に発展したのがつい数時間前。その中で大立ち回りを演じた霧崎は当然疲弊しているはずだし、倉沼は魔術道具〈千本骨刃鎧刀〉で全身をズタズタに切り裂かれたと聞いている。不死の肉体を持つ彩夜とは違うのだ。連結の魔術で傷口を塞ぐことはできても、切断された筋肉や血管をすべて元通りに繋ぎ直すのは不可能。今も倉沼の全身は激痛に蝕まれているはずだ。


 それなのに余裕を装って倉沼は続ける。

「知っての通り俺の魔術で離れた空間を繋ぐには空間上の裂け目が必要だ。あんたの存在だけじゃ足りない。でも今ならヤツ自身が開いた通路の残滓……空間の歪みがまだ残ってる。こいつを利用する。この歪みが消えちまったら、次はいつになるかわからねえ」


「だけど霧崎さんはどうなの。相手は相当な強敵なんでしょ。こんな状態の霧崎さんを送り出して、倉沼くんは平気なの?」


「……」

 見ると、倉沼の拳は震えていた。

 平気なはずはないのだ。倉沼にとって霧崎がどれだけ大切な存在であるかを思えば当たり前だ。彩夜が悠也を危険な目に合わせたくないのと同じ。しかも満身創痍の倉沼には霧崎が危険な状況に陥ったときに助けられるほどの力もない。

 だというのに倉沼は、霧崎の意思を尊重しようとしている。


「何を暗い顔してるんだお前たちは」


 ふいに呆れた声で霧崎が言った。

「お前たちはここで能天気に待っていればいいんだ。小娘、私があの男を殺せばお前と黒宮は晴れて普通の肉体に戻れる。それを心待ちにしていればいい」

「……殺せるの?」

「無論だ。私は勝算なしに突っ込む馬鹿にはなれないからな。時間がない中での突貫工事だったが、切り札も用意できた」

「そっか」


 霧崎がそこまで言うならそうなのだろう。

 彩夜は胸の内の不安を振り払って告げた。


「頑張って。私と悠也の未来、霧崎さんに預けたから」


 霧崎は面食らったように数度瞬きした。

「……お前、本当に変わったな」

「またそれ? そりゃあまあ私も自覚はあるけど」

「変わり過ぎだ。お前さ、やっぱりあのガキに惚れてるだろう」

 唐突に言われて面食らう彩夜だが、答え自体は決まっていた。





「うん、大好き」





 満面の笑みでそう断言すると、体が少し熱くなった。

 霧崎は何故か大きく息を吐いたが、その口元は笑って見えた。

「まあ、協力してくれるならそれでいい。倉沼、始めてくれ」

「了解だ」

 平気な顔で言った倉沼は、しかし迷うような間の後で続ける。

「……大丈夫だよな、師匠」

「何を今更。この日のために生きてきた。心配は無用だ」







    ◇







 そう。自分はこの日のために生きてきた。

 倉沼が作った門の中へ足を踏み入れると、そこは音のない闇の中だった。

 霧崎は歩を進める。固い地面と靴底が当たって軽い足音が反響する。屋内だ。しかし狭い部屋ではない。大劇場くらいの広さはありそうに思える。そのまま進んでいく。


 やがて霧崎の『魔術師の勘』は一つの気配を察知した。彩夜たちによく似ているが、それとは比べ物にならないほどに濃くて混沌とした気配だった。


 足を止める。暗闇の中をまっすぐに睨む。


「珍しいな、この場所に来客とは」

 低く厳かに響く声。直に聞くのは初めてだが、その声の主を霧崎は知っている。


「破荒墨影だな」

 声音は胸の内に反して落ち着いていた。

 返す破荒も動じない。

「いかにも」

 暗闇の中に魔力が流れる。

 直後、月明かりのような淡い青が仇敵の姿を照らし出した。

 白い肌を黒衣で包み、無感動に佇む一人の男。そこに立っているだけで気圧されそうなほどの重々しい存在感。並の人間なら相対しただけで腰を抜かしてしまうかもしれない。


 だが霧崎は違う。

「お前を殺しに来た。突然で申し訳ないが、覚悟を決めてもらいたい」





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